話したくない私と優しい君
14.鼻血と本性
頭が重い、体は怠い、まだ寝足りない、もっと寝てたい。朝は嫌だ、夜も嫌だ。気持ち悪い、気分は最悪…でもなんだかいい匂いがする。これなんの匂いだっけ。なんだっけ…
「ん……………」
そしていつものように夢の世界から現実の世界に戻ってこれば、目の前に半裸の
「きゃあ!なに………!」
思わず後方に飛び跳ねた乃慧琉。変態と言いかけて、自分の手に透明の小さなボタンが握られていることに気付く。
「まさか………このボタン、」
手を開いて確認する。そのまさかだ。自分がしたことを表す証拠になるボタンを大事そうに持って寝てた。犯人が乃慧琉だということを示すには充分すぎる代物だ。それに頭が覚めるにつれて記憶が蘇ってくる。数十分前、カーッと頭に血が昇って制御が効かなくなる感じがしたとこまでは覚えているのだ。
「そうだ、私……。一ノ瀬くんに約束を断られたと思って、それで」
怒ってシャツを引き裂いちゃったんだ。乃慧琉は眠気と苛立ちと焦燥と空腹とよく分からない何かに襲われて、とんでも無いことをしてしまったと怖くなった。
「もうやだ!最低…!」
「………ん、」
乃慧琉が一人勝手に騒ぎ立てたからか、ぱちりと目を覚ました詩音。
「あ、高岡さん………起きてたの……」
半裸でおはようと自分に向かって笑いかける詩音は、ある意味めちゃくちゃ恐ろしい。地面に尻餅をついた乃慧琉は小さく頭を下げる。
「一ノ瀬くんごめんなさい…」
「え…?」
ぱちくりと目を見開いた詩音だったが、乃慧琉は黒髪を白い頬に貼り付けたまま凍り付いている。
「シャツ駄目にしちゃって、それに酷いこと言っちゃって…」
「あ、ああ!気にして無いよ、僕」
ひどい出来事を思い出したのか、苦い顔をしながらも詩音はぶんぶんと音が鳴るぐらい頭を横に振った。そして納得するように頷く。
「高岡さんは眠たいし、しかもお腹も空いてたんだよね」
第五ボタンまで千切れて、空気に大きく晒された詩音の胸と腹。もはや乃慧琉は何と返せば良いのやら、気まずさに部屋の床を見つめる。
「言い訳でしか無いんだけど…私なんか一ノ瀬くんの匂い嗅ぐと気持ちが……」
…気持ちがなんなんだろう?新しい感情に気付きそうになり、唐突に恥ずかしくなってきて乃慧琉は口籠る。それを見た詩音は何を思ったのか、真剣な顔をして大きな声を上げた。
「気にしないで高岡さん!必要な睡眠を取らないと人はみんな感情が大変なんだ!」
シャツをはだけさせ、右手を大きく振って乃慧琉の前にどんと差し出してきた詩音。この人こんなキャラだっけ。自分がシャツを引き千切ったことで変にさせてしまったかもしれない。
「シャツなら縫えばいいよ。とりあえずお昼ご飯食べよう」
どうやら乃慧琉が起きるのを待っていたらしい。詩音は自分が座っていた椅子を乃慧琉に譲り、新しいものを机の近くに持ってきてそれに座った。戸惑いながらも乃慧琉は時計を見上げ、時間を確認するなりギョッとする。短い針がほぼ一周している、ということは一時間以上も眠っていたことになる。もう既に学校生活の時間は五限目に突入していた。
「ど、どうしよう、私のせいで一ノ瀬くんが授業に間に合わなかった…!」
本当にやってしまった。そう思うと、またもや慌てふためく乃慧琉。詩音が優しさで自分を起こさなかったんだと気付いた乃慧琉は罪悪感でいっぱいになる。自分だけならまだしも、関係無い人を巻き込んでまで寝ていたなんて。早く教室に戻ろうと勢いよく椅子から立ち上がったはいいものの、足を踏み出そうとすると激しい立ちくらみがした。
「きゃ……っ」
視界に映る地面が二重になって歪み、ぐらりと揺れる。バランスを崩した乃慧琉は椅子ごと後ろに倒れ込んだ。
「高岡さん!」
乃慧琉の名前を呼んだ詩音の大きな声が教室に響き渡る。物凄い音を立てて椅子が地面に叩きつけられ、二人の体は床に転がった。
「いっ………たぁい」
勢いよく後頭部から地面に倒れ込んだ乃慧琉だったが、咄嗟に詩音が手を伸ばして乃慧琉をかばってくれたお陰で大惨事になることはなかった。お尻を軽く打ち付けて涙目になる乃慧琉の上に被さるように詩音が居て、そして大きな胸の間に、詩音の顔がすっぽりとハマっている。そこに胸があって良かった、ちょうどクッションになった。なんて考えた乃慧琉は生存確認をするように「一ノ瀬くん」と詩音を揺らした。
「…うわわわわ、ごめ、ごめん」
パッと顔を上げた詩音の顔は真っ赤だ。そしてその赤い顔のまま真っ先に乃慧琉の頭を確認する。
「柔らか…じゃない、頭打ってない?」
「打ってないよ…」
「ほんとに?…よかった」
安心したのか乃慧琉の頭から手を離し、項垂れた詩音はがっくりと大きく脱力した。ありがとうと呟いた乃慧琉だったが、なんだか悲しかった。自分一人で寝て騒いで転んで、咄嗟に詩音が頭を庇ってくれたから良かったものの。あのまま倒れたら机の角に頭を強く打ち付けていた。
何をしているんだろう、本当に。
「……色々とごめんなさい」
もうこんな約束やめよう。一緒に寝てもらうだけと思って軽い気持ちでお願いしたけど、詩音への負担が大き過ぎる。
「約束、無かったことにしても……」
喉から絞り出した声が震えた。頭のどこかでそれは言いたく無いと自分が反抗してる。だけど拳を固く握り覚悟を決めて、もう一度それを言おうとした時、握り締めた拳の上からそっと被さる大きな手のひら。驚いた乃慧琉は顔をあげる。
「高岡さん、聞いて」
「………………」
「僕は何も気にして無いんだよ。別に怒ってもないし、傷付いてもいない。ほんとに君に怪我がなくて良かったし、こっちこそごめんね」
乃慧琉の胸に突撃したことを思い出し、気まずそうにする詩音。でも昼寝が出来てラッキーだったかも、なんて。そう言って照れ臭そうにはにかんだ詩音を見る乃慧琉の目は恐怖に染まっている。
「ち………」
「え?ちって何?」
「ち……っ、血が!」
「え??」
詩音の顔を指さす乃慧琉。それもそうだ、優しく笑う詩音の鼻から、赤黒い鮮血が一筋の線を作ってたらりと顎まで落ちていたのだから。詩音は違和感のする鼻の下を手の甲で拭う。そして肌にべっとりと付いた赤い血に驚きつつも、何がおかしいのか堪えきれないように吹き出した。
「私、ティッシュあるよ…っ」
乃慧琉が慌ててスカートのポケットからティッシュを引っ張り出す間も、詩音は何かが吹っ切れたように笑っていた。
だってさっき女の子の胸に事故とはいえど顔を突っ込んだんだ。ボールというよりも二つのお饅頭、いい香りのするお饅頭に包まれた瞬間、なんか全部がどうでもよくなった。それで鼻血が出るなんて漫画みたいだ。
「下向いて、鼻の頭押さえよう!」
さっきまで錯乱していたはずの乃慧琉も、血を見て逆に冷静になったのかテキパキと詩音の手当てを始める。さっきまで眠っていたからなのか、もうあまり眠そうには見えなかった。
掴めない言動をしがちな高岡さんも、普通の女の子の部分を持ってるんだ。詩音は新しい彼女を見つけた気がして何となく心が温かくなるような気分でいた。
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