第33話 魔王

 鹿目征十郎しかめせいじゅうろうは、頬に感じる硬い感触を不快に感じて目を覚ました。四肢をだらしなく投げ出して、アスファルトの上に寝転がっていたようで、地面が火傷しそうに熱かった。


 上半身を起こすと、頬に付いていたアスファルトの破片が、ポロポロと落ちた。遠くで蝉がやかましく鳴いていて、非常に蒸し暑い。

 ああ、そうだ。

 奈良に来てから初めて見る青空だった。


 晴天の屋根の下に、錆びだらけの車がある。鹿目の愛車のシエンタだ。

 相変わらず、ボロボロのままだ。

 板金塗装会社の社長である田中正治が直してくれる約束だが、手配がまだのようだった。


「おかしいな。何で此処にいるんだ?」


 目の前にある少々くたびれた二階建ての木造建築は、住居を兼ねた菜月の店だ。

 法隆寺ほうりゅうじ西院伽藍さいいんがらんから、大きな穴に落ちたハズなのに、随分と違う場所にいる。

 気を失っている間に、誰かに運ばれたのだろうか? 


 思い出したように辺りを見回す。

 一緒に落ちたはずのワンちゃんは、見当たらなかった。


 仕方がないので、立ち上がって菜月の店に向かう。

 穴に落ちたはずだが、身体は痛まなかった。ただ、頭が混乱しているようで、記憶が色々と曖昧あいまいだ。時々、眩暈めまいを覚える。

 店の引戸に手を掛けると重く感じた。

 中に入ると電気が消えていて、菜月や千春は居なかった。それどころか、人が住んでいる気配がしない。壁の端には蜘蛛の巣が張っている。カウンターの上は、ほこりが積もって白い雪が降ったようだった。


「何があった?」


 誰もいない店内で、一人で呟く。

 女子どもは、どこに行ってしまったのか。

 鹿目が、南大門に連れ去られた後で、厄介ごとに巻き込まれたのかも知れない。


 暫く立ち尽くした後、鹿目は、念の為に住居の方も確認しようと思った。

 人の気配はしないが、何か分かるかもしれない。

 店内から台所に通ずる戸を開けようとした時に、外から争うような音が聞こえた。男の怒声が混じっている。


 弾かれるようにして、鹿目は店の外に飛び出した。

 すぐに白黒まだらの大きな鳥が確認できた。

 翼を広げれば大人より遥かに大きい怪鳥は、三人の男ともつれ合っている。

 男達は、金属バットや手斧などで武装していた。二車線の道路にワゴン車が斜めに停められており、男達は、それに乗って来たのだろう。


 白昼堂々穏やかでないが、男達は凶器を遠慮なく振り回して、目の前を飛び回る大きな鳥と格闘を続けている。武器の扱いに慣れている男達だと思った。ここぞという時に思い切りが良い。ついには、金属バットが鳥の頭部を激しく打ち付けたが、鳥は一瞬グラッとしただけで、飛ぶことを止めない。それどころか、隙を見せた男の肩を鋭い鉤爪で掻いて行った。男が苦痛の声を上げる。


 その時、鹿目は気が付いた。手斧を持つ男が、龍田神社たつたじんじゃで世話になったたけしくんだということを。


 茶髪ではない黒髪なので、昨日絡んだばかりなのに、すぐに分からなかった。線が細い体つきだったが、がっしりとしており、どこか精悍な顔付きだ。男は結婚すると、こうもイメージが変わってしまうのかと鹿目は驚いた。

 いやいや、そもそも新妻の佳世ちゃんをほっぽりだして、菜月の店の前で何をやっているのかと腹立たしい。


 どちらにせよ、加勢しなくてはいけない。

 鹿目はレインコートから反りのあるサーベルを取り出すと、乱戦の輪に加わった。


「マジで? 神使しんしか!」


 怪鳥の羽が飛び散る中で、武くんが驚いている。もう無精髭ぶしょうひげだらけだ。お嫁さんに嫌われそうだ。


「待たせたなバンドマン! 髭は毎日剃れよ!」


「遅いんじゃ! アホぉ!」


 低空を向かってくる怪鳥目掛けて、鹿目は手首を使って回転させたサーベルを叩き付ける。片手で軽々と扱える分、威力は太刀と比べて若干落ちるが、動き回る相手には丁度よい。突撃を躱しながら、羽に小さな傷をつけた。

 そして傷から火が吹き出す。魑魅魍魎ちみもうりょうを焼き付くす火之迦具土神ヒノカグヅチの火だ。


 巨大な鳥は、身体を燃やされながらも空中を飛び回る。手に持った花火を振り回したように、火の粉が飛び散った。

 鳥は、ふいに方向感覚を失ったように地面に向かって急降下した。

 鈍い音が聞こえて見事に潰れたが、また起き上がったかと思うと、低空を勢いよく駆けて、燃え盛る身体のまま、あろうことか 菜月の店の中に突っ込んで行った。

 

「うわああ! これは不味い!」


 鹿目は腹の底から震える声を出した。

 不可抗力とはいえ、このままでは菜月の店まで燃えてしまう。店舗の部分に人は居なかったが、住居は確認出来ていない。

 万が一昼寝でもしていたら、二人が煙に巻かれてしまう。 

 走りだそうとしたら、激しいクラクションを鳴らしながら一台の白い軽トラが、スピードを出して向かって来た。鹿目の進路を塞ぐように停まると、軽トラの荷台から女が飛び降りた。


 菜月だった。

 白のティシャツにチノパン姿だが、あろうことか手に猟銃を掴んでいる。

 鹿目は胸を撫で下ろしたが、すぐに、その異様さが気になった。


「ほっといたらええで。もう使ってへんから」


 淡々とした口調で菜月が言った。

 それとは反対に鹿目は興奮している。


「いや、店が燃えるぞ! いいのか?」


「かまへん。それより、久しぶりやな神使しんし。今まで何してたんや?」


「何してたって……。法隆寺の中門潜って、でっかくて深い穴に落ちて、気を失って目が覚めたら、此処にいたんだよ」


「ふっ。何やそれ。よう分からんね」


「俺もよく分かってない」


 と言い終わると、軽トラの向こうにある二階建ての建物が大きな炎に包まれた。

 火之迦具土神ヒノカグヅチの火は、一度燃えると中々消えない。この世に在らざるものを燃やす業火なので、通常の炎とは違って勢いもある。広がるのも速かった。


「すまない菜月さん。俺とした事が……」


 菜月は構わないと言ってくれたが、燃え上がる店を見ていると後悔の念が鹿目を襲った。もうラーメンを作れないし、食わして貰うことも出来ない。魔都化が始まっても続けていた店だ。きっと大切な店だったはずだ。


「ほんまに、もう使ってないから気にせんといて。それと、私は菜月と違うで」


「え? じゃあ誰なんだ?」


 答えながら、鹿目の視線は菜月の首元に移る。

 砂が入った小さな瓶を首から提げていた。

 その瓶は見覚えがある。

 台所で見た瓶だ。

 千春がいつも首から提げていた瓶だ。


「私は千春。お姉ちゃんは十五年前に死んだで。復活した豊聡耳トヨサトミミに殺されたわ」


「え? どういうこと? 千春って……冗談だろ? 菜月さんだよな? 千春は五歳だぞ……。う、へへ……」


 鹿目は後ずさる。

 ひきつるような、不気味な笑い声が自然と漏れた。


「いいや、私は千春。……神の国へようこそ神使。さっそく働いてもらうで!」


 千春と名乗った女は、猟銃を軽トラの荷台に放り込んで、自分も飛び乗った。鹿目に向かって手を差し出してくる。


 鹿目が女の顔を見詰めると、女は強い眼差しで見詰め返してきた。

 確かに千春だ。面影がある。

 姉とそっくりだったが、鹿目を睨む目が若干釣り目なのだ。

 それが五歳の頃の千春と重なった。


「説明してくれ。頭がパンクしそうだ」


 鹿目は、千春の手を取ってタイヤに足を掛ける。


「もちろんや。……おかえり神使。会いたかった」

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