序章 精霊の加護を受けた国/第1章 筆頭聖奏師の落日①
緑豊かな王国、ファリントン。
精霊の
領土の西には貴族の
伝承によれば太古、
大陸に存在する大小様々な国家の中でも、ファリントンは自然だけでなく、精霊の力にも恵まれている。
ファリントンの人々は豊かな自然と精霊の加護、
そう、信じられていた。
● ● ●
「──では、予定通りに
ファリントン王国の
中庭の花々が望める回廊には、二十人近くの少女たちが集まっていた。一番若い者で十代前半、年長でも
彼女らの視線の先にいる娘は、
「本日、城下町の
「はい、私とルイーザとアナベルです」
「では、
「はい、私とセリーヌ、ヴェロニカ、ソニアです」
「よろしい。では、それ以外の人は私と
その一言で、集まっていた少女たちはそれぞれの持ち場へと移動していく──が。
「うっ、きゃあっ!?」
まだ十歳そこそこだろう少女が、
「っ、ペネロペ!」
どたん、という音を耳にして、日程表を
「
「うう……
体を起こしたペネロペは、
娘はペネロペの体と彼女が持っている木枠に
「……ペネロペも聖弦も無事のようですね。しかし……ペネロペ。今月に入って何度、聖弦を持ったまま転んだと思っているのですか!」
「あなたの体もそうですが、聖弦が
「う、うえぇ……すみ、ません……」
「今回もまた、ローブの裾を踏んだのでしょう!? この前倒れた時に、裾が長いのなら自分で裾上げをしなさいと言ったでしょう!」
「ご、ごめんなさい。すっかり忘れてて……それに、私、
やれやれ、と娘は天を
「……苦手ならば、
「は、はい! 分かりました、セリア様!」
ペネロペは仲間から受け取ったハンカチで
返事だけは立派なのだから、早くそのおっちょこちょいなところも改善してほしいと、娘──セリアは切実に願っている。
「……見たか、今の」
「見た見た。すっげぇ
自分の持ち場に移動しようときびすを返しかけたセリアは、背後から聞こえてきた男性の声にぴくっと身を
「筆頭になったからって
「そうそう。陛下に重宝されてるからって、俺たちにもあれこれ指図してくるんだぜ」
「あんまり言ってやるなよ。あれでもランズベリー
「あんなおっかなくて偉そうなオヒメサマ、公爵ももてあましてるんだろうなぁ」
一応セリアの視界には入らない場所から言っているようだが、声を
セリアは数回深呼吸し、きりっと前を向いた。
セリアと面と向かっている状態だったら、あんな強気にならないくせに。
また、仲間と一緒ではなくて自分一人だったら、あんな
(私は強い、私は大丈夫。あんな人たちの言葉に、耳を貸す必要はない)
まるで呪文のように、セリアは
──太古、邪神が呪術をもって人類を苦しめていたが、そこに現れた精霊が邪神と戦って勝利して、
今後も末永くこの地を守っていきたいと考えた精霊だが、彼らは人間ではない。だから精霊たちは加減を知らないし、人間の体の限界や可能性が分からないのだ。
そこで精霊たちが自分たちとの
一度は封印された邪神は今でも、人間たちに
呪術によって、人は
セリアたち聖奏師は、己の力を正しく使い、精霊と協力してこの世界を邪神から守る役目を背負っている。
それはセリアたちにとって重責であるが……同時に限りないほど
「──ではこれから、心身の
セリアはそう言い、正面の簡易ベッドに横たわる青年
彼を運んできた騎士の説明によると、彼は気温の上がる昼間まで
水分を取らせて
ベッドに寝る騎士と
ぼんやりとした目で
騎士たちが期待の眼差しで見てくる中、セリアは木枠で囲まれた何もない空間部分に、一度二度、そっと手のひらを滑らせた。
この大地に宿る
朝日に照らされた
セリアたち聖奏師のみが
セリアは聖弦を膝と
セリアは、
聖奏師は、精霊の力を宿した聖弦を奏でることによって、聞く者の
聖弦を使って演奏する曲──聖奏には
聖奏の力は女性のみに現れる、先天的なもの。しかも能力の
子どもの
セリアの実家であるランズベリー公爵家の一族の娘は、聖奏師としての高い実力を備えていることが多い。現ランズベリー公爵の姪であるセリアは、一族の期待を一身に背負って今、ファリントン王国の筆頭聖奏師の地位に
セリアが筆頭になってから、約一年。
聖奏師としての才能が
(それまでの間、私は筆頭としての役目を
セリアは聖奏を続けながら、ベッドに横たわる騎士の様子を
先ほどはせわしなく息をついていた彼も今は呼吸が整い、目の
(……そろそろいいわね)
ピン、と
「えっ……もう終わりか?」
「はい、終わりです」
「いや、でもこれってまだ続きがあるだろう?」
騎士たちが
だがセリアは表情を
「続きはありますが、こちらの方もだいぶ体力が回復してきたようですし、これ以上の聖奏は不要だと判断しました」
「不要って……別に、最後まで弾いたって減るものじゃないだろう」
そう不満そうに言ったのは、それまでベッドに寝ていた騎士だ。
彼は上半身を起こし、さっさと
「もっと続きを聞かせてくれよ。それがあんたたちの仕事だろう」
「
セリアは自分より年長の騎士にも
「私たちの仕事は精霊たちの力を借りて、人々の生活の支えになるような聖奏を行うことです。必要以上に聖奏しても、人が生まれ持った
「はぁ? 完治させずに
いよいよ騎士たちはセリアに
「やってられないな! こんな
「それはまあ、こちらにも資金は必要なので」
聖奏師の仕事は、
セリアは、聖弦を入れた
「……これから先も何かご用がありましたら、私たちにお申し付けくださいませ」
「……ちっ」
騎士たちは射殺さんばかりの目でセリアを
セリアは騎士たちに背を向けて、詰め所を後にした。
どれほど心を込めて聖奏しても、人の傷を癒しても、感謝されるばかりの仕事ではない。そのことを、セリアも重々承知していた。
セリアは、去年引退した先代筆頭聖奏師からの教えを心に刻み活動している。聖奏に対するセリアの行動
だが、セリアのはきはきした物言いや
(でも、
聖奏師仲間たちは、セリアが厳しい理由もちゃんと分かっている。
泣き虫なペネロペだって、「セリア様のことが大好きです」と言ってくれる。
周りに何を言われようと、大丈夫。自分は、正しいことをしているのだから。
(今日も一日、疲れた)
退出の
聖奏師の詰め所で仕事をしていたセリアは、うーんと
それは、明日入ってくる予定である新人聖奏師についての調査書だった。
(ミュリエル・バーンビー。王国西の
ファリントン王国では、女児が誕生すると各地方領主の
叔父公爵の姉夫妻であるセリアの両親は十年以上前に事故で死亡してしまったが、両親も才能に
(ミュリエルは、十五歳……私より二つ年下ね)
調査書を読みながら、二十数名いる聖奏師の顔を頭の中で思い浮かべる。
大半の聖奏師は、セリアより年下だ。今朝のように
数名は年上もいるが筆頭であるセリアに従い、困った時には親身になって相談に乗って手を貸してくれるので、セリアも彼女らに
現在のところ、聖奏師としての
実際に会って実力を確かめなければ何とも言えないのだが、もしミュリエルの才能が
(どんな子かしら……みんなと仲良くなれるといいのだけれど)
ミュリエルの調査書をデスクに
「セリア、在室だろうか」
そう問うてきた青年の声を耳にした、とたん。
(あっ──)
とくん、とセリアの胸が甘くときめく。それまで仕事のことや仲間のことばかり考えていた頭の中がすうっと晴れ、ふわふわとした幸福感でいっぱいになる。
「は、はい。今すぐ開け──」
最後まで言う前に、ドアが開かれた。
そこに立っていたのは、二十代半ばの青年だった。
彼は後ろ手にドアを閉めると
「今日も遅くまでご苦労だった、セリア」
「へ、陛下こそ、お
セリアは椅子に
「すぐにお茶をお
「ああ、いつもありがとう」
そう言って、青年──ファリントン王国の若き国王であるエルヴィスは快活に笑う。彼に見つめられていると思うと、茶の準備をするセリアの
セリアが淹れた茶は、「ものすごく
「ど、どうぞ」
カップに注いでエルヴィスに差し出す。彼は紅茶を飲んだ後、ふふっと笑った。
「これはすごいね。色は薄いのにすごく苦い」
「す、すみません」
「いいんだよ。……それじゃあ、今日の報告を
エルヴィスに言われたセリアは表情を改めて、先ほど綴じた書類を差し出した。
「……城下町の
「いえ……」
「
「いいえ、私の性格が彼らに受け入れられないからでしょう。それに、あれこれ言われるのは
エルヴィスに問われたセリアは、はっきりと答えた。
部下たちが暴言を
(でも、分かってくれる人がいるから、大丈夫)
部下たちや、公爵家の
エルヴィスは
「……セリア。こちらへ来なさい」
──
「……はい」
どくどくと脈打つ胸に手を当てたセリアは浅い息をつきながら
すかさずエルヴィスの腕が伸び、セリアの腰を
「陛下──」
「セリア、今だけは『陛下』はだめだと言っているだろう?」
「あ……!」
エルヴィスは、セリアの右の
思わずぞくっと身を震わせたセリアは、エルヴィスを見上げた。宝石のように
「……んっ、はい、エルヴィス様」
「よろしい」
くくっと低く笑う声に続き、セリアの
仕事の報告をするだけなら、セリアが書類を持って
筆頭として働いていると、自然とエルヴィスとの
ゆっくり唇を
「……セリア、国が安定するまで、待っていてくれるか」
「……エルヴィス様」
「君の叔父上──ランズベリー公爵も
エルヴィスは八年ほど前に、長年
そんな、
「……は、はい。あの、エルヴィス様。私もあなたの妃にふさわしい人間になれるよう、今以上に
「頑張るのはいいけれど、無理はしすぎないように」
「もちろんでございます」
セリアは微笑み、エルヴィスの胸に身を預けた。
頑張れる。どんなに
(陛下、あなたにふさわしい女になります)
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