序章 精霊の加護を受けた国/第1章 筆頭聖奏師の落日①

 緑豊かな王国、ファリントン。

 精霊のおんけいを受けたこの国は昔から、自然にめぐまれている。

 領土の西には貴族のしよ地として愛されるはん地方があり、南方にある海のさちに富んだおだやかな海や、北部の貴金属さいくつで栄える鉱山町などが特に有名だ。

 伝承によれば太古、じゆじゆつあやつじやしんとの戦いに勝利した大地の精霊たちが、祝福をあたえた国──それがファリントン王国であるという。

 大陸に存在する大小様々な国家の中でも、ファリントンは自然だけでなく、精霊の力にも恵まれている。

 ファリントンの人々は豊かな自然と精霊の加護、そうめいな代々の国王、そして──「せいそう」たちによって、永き平安の時を過ごしている。

 そう、信じられていた。


   ● ● ●


「──では、予定通りにせいげんの訓練の後、精霊へのいのり、そして講義に移ること。午後はそれぞれの配置について仕事をしてもらいます」

 ファリントン王国のしようちようでもあるはくの王城・ルシアンナ城のかいろうに、若いむすめのきびきびとした声がひびわたる。

 中庭の花々が望める回廊には、二十人近くの少女たちが集まっていた。一番若い者で十代前半、年長でも二十歳はたち手前くらいの、花もじらうとしごろの娘たちだ。みな一様にせいなローブを羽織っており、胸には不思議な形のわくかかえている。

 彼女らの視線の先にいる娘は、こしに片手を当てた姿勢で日程表を読み上げていた。

「本日、城下町のしんりようじよへ往診に行く人は?」

「はい、私とルイーザとアナベルです」

「では、きゆうで療養中の太后様への訪問は?」

「はい、私とセリーヌ、ヴェロニカ、ソニアです」

「よろしい。では、それ以外の人は私といつしよに城内勤務です。では、解散」

 その一言で、集まっていた少女たちはそれぞれの持ち場へと移動していく──が。

「うっ、きゃあっ!?」

 まだ十歳そこそこだろう少女が、り向きざまに自分のローブのすそんづけた。その小さな体がバランスをくずし、胸に抱えていた木枠がうでからすべり落ち──

「っ、ペネロペ!」

 どたん、という音を耳にして、日程表をかばんに片付けようとしていた娘が振り返った。彼女は急ぎ、少女ペネロペの方へける。

だいじようですか、ペネロペ!」

「うう……ひじが痛いです」

 体を起こしたペネロペは、たおれる寸前にかろうじて腕を前方にっ張ったらしく、左の肘が赤くなっていた。

 娘はペネロペの体と彼女が持っている木枠にばやく視線を走らせて、ほっと息をついた。

「……ペネロペも聖弦も無事のようですね。しかし……ペネロペ。今月に入って何度、聖弦を持ったまま転んだと思っているのですか!」

 はだに突きさるしつせきの声に、ペネロペはぐすっと鼻を鳴らした。

 ほかの少女たちが不安そうなまなしで見守る中、娘は説教を続ける。

「あなたの体もそうですが、聖弦がこわれたらどうするのですか! あなたの体の傷は自然えますが、聖弦はそうはいかないと、何度も言っているでしょう!」

「う、うえぇ……すみ、ません……」

「今回もまた、ローブの裾を踏んだのでしょう!? この前倒れた時に、裾が長いのなら自分で裾上げをしなさいと言ったでしょう!」

「ご、ごめんなさい。すっかり忘れてて……それに、私、さいほう苦手で」

 やれやれ、と娘は天をあおぐ。ペネロペはいつしようけんめいだしいい子なのだが、ぽややんとしすぎていて「うっかりミス」が非常に多い。そしてよく泣く。

「……苦手ならば、だれかの手を借りなさい。いいですか、ペネロペ。りよの事故はともかく、かいできることならば自分から危険を取り除くように用心しなさい」

「は、はい! 分かりました、セリア様!」

 ペネロペは仲間から受け取ったハンカチでなみだぬぐい、元気いっぱいに返事をした。

 返事だけは立派なのだから、早くそのおっちょこちょいなところも改善してほしいと、娘──セリアは切実に願っている。

 せいだいはなをかみながら、仲間に支えられてペネロペが去っていく。セリアはその場に立って、部下たちが持ち場に向かうのを見ていた。

「……見たか、今の」

「見た見た。すっげぇこえぇよな、セリア・ランズベリー」

 自分の持ち場に移動しようときびすを返しかけたセリアは、背後から聞こえてきた男性の声にぴくっと身をふるわせた。

「筆頭になったからってえらそうだよな。まだ十七とかそこらだろ?」

「そうそう。陛下に重宝されてるからって、俺たちにもあれこれ指図してくるんだぜ」

「あんまり言ってやるなよ。あれでもランズベリーこうしやくめいだろ?」

「あんなおっかなくて偉そうなオヒメサマ、公爵ももてあましてるんだろうなぁ」

 一応セリアの視界には入らない場所から言っているようだが、声をひそめるつもりはないようだ。むしろ、セリアに聞かせるつもりであれこれ言っているのではないか。

 セリアは数回深呼吸し、きりっと前を向いた。

 セリアと面と向かっている状態だったら、あんな強気にならないくせに。

 また、仲間と一緒ではなくて自分一人だったら、あんなかげぐちたたいたりしないくせに。

(私は強い、私は大丈夫。あんな人たちの言葉に、耳を貸す必要はない)

 まるで呪文のように、セリアはおのれに言い聞かせた。


 ──太古、邪神が呪術をもって人類を苦しめていたが、そこに現れた精霊が邪神と戦って勝利して、ふういんすることに成功した。

 今後も末永くこの地を守っていきたいと考えた精霊だが、彼らは人間ではない。だから精霊たちは加減を知らないし、人間の体の限界や可能性が分からないのだ。

 そこで精霊たちが自分たちとのあいしようのいい女性を選び出し、「あなたたちが音楽をかなでることで、自分たちが力をうまく使えるようにしてほしい」とたのんだのが、聖奏師や聖奏の始まりだとされている。

 一度は封印された邪神は今でも、人間たちにすきが生まれるのを待っている。そして人間が他人をうらむ気持ち、害そうとする気持ちなどを持つとそれに反応して、自分の能力の一部である呪術を分け与える。

 呪術によって、人はじんえた力を得てしまう。過去にも呪術に手を染めてしまった人間は存在したが、大地を守護する精霊と相反する邪神の能力を得るのは、人として最も恥ずべきこうだと説かれている。よって、呪術に関する書物はあまり多くない。

 セリアたち聖奏師は、己の力を正しく使い、精霊と協力してこの世界を邪神から守る役目を背負っている。

 それはセリアたちにとって重責であるが……同時に限りないほどほこらしい使命だった。


「──ではこれから、心身のろうやわらげて自己再生能力を高める聖奏を行います」

 セリアはそう言い、正面の簡易ベッドに横たわる青年を見下ろした。

 彼を運んできた騎士の説明によると、彼は気温の上がる昼間までいつさい水分を取らないまま活動を続けた結果、ばったり倒れてしまったそうだ。

 水分を取らせてすずしい場所にかせたが、日頃のつかれがたまっていたこともあいまって起き上がれない状態だということで、騎士団め所にセリアが呼ばれたのだ。

 ベッドに寝る騎士とに座るセリアを、他の騎士たちは少しはなれたところから見ている。心なしか、その目には何かを期待するような光が宿っているように感じられた。

 ぼんやりとした目でてんじようを見上げる騎士のしようじようを観察した後、セリアはそれまでひざせていた木枠を左腕に抱える。それは、弦の張られていないたてごと

 騎士たちが期待の眼差しで見てくる中、セリアは木枠で囲まれた何もない空間部分に、一度二度、そっと手のひらを滑らせた。

 この大地に宿るせいれいに、力を貸してほしいと呼びかける。そうして──セリアの手のひらがでていた空間に、光りかがやく十八本の弦が張られた。

 朝日に照らされた蜘蛛くもの糸のように、夜の雲間から差し込む月光のように輝く十八本の弦を備えたそれは、もうただの木枠ではない。

 セリアたち聖奏師のみがあつかえる、精霊の力を宿した楽器──聖弦。騎士たちもため息をつくほどこうごうしい、精霊の加護を得た楽器である。

 セリアは聖弦を膝とひだりかたで支え、右手の人差し指で手近な弦をはじいた。ピン──とたった一音つまいただけでも、詰め所の空気が一気にじようされたような気がした。

 セリアは、げんに右手を滑らせた。奏で始めたのは、昔から弾き慣れている曲。

 聖奏師は、精霊の力を宿した聖弦を奏でることによって、聞く者のあらぶる心を静めたり苦しみを取り除いたり、傷をいやしたりできる。

 聖弦を使って演奏する曲──聖奏にはじゆじゆつを解除する曲、自己再生能力を高める曲、いらつ心をなだめる曲などが存在する。今回セリアが聖奏に選んだのは、聖奏師ならば見習いでも奏でることのできる難易度の低い曲だった。

 聖奏の力は女性のみに現れる、先天的なもの。しかも能力のさかりは十代の後半で二十代に差しかると一気にその力はおとろえ、それ以降は最前線で働くことは難しくなる。

 子どものころから聖奏の勉強を続けてきたセリアは、生まれ持ったせんざい能力がかなり高い方だ──と自分では思っている。

 セリアの実家であるランズベリー公爵家の一族の娘は、聖奏師としての高い実力を備えていることが多い。現ランズベリー公爵の姪であるセリアは、一族の期待を一身に背負って今、ファリントン王国の筆頭聖奏師の地位にいているのだ。

 セリアが筆頭になってから、約一年。

 聖奏師としての才能がき誇る時期を終えるまで、あと四年程度。

(それまでの間、私は筆頭としての役目をまつとうしてばんを築かないと)

 セリアは聖奏を続けながら、ベッドに横たわる騎士の様子をかくにんした。

 先ほどはせわしなく息をついていた彼も今は呼吸が整い、目のしようてんも合っている。自己再生能力も上がったようで、はだかになっていた上半身のあちこちにいていたあざや小さなきずあとも、少しずつふさがっていく。

(……そろそろいいわね)

 ピン、とはかない音と共に聖奏を終えると、耳をかたむけていた騎士たちは目を見開いた。

「えっ……もう終わりか?」

「はい、終わりです」

「いや、でもこれってまだ続きがあるだろう?」

 騎士たちがまどったように聞いてきた。確かに、セリアが奏でていた曲はまだ続きがある。セリアが弾いたのは、全体の三分の一程度までだ。

 だがセリアは表情をくずすことなく弦に手をすべらせ、それまで騎士たちをりようしていた美しい弦を一気に消してしまった。

「続きはありますが、こちらの方もだいぶ体力が回復してきたようですし、これ以上の聖奏は不要だと判断しました」

「不要って……別に、最後まで弾いたって減るものじゃないだろう」

 そう不満そうに言ったのは、それまでベッドに寝ていた騎士だ。

 彼は上半身を起こし、さっさとわくを片付けてしまったセリアを恨めしそうに見ている。

「もっと続きを聞かせてくれよ。それがあんたたちの仕事だろう」

ちがいます」

 セリアは自分より年長の騎士にもはばかることなく、ぴしゃりと言い放った。

「私たちの仕事は精霊たちの力を借りて、人々の生活の支えになるような聖奏を行うことです。必要以上に聖奏しても、人が生まれ持ったていこう力や精神力、士気を弱めるばかり。あなたも、もう少し休めば難なく訓練に復帰できるでしょう」

「はぁ? 完治させずにかんじやを放置するってのか!?」

 いよいよ騎士たちはセリアにえんりよすることをやめたようだ。かべぎわにいた騎士たちも、不満をかくそうともせずに詰め寄ってくる。

「やってられないな! こんなちゆうはんな仕事でも、金は取るんだろ!?」

「それはまあ、こちらにも資金は必要なので」

 聖奏師の仕事は、ぜん事業ではない。王城に仕える聖奏師たちの生活費や聖弦の手入れ道具のこうにゆうなどに使うので、金はいくらあっても足りないくらいだ。これでもかなり良心価格に設定している方だし、そもそもこの価格を設定したのはセリアではない。

 セリアは、聖弦を入れたかわせいケースをかついだ。

「……これから先も何かご用がありましたら、私たちにお申し付けくださいませ」

「……ちっ」

 騎士たちは射殺さんばかりの目でセリアをにらみつけてくるが、手を出すつもりはないようだ。ここで苛立ちに任せてセリアをなぐったら最後、今後聖奏師たちに仕事をらいすることができないと分かっているからである。

 セリアは騎士たちに背を向けて、詰め所を後にした。

 どれほど心を込めて聖奏しても、人の傷を癒しても、感謝されるばかりの仕事ではない。そのことを、セリアも重々承知していた。

 セリアは、去年引退した先代筆頭聖奏師からの教えを心に刻み活動している。聖奏に対するセリアの行動がいねんも、代々聖奏師に受けがれてきた信念である。

 だが、セリアのはきはきした物言いやこうはいしつする姿は、ばんにんから好意的に受け止められるわけではない。

(でも、だいじよう

 聖奏師仲間たちは、セリアが厳しい理由もちゃんと分かっている。

 泣き虫なペネロペだって、「セリア様のことが大好きです」と言ってくれる。

 周りに何を言われようと、大丈夫。自分は、正しいことをしているのだから。


(今日も一日、疲れた)

 退出のあいさつをして、最後の後輩が部屋を出ていく。

 聖奏師の詰め所で仕事をしていたセリアは、うーんとびをした。報告書を束ねてひもじて、セリアはデスクのはしに置いていた書類を手にした。

 それは、明日入ってくる予定である新人聖奏師についての調査書だった。

(ミュリエル・バーンビー。王国西のはん地方出身。誕生直後はそうでもなかったけれど成長するにつれて聖奏師の能力が高くなっていった、めずらしい例ね)

 ファリントン王国では、女児が誕生すると各地方領主のしきに参上し、聖奏師の資格があるかどうかを検査することになっている。セリアも王都の機関で検査を受け、ランズベリー公爵家の名にじない数値をたたき出した、と叔父おじから言われている。

 叔父公爵の姉夫妻であるセリアの両親は十年以上前に事故で死亡してしまったが、両親も才能にめぐまれたセリアの誕生を心から喜んでくれた──そうだ。

(ミュリエルは、十五歳……私より二つ年下ね)

 調査書を読みながら、二十数名いる聖奏師の顔を頭の中で思い浮かべる。

 大半の聖奏師は、セリアより年下だ。今朝のようにしかることもあるが、それでも可愛かわいい後輩であることに間違いはない。ペネロペなんて今月に入ってもう何度叱ったか分からないくらいだが、それでも彼女は少しずつ成長していた。

 数名は年上もいるが筆頭であるセリアに従い、困った時には親身になって相談に乗って手を貸してくれるので、セリアも彼女らにたよらせてもらっていた。

 現在のところ、聖奏師としてのうでまえは間違いなくセリアが一番だ。セリアが筆頭になってまだ一年足らずだが、そもそも少女たちが聖奏師として役目を全うできる期間は短い。今から次の筆頭候補を考えておいても、おそくはない。

 実際に会って実力を確かめなければ何とも言えないのだが、もしミュリエルの才能がほかの聖奏師たちを上回っており、彼女自身にそれだけのうつわがあるのならば、次期筆頭の座にえるというのも十分考えられることだ。

(どんな子かしら……みんなと仲良くなれるといいのだけれど)

 ミュリエルの調査書をデスクにもどしたセリアの耳に、ドアがノックされる音が届いた。

「セリア、在室だろうか」

 そう問うてきた青年の声を耳にした、とたん。

(あっ──)

 とくん、とセリアの胸が甘くときめく。それまで仕事のことや仲間のことばかり考えていた頭の中がすうっと晴れ、ふわふわとした幸福感でいっぱいになる。

「は、はい。今すぐ開け──」

 最後まで言う前に、ドアが開かれた。

 そこに立っていたのは、二十代半ばの青年だった。くせのある灰色のかみすきからのぞく空色の目に見つめられると、ふわふわと体中が心地ここちよくなってくる。

 彼は後ろ手にドアを閉めるとから立った姿勢のままこうちよくしてしまったセリアを見て、いたずらっ子のように微笑ほほえんだ。

「今日も遅くまでご苦労だった、セリア」

「へ、陛下こそ、おいそがしい中おいでくださり、ありがとうございます」

 セリアは椅子につまずきそうになりながら青年のもとにけ寄り、彼が差し出した上着を受け取った。けんしようやバッジが大量に付いた上着は、見た目以上に重い。

「すぐにお茶をおれしますね。そちらにおけください」

「ああ、いつもありがとう」

 そう言って、青年──ファリントン王国の若き国王であるエルヴィスは快活に笑う。彼に見つめられていると思うと、茶の準備をするセリアのほおはあっという間に真っ赤に染まっていく。

 セリアが淹れた茶は、「ものすごくうすい」か「ものすごくしぶい」かのどちらかだ。今回も茶葉を取り出した後でおそるおそるポットの中を見てみたが、案の定その色はものすごく薄い。みなと同じ手順で、同じ時間らしているはずなのに、どうしてこうなるのだろう。

「ど、どうぞ」

 カップに注いでエルヴィスに差し出す。彼は紅茶を飲んだ後、ふふっと笑った。

「これはすごいね。色は薄いのにすごく苦い」

「す、すみません」

「いいんだよ。……それじゃあ、今日の報告をたのもうか」

 エルヴィスに言われたセリアは表情を改めて、先ほど綴じた書類を差し出した。

「……城下町のおうしんに、太后ははうえの診察。いつも助かっている、ありがとう」

「いえ……」

団の方でも、仕事をしてくれたみたいだな。……私も先ほど耳にしたのだが、連中は君たちに対して心ない言葉をぶつけているということだが、どうなのだ? 騎士団には、聖奏師には敬意をはらうようにとつねごろから忠告はしているのだが──」

「いいえ、私の性格が彼らに受け入れられないからでしょう。それに、あれこれ言われるのはもつぱら私のみ。部下たちは特に何も言われておりませんので、大丈夫かと」

 エルヴィスに問われたセリアは、はっきりと答えた。

 部下たちが暴言をかれるのならばともかく、連中が文句を言うのはセリアに対してだけだ。自分の性格はきつくてがんなので、多くの者からけむたがられていることも分かっている。

(でも、分かってくれる人がいるから、大丈夫)

 部下たちや、公爵家のしんせきひとにぎりの顔見知り。そして──

 エルヴィスはだまって書類に判をして、顔を上げた。

「……セリア。こちらへ来なさい」

 ──つやめいたエルヴィスの言葉に、セリアの心が、体が、かんふるえる。

「……はい」

 どくどくと脈打つ胸に手を当てたセリアは浅い息をつきながらこしを上げ、テーブルを回ってエルヴィスの座るソファへと向かった。

 すかさずエルヴィスの腕が伸び、セリアの腰をき寄せる。

「陛下──」

「セリア、今だけは『陛下』はだめだと言っているだろう?」

「あ……!」

 エルヴィスは、セリアの右のこうにふうっと息をき込みながらそうささやく。彼は、セリアが耳と首に弱いことを知っているのだ。

 思わずぞくっと身を震わせたセリアは、エルヴィスを見上げた。宝石のようにかがやく彼の目を見ていると、酒にったかのように頭の中がぼんやりとしてしまう。

「……んっ、はい、エルヴィス様」

「よろしい」

 くくっと低く笑う声に続き、セリアのくちびるがふさがれた。

 仕事の報告をするだけなら、セリアが書類を持ってしつ室に行けばいいだけのこと。なぜ国王自ら聖奏師の作業部屋まで来るのかというと、「これ」のためだった。

 筆頭として働いていると、自然とエルヴィスとのきよが近くなった。そして……この、若き国王と筆頭聖奏師のひそかなこいが始まったのが、半年ほど前のこと。

 ゆっくり唇をはなしたエルヴィスは、空色の目でじっとセリアを見つめた。

「……セリア、国が安定するまで、待っていてくれるか」

「……エルヴィス様」

「君の叔父上──ランズベリー公爵もなつとくしてくださるような国王になれたら、君をきさきむかえたい。……それまで、待っていてほしい」

 エルヴィスは八年ほど前に、長年こうそう状態にあったりんごく・グロスハイム王国にめ込み王子・コンラートをらえたことで、グロスハイムを制圧した。これにより、元々第三王子で王位から遠かった彼は兄王子たちを押しのけて、王太子になった。

 そんな、ゆうもうかんな若き王。セリアは、彼のとなりに並ぶ権利をあたえられた女性なのだ。

「……は、はい。あの、エルヴィス様。私もあなたの妃にふさわしい人間になれるよう、今以上にがんります」

「頑張るのはいいけれど、無理はしすぎないように」

「もちろんでございます」

 セリアは微笑み、エルヴィスの胸に身を預けた。

 頑張れる。どんなにつらくても、ひどい言葉を掛けられても、頑張れる。

(陛下、あなたにふさわしい女になります)

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