幸せについて

 美味しいものをほおばった時。

 面白い本を読み終わってパタンと裏表紙を閉じた時。

 ウトウトしたい時にぎゅっと布団にくるまった時。

 どれも私は「幸せだなあ」と感じる。


 幸せと感じるためには、どうやら幸せホルモンと呼ばれる「オキシトニン」というホルモンが分泌される必要があるらしい。

 それはさておき、幸せというものは、意外と日常の小さなことでも感じるものだ。私だけではないと思う。


 ……そう、日常でも。


 忘れもしない2011年3月11日。東日本大震災が起こった当時、私は福島県に住んでいた。私の住んでいる地域は幸い被害が少なかったが、物流はしばらく滞っていた。足りない物資、食料。野菜なんて店頭にない。

「もう、鍋は一生食べられないかもね」

 冗談ではなくそう思ったし、そう話していた。

 いつの間にか物資は店頭に並ぶようになったし、鍋も食べられるようになったけれど、今度は、土いじりには気をつけなさい、と言われ、その他にもあちこちに爪痕を残していた。


 それが元で、私は実感したのであった。「当たり前って幸せなんだな」と。

 私たちが何気なく享受してきた当たり前の生活は当たり前ではなく、ありがたいもので、幸せなのだ。


 何かの本でこんな一節を見たことがある。「ありがとうの反対は当たり前」。それが当たり前だと感じてしまうと、感謝の気持ちが持てなくなるという意味だ。その時はピンと来なかったが、身をもって体感した。それが良いことだったか悪いことだったかはわからないが。

 理解はしていてもそのことを忘れかけていた頃、自由に出歩けていたこと、大学に当たり前に行けていたことが幸せだったのだと再び思わせる状況に陥った。


 そう、このコロナウイルスの蔓延だ。

 あの頃が幸せだった、戻りたいと思っても、どうなることやら。

 どうやら私たちは新たな当たり前に慣れて、その日常の中からちょっとした幸せを探すほかないらしい。

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