31.空っぽ
次の日の朝、目を覚ますと隣の布団に乃慧琉の姿は無かった。綺麗に畳まれた布団のセットを見て寝起きの詩音は一瞬、何事だと思う。
「………あれ」
揺れる頭を
「詩音おはよう」
「……おはよう、高岡さんは…」
「ああ、ノエルちゃんなら深夜にお手伝いさんだったかな…
言いながらフライパンに火をつけた父さんは冷蔵庫から卵を出し、それを器用に片手でボウルに割り入れる。
「みやけ…さん?」
知らない名前だ、そりゃあそうか。もしかするとこの前保健室に乃慧琉を迎えにきた人と同じ人物かもしれない。
「ノエルちゃんが詩音にメモ残しますって、机に置いてあるよ」
「えっ、どれ」
勢いよく布団から出てリビングの机に駆け寄る。机の上にはシンプルなメモ用紙が一枚さらりと置いてあり、詩音は掴むようにそれを手に取った。
"ありがとう。貸してくれた服は学校で返します。あおいちゃんによろしくね"
平らでない所で書いたみたいな、だけど達筆な字でそう書かれてある。よろしくねの後に笑った顔の丸いマークがちょこんと付けられてあり、乃慧琉らしく無いなと詩音は何となく思った。
「これ高岡さんが書いたの?」
「いや、帰り際に三宅さんがノエルちゃんの伝えたいことをメモに書いてそれを詩音にって」
「何時ぐらいに帰った?」
「ママの部屋は時計が無いからなぁ…1時ぐらいだったような」
父さんの話によると、三宅さんがここへ来る前に乃慧琉が書斎に顔を出したらしく、迎えが来ることを父さんのところまで伝えにきたというのだ。そして一人で布団を畳んで、横で眠る詩音の顔を尻目にこの家を出たとのこと。
自分がうっかりと眠ってしまった後も、乃慧琉はきっと起きていたのだ。それから何を思ったのかお手伝いさんに連絡を取って、父さんと母さんにだけ挨拶をして夜中のうちに帰ってしまった。
「サンドイッチ作ってるけど食べる?」
「……うん」
寝不足であろう父さんは、そんな気配など微塵も見せずに鼻歌を歌いながらフライパンを揺らしている。椅子に腰掛けた詩音はメモを机の端に置いて尋ねた。
「母さんは?」
「ママならギリギリ仕事を終えて、30分ぐらい前に寝たと思うよ」
「高岡さんのこと何か言ってた?」
「ん?特に言ってなかったけど……、起きてすぐに怒涛の質問タイムだな」
ははと笑った父さんに指摘され我にかえる。広角をあげたままの父さんから目を逸らし、綺麗に畳まれた布団に視線を移した。せめて一言、なんでも良いから声をかけてくれればよかったのに。心の中でポツリと思った詩音の気持ちを読んだのか、父さんが様子を確かめるようにこちらを振り向く。
「そういえば、ノエルちゃんすごく迷ってたよ」
「迷う?」
「部屋を出る前に詩音を起こそうか顔を覗き込んで迷って、可哀想だからってやめてた」
「起こしてくれてよかったのに」
「連絡先を聞きたかったらしいけど、やっぱり恥ずかしいから今度にしますって」
可愛らしいねと言ってから、バターの香りがするフライパンに溶いた卵を注ぎ込む。黄色い液体が高温の鉄に触れた瞬間、ジュワジュワと音を立てて膨らみ焼き上がっていくのが見えた。鮮やかな黄色の卵を眺める詩音は長い溜息を吐く。
「…高岡さんってなんか掴めないんだ。最近仲良くなったばかりだから余計に」
愚痴をこぼすように呟くが、フライパンを軽く振った父さんの横顔は笑顔だ。
「仲良くなったばかりだったら、そりゃあ掴めないね」
「かと思えば急に距離を詰めてきたり、よく分からないよ」
「詩音はそれで困っているの?」
困らされているかと聞かれると、そんな事はない。どちからと言えば三年生になって少しマンネリ化してた学校生活に、変化が出て逆にワクワクしてたりもする。
「まぁ、困っては…いないけど」
「ならいいじゃないか。少しずつ理解していけばね」
「もし理解できなかったら?」
「出来なかったらなんてやる前に考えなくて良いさ。理解しようと思うことが大事なんだから」
「…ふふ、父さんはポジティブでいいよね」
響いているのか響いていないのか、鼻を鳴らした詩音の言葉を最後に布団から起き上がる葵の唸り声でこの会話は終了した。
真っ白な布団から手をグッと伸ばし、肩まで伸びた髪を寝癖まみれにした葵は瞼を擦る。
「……なんか変な夢見たんだよ」
覚醒して直ぐの第一声がそれだ。そして隣にある四角に折り畳まれた布団を見て黙り込んだあと、思い出したように話し出す。
「…ハムスターの家に招かれて花の種を盛ったご飯を出されるんだけど、種は食べれないって断ったら、そのハムスターが凄く怒るんだよ」
そして人間がハムスターの世界に紛れ込んでいると襲われる夢だった、なんて顔を強ばらせたあと「もうちょっと寝る」と頭から布団に倒れた。
「自由人……」
葵ぐらい自分本位に話を進められれば、乃慧琉の言動にいちいち悩んだりしないかもなと思う。でもそうなると、反対に葵みたいな奴に振り回される自分みたいな人がいるんだからおかしな話だ。
「美味しく出来たよ」
目の前に差し出された厚焼き卵のサンドイッチに詩音はありがとうと頷く。ふっくらとしたパン生地を手に取り、大きく開いた口でかぶりついた。バター風味の卵ともちもちのパンを味わうように咀嚼しながら、こんなに美味しいの一緒に食べたかったなぁなんて思って、詩音はまた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます