奈良に期待してはいけない。楽しいのは奈良に着くまでだ。奈良てっ!☆神鹿魍魎口伝☆

星屑コウタ

第1話 八番目は奈良県

 あかんわ。

 もう、止まらへん。全部置いて逃げて来た。

 俺らは、油断しとったんや。

 大丈夫やと思ってて、警戒すんのを忘れとったんや。



 ――奈良県民Aさんの言葉。




 ひゅ~と風が吹いていった。

 カランコロンと空き缶が転がった。

 何の特徴もない、忘れられたような土地には、いつの間にか魑魅魍魎ちみもうりょうたぐいが住み着き魔都と化す。

 四十七あった都道府県は、すでに七つの県が魔都となり、空気も光も無い、暗黒地帯となっていた。


 ――そして八番目。

 古都、奈良にも、魔都の気配が迫る。

 


 奈良県を横断する西名阪自動車道が、そろそろ終わりを迎える頃、法隆寺という出口を降りた車があった。トヨタのシエンタ、色は白。運転しているのは皮手袋をはめた若い男である。

 名を鹿目征十郎しかめせいじゅうろうといった。

 大きなうねりのある黒髪が目線の下まで届いており、よくそんな視界不良で運転を続けてきたもんだと感嘆するが、本人、鹿目征十郎は、とくに気にする様子もなく、また、疲れたようなそぶりもない。料金所を出て、すぐに車を端に寄せて停車した。

 本来なら駐車禁止の位置ではあるが、他に車も走っていないし、なにより取り締まる警官が県外に脱出してしまっているので、道路交通法は意味がなかった。


「さてと、どこに行くかな?」


 鹿目征十郎は車の外に出て歩いた。

 スラリとした長身だが、雨も降っていないのに、黒のレインコートを着ていた。

 少し先を見上げると、曇天にぶら下がるようにして道案内の看板がある。青背景に白い文字で、法隆寺← 信貴山←と書かれていた。


「寺と山の案内だけか? 他にないのかよ。ウヘヘ」


 鹿目は小石を蹴る。

 魔都化が始まると、普段はフワフワとした煙のような化け物が、人間の姿になってうごめきだす。

 これを『擬人化』と呼んでいるが、擬人化を行う為には、少しばかり知名度のある、物や土地にいてからでないと擬人化出来ない。

 化け物は、物の記憶を辿たどるからだそうだが、詳細は不明だ。

 そういうお約束である。

 今の所、付近には、人も、人の姿を借りた化け物も居ないようである。

 左手に大きなガソリンスタンドが見えているが、動く影は一切なかった。

 

「そうだな……。まずは、化け物が何にりついたかを調べるとするか。それから、一番強そうな奴を、見つけ出して締め上げる。それでお終いだ。まだまだ、光も空気も充分あるから、猶予は二週間ってところかな?」


 と、辺りを見渡しながら鹿目は言う。あごの先をつまんで、化け物が憑りつきそうな、奈良の名物や土地を考えた。


 十秒経過……。

 二十秒経過……。

 見事に思い浮かばない。

 あれ?

 もしかして、何もないかも……。

 奈良は着くまでが楽しいんだねぇ……。

 ウヘヘ……。


『……呼んだか?』


 若い女の声がすると、急に気温が下がった。

 鳥肌がたつほどである。

 ハ月の盆を過ぎたばかりだ。

 鹿目は、皮手袋に包まれた右手を額に当てて、声がした方向を探る。

 すると、先程まで見上げていた看板がグニャリと曲がり、丸まったと思ったら地面に落ちた。大きな音がする。


「うわっと、びっくりした~!」


 金属で出来ているはずの看板が、曲がって形を変えるのだから、相当の力が働いているはずだ。それよりも勝手に動き出したのだから、そこに疑問を投げないといけない。


『……先程から、何をコチョコチョ言っておるのだ。奈良に着いたら、まずは法隆寺ほうりゅうじだろうが小僧。この世界最古の、歴史あるわらわを知らぬか?』


 女の声は、落ちて筒状になった金属の看板から聞こえてきた。スピーカーの役目をしている。声の主は、どこか遠くにいるのだろう。そしてどこかで、新しく入って来た人間を監視しているのだ。


 鹿目はまゆをひそめると、なるほど寺か、と思った。化け物どもは擬人化に使う材料に、神社仏閣じんじゃぶっかくを選んだらしい。さっそく物の記憶を辿って、おのれがごとく振る舞っている。


 ということは……。

 いよいよ奈良には何もない。

 盗られてしまった。


 えっと……あと山?


『お前は神使しんしだなぁ? 魔都化を止めに来たのか? ……クククッ。そのボロい自動車を運転してやって来い。死ぬほど後悔させてやるぞ。ああ、そうだ。妾の南大門をくぐるがいい。中門に阿行あぎょう吽行うんぎょうがいるから、まずは遊んでもらえよ小僧』


 金属の看板はまた変形して、今度はブリキのロボットのようになった。

 男の子が抱いて遊べそうなサイズだ。

 両手をせわしく動かすので、ガシャガシャと耳障りな音がする。


他人ひとの車をボロいだなんて、言ってくれる化け物だね。お前は由緒ある寺じゃなくて、ただりついただけだろう? 会いに行ってやるよ。法隆寺に居るんだな」


 鹿目はそう言って、何気なにげなしに愛車を見る。

 いつの間にか、ボロくなっていた。

 ボディー全体がひどびに侵されて、海中から引き上げた難破船のようになっていた。


「ちょっ! 何だこれ! お前の仕業か?」


『動けばいいのだがな、そのボロい自動車が。無理なら歩きでやって来い。途中邪魔が入るだろうが、夕方までには辿り着くだろう』


 法隆寺を名乗る女の声が、勝ち誇ったように聞こえる。


 愛車のシエンタが届いたのは昨日だった。まだ一回目のローンも支払っていない。

 

 ――これは許せん。


 鹿目は、幼女が見たら泣き叫ぶ顔をして、レインコートの前を勢いよく開けた。完全に露出狂と動きが同調シンクロしているが、本業ではない。左胸の辺りに手を突っ込み何かを掴んで取り出す。

 それは、鈍い光を放つ抜き身の太刀たちだった。知る人が見れば、それが太刀よりも短い小太刀こだちだと分かるだろう。

 だが抜き身である。

 鞘などは確認できない。

 鹿目征十郎はレインコートの中から、突然抜き身の刃物を取り出したのである。


「軍神、建御雷神タケミカヅチは、雷神であり刀剣神! 喰らえ化け物!」


 鹿目は振りかぶると、野球選手がやるようなモーションで小太刀を投げた。投げられた小太刀は、切っ先を先頭にして水平に空を切っていく。白い線のような軌跡を残して、切っ先はロボットの形をとっていた金属の看板を貫いた。途端に燃え上がる。


「法隆寺さんよぉぉ。神使しんしの愛車をボコるとわぁ。いい度胸してるじゃねえか。今から行くから待ってろよ!」


 金属の看板は崩れ去った。

 鹿目は満足げに目を細めると、運転席のドアに手をかけた。大きな錆が皮手袋に食い込み、少し痛かった。構わず力を込めるが、ドアは、なかなか開かなかった。


「許さん! 許さんぞ法隆寺! 今日中に魔都化を止めてやる!」


 片足を車にかけて、鹿目征十郎はドアを引っ張っている。

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