序章 バラッコボリの兄妹

 ──やだやだ! 連れていかないで! リーくん行かないで!

 必死に手をばしても、大人は無情に兄のうでを引いていくし、彼自身もそれを受け入れたかのようにていこうせずについていく。さけぶルーナのとなりにいるもう一人の兄も、うつむきこぶしふるわせ、彼が消えてしまうことを必死で受け入れようとしているかのようだ。

 ──お願いだから、いなくならないで!

 声の限りに叫べば、彼は大人に何事かを言ってルーナのもとへもどってきた。泣きじゃくるルーナの頭に手を置いて、安心させるようにそっと笑う。

 ──だいじようだ、ルーナ。俺の存在がこの世から消えて二度と会えなくなってしまっても、いつしよに過ごした日々が消えるわけじゃない。俺の心は、ずっと二人のそばに。ずっと、二人を思っているよ。



(なんでこんなことに……!)

 びんぼうという以外はへいぼんな生活をしていたはずのルーナは、息を切らしながら街中をしつそうしていた。かたの下で切りそろえたちやぱつに、緑のひとみだんならどこへ行っても周囲の風景にまいぼつする平凡中の平凡な容姿だが、今は周囲にまばらにいる人々が何事かと視線を向けてくる。

 彼女の少し前には、同じ速度で走るたんぱつの少年がいた。彼が片手に持っているのは、さっきまでルーナが手にしていたはずの荷物だ。

(なんでよりによって制服を……あれがないと入学できないのに!)

 少年の名前はラルフ。かつて養護院で育った仲間……のはずだ。だからこそ、ルーナはけいかいもせず彼のもとへ行き、そして荷物をうばわれてしまったのだ。

「ラルフ! それは金目のものでもなんでもないよ! お願い返して!」

「やだね! これが俺にとっては金目のものなんだよ!」

(金目のもの? まあ、売ればそれなりのお金にはなるかもしれないけど)

 ラルフが手にしているのは、この国ゆいいつすなほう育成機関、ウルビス学園の制服だ。

 砂魔法とは、とくしゆな砂を使って発動させる魔法のこと。国に唯一砂魔法の使用を許される砂魔法師は、あらゆる面でゆうぐうされ高給取りでもある。砂魔法師の中でも階級があるとは聞いているが、とりあえず砂魔法師になれば、一生衣食住に困ることはないだろう。

(あー……温かいとんとおいしいごはん。ミートパイと……ミートパイ!)

「ラルフ! それがないとミートパイ……じゃない。ウルビス学園に入学できないの!」

 ルーナのうつたえを無視してラルフは走り続ける。ルーナはその背を追いかけながら叫んだ。

「その人どろぼうです! つかまえて!」

 人々がさわぎに気づいてり返るが、それだけだ。この街ではめずらしくもない光景に感覚がしているのか、走る二人を見送るだけ。何しろ、この街は犯罪地域として有名なバラッコボリの隣街。ごろのスリやひったくりは当たり前だ。

(仕方ない……)

 ルーナは手近な石を拾い上げると、ラルフの背に向かって思いきり投げた。

いてえ!」

 ゴッと音がしてラルフがのけぞる。足を止めたラルフにいつしゆんで追いつくと、荷物を手にした彼の腕をつかみ彼の背にひざをあて、全体重をかけて地面に押したおした。

「ぐあ! くっそ……お前なんなんだよ。本当に女か?」

「女だよ! とにかく制服は返してもらうから!」

 そう言って荷物を奪おうとしたが、なぜか彼の手に荷物がない。ハッと気づいて顔を上げれば、いつの間にか前方にほうられた荷物をくろかみの少女が拾いあげるところだった。すぐに取り返そうとするが、後ろからラルフにめにされる。

「ミア、行け! それさえあれば俺たちは仕事がなくても暮らしていける!」

「何その誤解! いくらウルビスの制服だって、そんな高値で売れないよ!」

 ルーナはラルフを振りはらおうとするが、さすがに男の力で押さえこまれれば身動きがとれない。

 ミアは不安そうにつぶやいた。

「ラルフ、もしルカに見つかったら……」

「ルカは女に手出ししない。いいから行け! やるって決めたろ?」

 ラルフの言葉にミアは決意したように表情を引き締めると、道の向こうへと走り出し、そしてすぐに足を止めた。急に空になった自分の両手を不思議そうに見下ろしている。同じ時ルーナが視界を横切る黒いかげに気づけば、近くで聞き慣れた声が聞こえた。

「女には手出ししなくてもな」

 ふっとルーナの体が軽くなる。

「妹に手を出す男にゃようしやしねーよ!」

 ズシャアッとやたらと激しい音がして、ルーナの隣でラルフが地面にたたきつけられた。

ってええええええ!」

 ラルフの上に足を乗せ彼の腕をひねりあげるのは、ルーナの兄のルカだ。ルーナよりも色のい茶髪に、ルーナと同じ緑の瞳。ルーナには似ていないおそろしいほどに整った顔からは、いつさいの表情がけ落ちている。ラルフの腕を掴んでいないほうの手には、さっきまでミアが持っていたはずの荷物があった。

「ルーくん!」

 ルーナが顔をかがやかせると、ルカが心配そうにまゆをひそめてルーナを見た。

「ルーナ、は?」

「ないよ。大丈夫」

 ルカはほっとしたように表情をゆるめたが、すぐに表情を消しラルフに視線を戻した。

「で、だれの指示だ?」

(指示?)

 その聞き方では、まるでラルフが誰かにらいされてぬすみを働いたかのようだ。ルカの推測はちがっていなかったようで、彼の顔が険しくなる。

「誰が言うかよ。これは仕事だ。俺はこの道のプロに……ぎゃ──!」

 ラルフが言い終わる前に、ルカが彼の腕をさらに捻りあげていた。ミアが口元に両手をあて青ざめ、ルーナは片目をつむり横を向いた。昔の知り合いに本気でごうもんめいたことをしたわけではないだろうが、結局ラルフが口を割るまでには一分とかからなかった。

「言うよ! 言う! くっそ、なんでいつもルカが出てくんだ……」

 ラルフはルカに解放されると、地面に胡座あぐらをかいてぶつぶつ言いながらも口を開いた。

「その……名前は聞いてないんだ。フードをかぶってて顔も見えなくて……ただ、いてるくつは高級そうだった。あとは……ぶつそうなこと言うわりにれいな言葉つかってたな。その、最初はルカとルーナを殺せって言われたんだよ。それはできないって言ったら、だったら制服を盗めって。そしたら三年は遊んで暮らせるだけの大金をやるって言われたんだ」

 ルーナは息をのんだ。

(私たちの入学をよく思わない人がいるんだ……まあ、予想しなかったわけじゃないけど)

 どうも、ルーナたちをじやに思う、もしくはうらみをもっている誰かがいるようなのだ。

 二年前に砂魔法師の素質を見いだされてすぐ、とつぜんさつとうした貴族のようえんぐみをすべて断ったから、そのせいかもしれない。上から目線で「我が家に招き入れてやる。はなやかなドレスを着せ社交界の華にしてやろう」と言ってくる貴族たちを見たら、「あ、大丈夫です」とついその場で断ってしまったのだ。権力やドレスに興味がなかったとはいえ、もう少し断り方を考えればよかったと思う。

(それにしても)

 ルーナはラルフの顔をのぞき込んだ。

「ねえラルフ。前に仕事、見つかったって言ってたよね。どうしてこんなことしたの?」

「……た」

「え?」

「クビになった!」

 ルーナがおどろいてだまると、ラルフは舌打ちをして近くの地面をにらみつけた。

「文字もまともに書けなくて計算もおそい無能はいらないって……それで、家賃も払えなくなって……もう今月で追い出されるんだ。ミアもいるから待ってくれって何度もたのんだけど、聞いてもらえなくて……」

(ひどい……仕事をなくすだけでもつらいのに、無能呼ばわりなんて……)

「それは……辛かったね」

 ルーナは拳をにぎった。ミアはラルフに近寄り、ぎゅっと彼の服を掴んだ。昔は手のつけられない暴れんぼうだった彼に、なぜか院で一番おとなしかったミアがなついた。二人がいつしよにいるようになってから、彼は暴力的な行動をとらなくなり、よく笑うようになった。くわしい関係を聞いたことはないが、昔も今も、大事なおさなじみであることに変わりはないだろう。ミアと生活するために得た職を失ったのなら、それはショックにちがいない。

 悲しそうに眉を下げるルーナのとなりで、ルカはばっさりと切り捨てた。

「甘えんな。アイーダに頭下げて養護院にもどって、また仕事を探せばいいだろ? それをよりによって昔の仲間から物ふんだくるとか……ふざけてんのか」

 アイーダとは養護院で子どものめんどうを見てくれる人物のことだ。ルーナが幼いころから養護院にいる女性で、明るく時に厳しい、ルーナたちの母親のような存在だ。

「簡単に言うなよ! ルカみたいなやつには分からないだろうけどな。つうはバラッコボリ出の奴なんて、努力したって上の街の連中と同じ仕事なんてできやしないんだよ! 俺らはしよせん、スリだのだので生きるしか道はないんだ!」

「だから、甘えんな! ルーナだって一人で仕事してたぞ」

「え? ああ……そうだね。一時期働いたことあったけど……」

(だけど最初は大変だったなあ……ラルフの気持ちはよく分かる)

 仕事を覚えるのは難しくなかったが、バラッコボリの養護院出というだけで最初は差別を受けた。仕事のやり方を教えてもらえないこともあったし、必要なれんらくがわざと伝えられないこともあった。それでも毎朝頼まれない店のそうをこなし、無視されてもめげずにあいさつを続けるうちに、なんとか受け入れてもらえたのだ。

「おまけにルーナは、すなほうになるためにこれから貴族のそうくつに乗り込むんだぞ? そんなルーナをおうえんするどころか制服を取り上げるとか、お前は自分がずかしくないのか」

(貴族の巣窟って……)

 砂魔法師自体が、貴族や中流階級のゆう層からはいしゆつされてきた。学園に貴族が多いのは分かるが、言葉がおんだ。

 ラルフの視線がルーナに向いた。

「お前、さっきミートパイとか言ってたけど……」

「あ、そうそう! 砂魔法師になればミートパイが食べられるなって」

「お前、まだあの味にとりつかれてんの? あれは貴族の食べ物だって言われたろ」

だいじよう! 砂魔法師はお給料がいいんだって! だから砂魔法師になれば、材料を買いそろえられるようになるの」

 料理はゆいいつルーナがルカに勝てる特技だ。材料さえあればなんでも作れる自信がある。

「それにね、私とルーくん、特進クラスに入ることになったの。特進クラスって、十二けんじやを育成するためのクラスなんだよ」

「は…………? 十二賢者?」

「そう! もし私が十二賢者になったら、私とルーくんのだけじゃなくて、みんなのミートパイも作るからね!」

「それは別に、普通の砂魔法師の給料でも作れると思うぞ、ルーナ」

 ルカがやんわりてきする。あいた口がふさがらないという様子のラルフが、ようやく気を取り直して言った。

「お前さ……分かってる? バラッコボリ出の奴が十二賢者とか……貧民が王になるってごうするようなもんだぞ」

「まあ……十二賢者は分からないけど。とりあえず砂魔法師になるようがんばってくる!」

「貴族の巣窟でいじめられてもか? お前、貴族に何されたのか忘れたのかよ」

「──」

『彼』の存在を消されて泣きさけんだことが頭によみがえる。ラルフはしようさいを知らないはずだが、貴族のせいだということはルーナたちの様子を見て分かったのだろう。あの後しばらく、貴族からのほどこしだという食事に一切ルーナとルカは手をつけなかったのだし。

 過去を思い出しいつしゆん表情をなくしたルーナだが、すぐにがおを作って答えを返した。

「大丈夫。砂魔法師になれば、貴族とも対等にわたり合えるようになるらしいよ」

「それはなってからの話だろ? だいたい、やっぱバラッコボリ育ちに素質があるなんておかしいんだよ。学園に着いたら、全選定の検査が間違ってたとか言われるかも」

「そ、それはさすがに辛いけど……まあそれでも、素質がゼロじゃないならがんばるよ!」

 笑顔でり返すルーナに、ラルフのあきれた視線がさった。

「お前、マジで砂魔法師になる気なのか……」

 ラルフはしばらくちんもくしたあと、「鹿のたわ言だな」とつぶやき、再びルカになぐり飛ばされていた。



「あんな奴役人にき出しゃよかったのに。ルーナはとことん甘いよな」

 ラルフたちと別れてルーナたちはについたが、ルカはルーナをおそったラルフにいまだいきどおっているようだ。何もなく解放したことに対して不満そうに見える。

「それは院で一緒に育った仲間だし。それにやっぱり、ラルフとミアともまた一緒にミートパイ食べたいしね」

「ミートパイね……あん時は楽しかったよな。まだ兄貴もいて、みんなでさわいで……」

 そこまで言うと、ルカはうつむいてぼそっとつぶやいた。

「願いが本当にミートパイだけなら、俺がいくらでもかなえてやるのに……」

「え?」

 ルーナは聞き取れなくて聞き返したが、ルカは左右に首をった。

「なんでもない。それより、本当に怪我はないか?」

「うん。平気だよ。それにしても……ラルフ、最初は殺せって言われたって言ってたね。正直、まだ私たちを殺そうとしてる人がいるなんて思ってなかったな……」

「……大丈夫だよ。ここじゃだれの死体が転がろうが騒ぎにもならないけど、ウルビスに行けばそうじゃない。さすがにねらうほうもあきらめるだろ。……荷物の中身は大丈夫か?」

「あ! そうだった! まだかくにんしてない」

 あわててふくろの口を開き、制服二着と、書類が入っていることを確認する。その書類を取り出したルーナは入学という文字に顔をかがやかせ、その下の文章を見て顔をこわばらせた。

「どうした?」

「あの……二年前、在学中にかかる費用は全部いらないって言われたよね?」

「ああ。何、なんて書いてある?」

 ルーナの手から紙を受け取ったルカの顔が、みるみるうちに険しくなった。

「ふざけてんな。授業に使う教材一式とりようは別って……教材の値段も書いてなけりゃ、寮費って」

 全選定が行われたのは二年前。ルーナが十二歳、ルカが十三歳の時のことだ。国王が出した全選定というおれにより、全国民に砂魔法の素質検査が行われた。大方の国民の予想どおり、労働者階級からは数人ほどしか素質のある者が出なかったと聞いているが、そのうちの二人がここにいるルーナとルカなのだ。それも、十二賢者になる素質があると判定されての、特進クラスへのだいばつてき

 全選定はそもそも、出自を問わずに砂魔法師になる機会をあたえることを目的としている。そのため、学費はもちろん、在学にかかるいつさいの費用をめんじよすると聞いていたのだが。

「どうしよう……どうしよう! 寮費とか、絶対今住んでるとこより高いよね? 学園に入ったらかせぐ手段もあるかどうか分からないし……これじゃ私たち、学園に通えないよ!」

 騒ぐルーナの横で、ルカは紙を手にしたまま考え込んでいるように見えた。

 そこへ、コツ、とだれかのくつおとひびいた。人通りがまったくない通りに響く足音。振り返れば、白いフードで顔をかくした人物がいた。

「お困りなら助けてあげましょうか?」

 若い男の声だった。このじようきようで顔を隠し助けてあげようかと言うしんすぎる人物を前に、ルーナとルカは顔を見合わせた。

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