第15話 役立たず

「なんや――!! 燃えたぞ!?」


 たけしくんは、本殿に延びる石畳の上を転がりながら驚いた。手にした包丁で化け物の裾を切りつけてやったら、なんと、そこから発火したのだ。


 赤いカツラをつけた化け物は、みるみる炎に包まれる。あらかじめ油でも撒いていたかのように、あっという間に燃え広がった。

 カツラに火が付き、服が焦げていくが、いくら炎が勢いを増しても、白い能面だけは焼ける事はなかった。武くんには、面が炎の中で浮かんでいるように見えた。


 化け物は炎を背負ったまま、よたよたと近付いて来る。武くんは、その姿にぞっとした。悪い夢に出て来そうな光景だった。

 

『『……お前は、神使しんしか?』』


 能面の奥から声がした。大勢で同じ台詞を言ったかのように、ざわついていた。

 武くんは、言葉の意味をはじめは考えなかったが、すぐに取り乱して首を横に振った。


「違う! 違うで! あっちや、あっちが本物や!」


 武くんは鹿目の方に顔を向けるが、白髪のカツラをつけた化け物達が、たむろをしているだけだった。嫌な事に数匹と目が合ってしまう。

 きっと、頼りがいのある本物の神使は、化け物達が作る輪の中で、気分良く眠りにでもついたのであろう。

 ――役に立たない男だ。

 武くんは決めつけた。


『『……火之迦具土神ひのかぐつちの火を使う、お前が神使だな』』


「ひの……、なんて? ち、違うって! 包丁から勝手に火が出たんや、それ以上、近付くなよ! めっちゃ熱いんやけど!」


 化け物を燃やす炎の熱が、武くんをも侵す距離に来た。武くんは、まだ立ち上がることが出来ていない。器用に手足を動かして尻を擦りながら後退を始めた。


『『……神使のきもを喰えば、千年生きられる。肝をくれ。肝を』』


 燃え続ける能装束から、黒い手が二本伸びた。武くんの首を掴もうと空をあがいている。武くんが包丁の腹で邪険に払うと、一瞬、黒い手は怯んだが、また、すぐに伸びてきた。

 懸命に逃れながら武くんは、肝って身体のどの部分? と真剣に考えていた。

 ――あれ? いよいよ思考もおかしい。絶体絶命である。


 忙しく駆け足の音が聞こえた後、ぬっと化け物の背中に、忘れかけていた宮司さんが現れた。一緒に逃げてくれるのかと武くんは思ったが、宮司さんは怒り心頭のようで、手にほうきを持って振りかぶっている。


 武くんの願いは届かない。

 そうじゃない。二十五号線まで一緒に逃げて欲しいのだ。

 空気が読めない宮司による渾身の一撃。


「この、罰当たりがぁ!」


 宮司さんは、見事な袈裟斬りを見せた。

 得体の知れない燃え盛る塊に、よくぞ打ち込んだと称賛するべきだ。

 箒は化け物の肩を激しく叩く。

 武くんは、中学生の時に、宮司さんが境内で木刀を振っていたのを思い出した。その時と寸分違わず気合のこもった一撃である。

 炎が大きく揺らめいたが、すぐに箒に火が移った。一瞬で穂先が燃えてしまい、柄の部分が徐々に灰になっていく。


 化け物は前進を止めない。

 燃やされようが、殴られようが、前進を止めない。

 宮司さんが何か大声で言ったようだが、武くんには聞き取れなかった。

 びゅ――と風が吹くと、宮司さんが空中にさらわれた。

 頭と足が反対になってしまい、わあわあと喚く。

 裏返った虫のように足掻きながら、奥の本殿まで運ばれていった。十数メートルの距離を一瞬で移動した後、本殿正面の戸をぶち破って中に消えた。

 すぐに静かになる。


 武くんは顔面がひきつった。

 次は間違いなく自分だと確信できた。


『『……腹減った……。肝をくれ、肝をくれぇぇぇ!!!』』


 武くんに炎の塊が覆いかぶさって来た。

 ――あかん! 佳世、ごめん!

 事の顛末を最後まで確認できなくて、きつく目をつぶると、笑った佳世が暗闇に浮かんだ。

 どうしようもない混乱の中で、佳世は自分を求めてくれた。付き合い始めて、まだ半年だったが、期間は関係ないと言った。

 その申し出に、全力で答えたい。



 熱は相変わらず肌を焼いているが、それ以上なんの進展もなかった。

 荒い息を、もう十回は繰り返したはずだ。

 武くんはゆっくりと目を開ける。

 誰かの後ろ姿だ。

 いつの間にか、燃え盛る化け物と武くんの間に、誰かが割って入ったようだ。あの役立たずな神使しんしではない。目の前の人物は、燃え盛る化け物の面を掴み、一方的に押さえ込んでいた。


 その人物の様子がおかしい。

 んだ海のような青く長い髪も珍しいが、首から下は、白い木綿の布を、隙間なく巻き付けているだけだった。そのせいで、豊かなボディラインが浮き出てしまっている。間違いなく若い女性だが、まるでミイラのような後ろ姿だ。

 不思議な事に、炎を纏った化け物と接しているのに、なんの影響もないようだった。


「大丈夫か小僧。神使は何をしておる?」


 凛とした声がした。化け物を掴んだまま振り向かない目の前の人物からだと思われた。武くんは、とても慌てた。混乱しているのに、一層酷くなりそうだった。


「え! いや、神使? 神使ってあいつやんね? あそこ! あそこ! あの集団の真ん中にいてるはず!」

 

 青い髪が揺れた。

 目の前の女性は、鹿目の方を見たようだった。それから深い溜息をつく。


「はぁぁ……。情けないのう。最近の神使は、きちんと修行をしているのか?」


「え? ん? お、俺に聞いてる? よう知らんねん。わからんけど、多分修行なんかしてへんのちゃう?」


「だろうな。あやつの格は低そうだ」


 女は納得すると、掴んでいる面を軽々と持ち上げた。化け物が黒い両手をバタバタとさせて抵抗すると、火の粉が沢山飛び散った。

 女はお構いなしだ。

 雨のように落ちる火の粉の真下に入った。

 化け物を燃える身体ごと高く高く持ち上げると、いきなりぶんっと投げ捨てた。

 ゴムまりのように地面を跳ねていく。

 その勢いが強すぎて、化け物を包んでいた火が、簡単に消えてしまった。木の柵を壊した後に、太い楠木くすのきにぶつかってようやく止まる。

 異変に気が付いた白髪頭の化け物達が、倒れている赤いカツラに集まって来た。


「お前、何者なん?」


 誰もが思う、素朴な質問を武くんは投げかける。

 少し乱れた青い髪を気にしながら、女性は武くんを見た。


「ワシか? ワシは厩戸うまやど、いや、豊聡耳とよさとみみと呼ばれておるな」


「と、とよ?」


 変な名前だと、武くんは思った。

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