17.心に穴が空く

終業のチャイムが鳴る。


終礼を終えてかばんを掴むように持った詩音は、早足で保健室に向かっていた。


「あれー、詩音なんで体操服なのー?」


ちょうど同じタイミングで終礼が終わったのか、他クラスの凛々果りりか叶音かなねと階段ですれ違った。


「破れたんだ、また明日」


話すと長くなるので、それだけ言って手を振る。凛々果は少し驚いた顔で、だけど普通に手を振り返していた。


「変なやつぅ」


なんて叶音の嫌そうな声が聞こえたけど構ってられない。駆け足で階段を降りて保健室に飛び込む。


「うわぁ〜、なんだびっくりした〜!一ノ瀬さんか〜」


ノックしてね〜と語尾を伸ばす寿里に、詩音は焦った様子で「高岡さんは」と尋ねた。椅子に座っていた寿里は思い出したように詩音を振り返る。


「あ、高岡さんね〜、親御さんの代理の方が迎えに来てくださってさっき帰っちゃったの〜」


「代理…?」


「そう。なんていったかな〜、家政婦さん?って言ってたかな」


授業に戻る前、なんとなく様子が変だったから走って来たけど、乃慧琉はもう居なかった。しかも家政婦ってなんだ。お嬢様かなんかなのか。


「なんで、代理なんですか…」


「えぇ、なんでだろうね〜。あんまり詳しいことは聞いてないんだよ〜」


聞いてないというよりも、むやみに家庭のことを聞かないが正しいか。直ぐ出たばかりなら今ならまだ間に合うかも。などと、考える詩音は異様に自分の気が急っていることに気付かない。


「乃慧琉の親御さんが忙しいからよ」


突如、背後から聞こえた声に詩音は勢いよく後ろを振り返った。保健室の出入り口に、さっきすれ違った叶音が立っている。でも叶音一人だけで、凛々果の姿はない。その叶音は初めて会った時よりも嫌悪感増し増しで詩音の事を見つめている。


「あんた本当に気持ち悪いわね。なに乃慧琉のこと探ってるの?」


「…………」


やっぱりこの子、言葉を選ばない。不意に傷つけられそうで怖い。

詩音は内心怯えながらも、怖い顔をしている叶音を見据える。


「…御堂みどうさんが言ってたこと、間違ってないと思ったから自分から高岡さんに聞いたんだ」


詩音の言葉に、叶音の眉間へピクリと皺が寄る。


「へぇ、度胸無さそうだし本当にやると思わなかった。それで何を聞いたのよ」


「まだ……何も聞けてはないけど…」


「あんたが乃慧琉の何を知りたいのか知らないけど、ヒーロー気取りしたいなら別の女でやった方がいいわよ」


「そんな、僕は…」


「ならなんだっていうの?乃慧琉のこと知ってどうするつもり?」


「…僕はただ、高岡さんの気持ちを分かりたくて」


言った瞬間、叶音のこちらを見る瞳が一層激しく鋭い視線に変わる。保健室に足音も立てずに入ってきた叶音は、詩音の真正面まで来て真下からギロリと詩音をめ付けた。


「…分かりたい?何を偉そうに。中途半端な上に浅はかな考えで他人の心に土足で踏み込んで、最後まで責任なんて取れないくせに」


叶音が放った台詞は、詩音の心に重く深くのし掛かる。返す言葉など無い、思わず黙り込む詩音。


「あんたは他人に構えるほど自分の人生幸せなのよ。そして幸せに麻痺してる奴ほど、人の悲しみが分からないわよね」


そう吐き捨てた叶音は詩音から離れた。そして高く結ったポニーテールを大きく振り、背中に不機嫌を背負って保健室から出て行く。

しぃんと、目に見えない空気の音が聞こえて来そうなほど静まり返る部屋。


何も言い返せなかった。それは圧に押されたからとか、叶音が怖かったからとか、そんなんじゃない。叶音の言葉通り、他人の責任なんて負えないと思ってしまったから。しかもヒーロー気取りと自分が目指す乃慧琉の助っ人とやら、二つは何も違わないじゃないか。


「……び、びっくりしちゃったね〜」


詩音の後ろで焦ったように寿里が勢いよく椅子をひいた。


「彼女は高岡さんのことが心配なんじゃないかな〜…」


「そう、なんですかね」


早口で言った寿里の言葉に、色の無い返事をした詩音。開けっ放しにされた保健室の入り口をしばらく眺めていた。

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