第27話 ラーメン道
「お姉ちゃん。
千春は急いで引戸を開けた。
濃厚なスープの香りが漂う店内には、菜月と千春の姉妹だけだ。
昼を過ぎた頃だが客はいない。
「……おかえり神使」
菜月は上目づかいに、やや緊張しながら言った。
何故だか知らないが、ほっぺが熱い。
カウンターの中から、店の出入口を見ていると、段ボールを抱えた
「ただいま~。見てくれよこれ、ちゃんと揃えて来たぞ」
鹿目は誇らしげに言うと、成果である段ボールをカウンターに置いてから、まだあるからと言って車に戻った。
段ボールから青い野菜の
すぐに鹿目が、別の段ボールを抱えて帰って来た。
「よっと……。鶏ガラは、どれがいいのかさっぱりだから、精肉店の人にお任せしといたぞ。菜月ちゃんによろしくだとよ」
「おっちゃん元気やった?」
「ああ、元気元気。だけど、そろそろ品切れだって」
「そっか~。品切れかぁ……。魔都化だから、しゃあないよね」
そう言って菜月は、鹿目が持ってきたもう一つの方の段ボールを開ける。ビニールに入れられた鶏ガラが山盛り出てきた。別の袋には鳥以外の骨も入っており、種類も量も充分だと菜月は思った。
相変わらず、よく気が利く五歳だ。狭い店内を自由に進んでくる。鹿目は礼を言って受け取ると、すかさず飲み込む。冷たい麦茶が旨かった。
千春はごくごくと鳴る鹿目の喉を見上げながら言った。
「お姉ちゃん、神使に嘘ついてたらしいで、謝りたいって言ってた」
「謝る? 謝るっていったい何を?」
自分を見上げるちっちゃい瞳を見返しながら、鹿目は考える。カウンターの中で大きな寸胴鍋を掻き回していた菜月は、鹿目と千春のやり取りを聞いて、慌てて振り向いた。
「実は……。何もなかってん」
「何が、無かったのかな?」
「……昨日、あんたは一人で寝てたんやで。朝方、私が布団に潜り込んで驚かしただけや」
そこまで言われて鹿目はピンと来た。
そうだそうだ、思い出した。
鹿目が
それがまさか、事実無根の作り話にのせられていたとは。
奈良の女性は皆、こんな感じで純粋な男を騙すのであろうか。
「マジか! 騙したのか! やりやがったな!」
鹿目が怒声を上げたので、菜月と千春は少し驚いたようだが、すぐに両手を目の前で合わせて甘えた声を出した。
「ごめ~ん神使。もう嘘つかへん。千春も一緒に謝って~」
「ごめんな神使~。お姉ちゃん許したって~」
君は絶対に意味が分かっていないだろうと鹿目は千春を睨む。
ごめんごめんと言いながら、くねくねと身体を揺らす姉妹を交互に見ていると、何だか怒りが急激に失せて、代わりに胸の奥から笑いが込み上げてきた。
「ふっ。まあいっか」
「え? 許してくれるん?」
菜月がすかさず突っ込んでくる。目がキラキラと輝いていた。常習犯のように切り替えが早く、したたかな姉妹だと鹿目は思った。ちっとも油断出来ない。
「いいよ。その代わり、ラーメン
「オッケィ。まかしとき! チャーシュー山盛りでラーメン作るわ!」
「いや、並でいい! 並で!」
すぐに菜月が調理に取り掛かり、テキパキと動き出す。材料が山程入った段ボールも、男顔負けの腕力で、すぐに片付けられてしまった。
暫く静かにしていると、千春が「お客さんが来たで」と言った。暇だった店に、ようやく活気が戻るようだ。
鹿目が顔を向けると、引戸がガタガタと騒がしい音を立てながら開いて、外から若い女が入って来た。この音だけで、来客は常連以外だと何となく分かってしまう。
「もし、つかぬ事を聞きますが、ここはひょっとしてラーメン屋という所ではないかな? いやはや看板もろくにござらんので、拙者の推測になりますが、この食欲を刺激する甘美な香りは、ラーメンで間違いないと思うわけでござる。さて、貴公は、どのように思うのか、いざ、返答をいただこうか」
店の
高校生だろうか制服を着ていた。紺のリボンを付けたブラウスに、ベージュのスカートを履いて、右手には「ビバ中宮寺」と書かれたフラッグを持っていた。中々渋い所を突くフラッグだ。修学旅行を引率しているバスガイドさんから奪ってきたのだろうか。
千春が鹿目のレインコートを引っ張る。
鹿目が無視していると、更に強く引っ張って来る。
早く返事をしろということらしい。
変な奴で間違いないが、質問に答えないほうが間が悪い。とっても嫌だが鹿目は声を上げた。
「ラーメン屋で間違いないでござるよ。喰うなら、そこの券売機で先に券を買って欲しいでござるよ」
鹿目は釣られて、変な話し方になった。
「ん? 券売機? 券売機とはこれか? これの事で間違いなかろうな?」
店に入って左側に、小型の券売機が置かれたテーブルがある。必要最低限の機能しか持ち合わせない代物だが、よく働いてくれていた。若い女は右手のフラッグをテーブルに置くと、券売機をベタベタと触り始めた。
暫くすると、触るだけでは足らないのか、唐突に券売機の角に噛みつく。金属の角と歯が当たって、まあまあの音が聞こえた。
それを見て、千春が恐怖におののいた。首から提げている透明の瓶をぎゅっと握る。
「し、神使。ちょっとおかしいで。化け物ちゃうか?」
「いやいや、待つでござる。どう見ても可愛い女の子だ。少しばかり、世の中を知らないだけだろう。お、お~い、券売機の使い方、教えてしんぜようか?」
「言葉が変やで神使! なんかの攻撃か? どうしたんや?」
千春が呆れている。
券売機の角を何度も噛んでいた女が、鹿目に視線を向けた。お願いしますという感じでボブ頭を下げる。礼儀が良いのか悪いのか、さっぱり分からぬおかしな奴だ。
鹿目は席から降りて歩いていく。窓の外がやけに暗いと感じた。雨が降るのかも知れない。少し見下ろすような形で、鹿目は若い女に尋ねた。
「何をご所望でござる?」
千春が「もう、ええで!」と言っている。鹿目もそう思った。
「ラーメンだ。拙者はラーメンが食べたい」
女は大きな瞳を輝かせて言った。
口の周りのよだれが酷い。
「醤油ラーメンと鶏白湯があるが、どっちがいい?」
「どっちもだ。どっちも食べたい」
「合計千五百円だ。お金あるかい?」
「馬鹿にするな。金ならあるぞ」
と言って、ガニ股に構えた女はスカートをまさぐった。中からボロボロの千円札が二枚出てくる。が、ボロボロ故に、券売機が認識してくれなかった。突っ込んでも、すぐに吐き出される。
「な、なぜだ! なぜ、券売機は拙者のお金を貰ってはくれんのだ!」
取り乱す女は、泣きそうになった。
千円札を放り投げる。
鹿目は慌ててキャッチした。
「わかったわかった! 俺が交換してやる! 俺の千円を使えよ!」
「い、いいのか貴公! なんていい奴なんだ」
若い女は、鹿目に交換してもらった千円札を二枚、券売機に突っ込むと、教えてもらいながらボタンを二回押した。券が合計二枚落ちて来る。それを手に取って、女は落胆した声を出した。
「ら、ラーメンが出てくると思ったのに……。なんで紙なんだ……」
鹿目は女の子の肩を軽く叩いてからカウンターを指さした。菜月が腰に手をやって、呆れた様子でこちらを眺めている。
「その券を、あのお姉さんに渡すんだ。少し待てば、美味しいラーメンが出て来るぞ」
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