第28話 捕まる

 ――異変。

 

 今まで当たり前のように繰り返されてきた日常に、一石が投じられた。

 一見いちげんさんの襲来である。

 常連が八割を占める菜月の店には、新規の客は日に一人か二人しか来ない。

 しかも、ほとんどが鹿目征十郎しかめせいじゅうろうと同じような二十代以降の男性だ。

 この魔都化が進む奈良県で、何故に女子高生がラーメンを食べに来るのか?

 菜月は警戒した。

 相手は見てくれは可愛らしいが、味を盗みに来た企業スパイかも知れなかった。


 ――んな訳、ないでしょう。


 鹿目は、手元を隠しながら調理を続ける女店主に、小さく突っ込みを入れた。相変わらず、ラーメンの事になると菜月は人が変わる。

 目が覚めるまで、放っておこう。


 やがて、白い湯気と食欲を刺激する香りを立てながら、女子高生の前にどんぶりが並べられた。

 威風堂々、醤油ラーメンに鶏白湯とりぱいたんのお出ましだ。

 スープの色味いろみは違うが、いずれもチャーシューにネギやらが行儀良く盛り付けられており、食欲をそそる見た目をしていた。

 企業スパイの女子高生は、レンゲを掴むと、まずは醤油ベースのスープをすすった。


「なんじゃこりゃ。滅茶苦茶美味い。使命を忘れてしまいそうだ」


 それを聞いて菜月はニヤリとしたが、すぐに引っ込めた。それから凄んだ声を出す。


「姉ちゃん。ラーメン食べる時は静かに食べなあかん。汁が冷えるやろ? それにな、この味は盗むことは出来へんで、諦めや」


「ん? 盗む? 金は払ったはずじゃが……。まあ、いっか。すまん、すまん」


 女子高生は、素直に謝ってから麺にかぶりつく。

 ハフハフした息遣いと、時折小さく、嗚呼、美味いと呟くのが聞こえた。

 心の声が漏れている。


 外は魔都化が進むのに、なんだか平和だなぁと鹿目は思った。

 菜月が店を続けているのは、こんな光景を大事にしているからかも知れない。

 欠伸をかみ殺していると、鹿目の前にもラーメンが届けられる。

 あれ程、並盛でいいと言ったのに、溢れんばかりの大盛で提供されていた。

 構わずかぶりつく。


 ――美味うまい。


 一体どんな魔法を使えば、奈良でこんなに美味いラーメンを作る事が出来るのか。

 菜月の技は、二十歳前後であるにも関わらず、卓越たくえつしているようだ。県内県外を問わず、ここまでの味は、そうそうない。

 魔都化する前までは、毎日のように繁盛していた店で間違いない。長女の菜月を筆頭に、三姉妹で協力しながら切り盛りしていたのであろう。


 鹿目が、そんなことを考えていると、女子高生が勢いよく立ち上がった。

 と同時に、菜月が悲鳴を上げる。

 あまりにも切迫している声だから、鹿目は驚いて、食べかけの麺をき出してしまった。


「なんだ、なんだ! びっくりするだろう!」


 鹿目は箸を置いて菜月を見た。

 菜月はワナワナと震えている。その目線の先には女子高生が居るが、女子高生は会釈をすると、すぐ後ろの引戸を開けてそそくさと出て行った。


「騒々しいな。どうしたんだ菜月さん?」


 鹿目が茫然としている菜月に問いかけると、今度は鹿目の傍にいた千春が大きな声を出して驚いた。


「あ――! 無くなってる!」


「ちょっと、お前らいい加減に――ん?」


 鹿目はようやく気が付いた。

 ある筈の物が無い。

 まるで元から存在しなかったように、そこにある筈の物が、忽然こつぜんと姿を消していた。


 ――どんぶりが消えている。


「た、食べとった……。二口か三口で……。ペロリと平らげよった……」


 菜月が呻き声を上げた。

 鹿目が聞き返す。


「嘘だろ? 食べたって、どんぶりか? あんな硬いものを食べたのか?」


「う、うん。私、びっくりしたわ……」


 鹿目はひるがえって席を立つ。

 店の出口に早足で向かうと、千春も一緒についてきた。

 乱暴に引戸を開けると、目の前一杯に異様な光景が広がっていた。隣で千春が、ひきつった声を上げる。

 その声が店内にも届いたのであろう。

 只事ではないと判断した菜月が、急いで飛び出して来た。


「な、なんやこれ!!」


 菜月はそう言うと、千春を抱き上げる。


 店の前には、車が四台ほど駐車出来るスペースが設けられており、二車線の道路と面している。道路の向こうは田んぼで、更にその向こうに、学校だとか家々の屋根が見えている。

 さっきまでは、そんな景色だった。鹿目が買い出しから戻った時は、間違いなくそんな景色だった。


 ここは、魔都化の中心か? ウヘヘ……。


 鹿目の口から、乾いた笑いが自然と漏れた。 

 店前の僅かなスペースを残して、化け物で埋め尽くされていたのだ。

 数十メートルもありそうな規格外の大蛇が群れをなして、鎌首をもたげながら鹿目達を見下ろしている。マンションの四、五階はありそうな高さからだ。

 いつの間に店が囲まれていたのか分からないが、辺りは、壁のように直下立そそりたつ蛇達のせいで夕闇のように暗い。一体何匹いるのか想像も出来ない。見える範囲は巨大な蛇しかいない。

 

「裏の駐車場まで走れ!」


 菜月と千春にそう言うと、鹿目も背を向けて走り出そうとした。

 店を迂回していけば裏へ抜けられる。まだ、その道は生きていた。

 すると、待て、と後ろから声がする。

 この声は、さっきの女子高生だと思って鹿目は振り返った。


「襲ったりはせんぞ。安心しろ」


 大蛇の間を縫うようにして現れたのは、やはり先程の女子高生だった。店内で見た時とは違って、今はよどんだ重々しい空気をまとっている。誰が見ても化け物だと判定できた。


「化け物だったとはな! すっかり騙されたよ」


 鹿目はやけっぱちに言う。たいした擬人化だと思った。

 近くで見て触れて、言葉を交わしたのにまるで分からない。

 朝に襲ってきた阿形吽形あぎょううんぎょうよりも、数段格が上の化け物かも知れなかった。


「いやいや、すまぬすまぬ。あまりにも良い香りだったのでな。ラーメンとやらを、一度、食べてみたくなっての。人間のフリをした。しかし、器はちと硬かったのぅ」


 照れたような仕草をして女は言う。鹿目は、それを無視した。


「それで? 満足したのか?」


「大満足だ」


「だったらお引き取り願おうか。俺も食事の途中なんだ。かまっていられねえよ」


 言って鹿目は拳を握る。

 皮手袋の中で、大量の汗を掻いていた。

 今戦闘が始まれば、確実に菜月と千春を巻き込んでしまう。規格外の蛇ども相手に、果たして勝負が成立するのかはなはだ疑問だが、それだけは避けたかった。


「拙者はこの店が気に入った。なので見逃そうと思う」


「なに? 見逃す?」


法隆寺ほうりゅうじの奴がな。神使しんしが来ないから、根城にしている店を潰して来いと言ったんだ。だが、潰すのは止めた。ラーメンが喰えなくなっては困る。なので見逃す。店主よ、店に戻るがいいぞ、後は拙者と神使で話をする」


 女子高生……の姿をした化け物は、菜月を見ながら言った。菜月は千春を抱きしめたまま睨み返す。


「ほんまに何もせえへんねんな!」


「何もしない。拙者は店主の作るラーメンがまた食べたい」


「…………了解や」


 蛇に見下ろされる中を、スタスタと菜月が鹿目の元まで歩いてきた。菜月と千春の視線が同時に鹿目に注がれる。


「やって……。私らは大丈夫みたいやから店に戻るわ。あんたは全力で逃げや。私らのことは気にせんでいいから、とにかく逃げて」


 菜月が言うのを、千春は口を挟まずに聞いていた。同じ意見という事だろう。鹿目はすぐに言い返せなかったが、少し経ってから、わかったと答えた。


「逃げてはみるが、このまま法隆寺まで行くかもしれない。世話になった」


 鹿目がそう付け足すと、千春は泣きそうになって菜月の胸に顔を埋めた。菜月が強い口調で食い下がる。


「何言うてんの。ちゃんと帰ってきいや。今日の夜もうちで食べたらいいからね」


「ありがとう菜月さん。さあ、早く入ってくれ」


 鹿目が二人を店の中に追い立てると、大蛇の隙間で立っている女が、終わったか? と聞いてきた。


「ああ、終わった。で、俺に話があるのかな?」


「法隆寺が貴公を待っている。今すぐ来てもらいたい」


「わかった。少し準備をさせてくれないか?」


「構わないぞ。だが、この場から逃げようなどとは思わないことだ」


 そう言って女は、パチンと指を鳴らした。

 それまで静かにしていた大蛇の大群が、地響きをあげながら動き出す。

 蛇は思い思いの場所に辿り着くと、丸太のように太い尻尾を地面に突き刺して背を伸ばし始めた。突き刺す度に地面が揺れる。大勢が突き刺すので、揺れは大きな地震のようになった。

 鹿目は踏ん張る。

 いつの間にか蛇たちは、曇天どんてんを支える巨大な柱のように立ち並んだ。


 女は右手に持っていた、フラッグを素早く振り下ろした。

 女の背後からまばゆい光が襲ってくる。一方通行の光の濁流に鹿目は飲み込まれた。


 暫くして薄目を開けると、辺りの様子が様変わりしていた。

 蛇の大群が消え失せて、何処までも続く松の林が出現していた。

 松は、菜月の店を取り囲むように、ぎっしりと生えており、どこにも隙間が見当たらない。

 天然の牢屋に閉じ込められたような形になった。


「信じられない光景だな」


 誰もが同じように言うだろう。鹿目は神使という職業に就いているが、このような大掛かりな怪異に遭遇するのは初めてであった。


「拙者は南大門なんだいもん。法隆寺を守る門番だ。先に行って待っている」


 女がそう言うと、背後の松が動き、道のようなものが出来る。法隆寺の南側に延びる松並木まつなみきと同じだ。

 この道を辿っていけば法隆寺に着く。そのための参道なのだろう。延々と一直線に延びている。


 背中を向けた女が、松の林に消えていく。

 あっという間に小さくなった。

 他に道が無いので、逃げる事も出来ない。

 追わなくてはいけないだろう。

 松の林に踏み込んで、鹿目は後ろを振り返った。菜月の店が見えている。店の前には錆びだらけの車が停めてある。


 ――帰って来れるかな?


 鹿目はそう思って、薄暗い道を歩き始めた。

 鹿目の心配は、現実となる。

 別れた菜月には、もう二度と会えないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る