第186話

 俺は懐から、大金貨が詰まった小袋を取り出して、テーブルの上に置く。

 そして、目の前の両親に向かって言った。


「俺が冒険者を始めてから、自分で稼いだ金だ。金貨七百枚分の額が入っている。魔術学院に通わせてくれたこと、十五歳の成人を過ぎた後もなお養ってくれたこと、何より、ここまで育ててくれたこと、とても感謝しています。──ありがとうございました」


 俺はそう言って、二人に向かって頭を下げた。



 家を出て、冒険者を始めたばかりの頃は、このような感謝の言葉とともにこの金を渡すつもりなどなかった。


 借りがあるのは嫌だったから、こちらからも三下り半を突きつけるぐらいのつもりで借りを返そうというのが、当時の俺の考えだったように思う。


 俺は父親のことが──ジェームズのことが嫌いだった。

 そしてジェームズも、俺のあり方を否定していた。


 俺とジェームズが不仲になった原因が何であったのか、今となってはよく思い出せない。


 俺が魔術学院を卒業したら冒険者になると宣言し、その俺の考えをジェームズが全否定したことが一番の原因だったかもしれないが、それだけとも思えない。


 もっと根本的に、両者の意見や考え方がぶつかったのだと考えるほうが、より本質に近いのだと思う。


 ジェームズは、人の能力の高低と、社会への貢献を重要視する。


 才ある者はその才能を世界のために使わなければならない、というのが彼の持論だ。

 ゆえに、修養をせず己の才を開花させない怠惰な態度も、彼にとっては悪だ。


 一方、俺が冒険者になりたいというのは、あくまでも俺の我欲だった。

 俺は放蕩者で、享楽主義者で、世界よりも自分のことを優先する。


 だから俺とジェームズとは決定的に意見衝突し、相容れなかった。

 ゆえに、決別した。


 だが──


『でも私ね、あなたのお父さんの考えも分かるの』


 そうシリルが語ったのは、エルフと共同戦線を張りオークと戦っていた、あのときだ。


 朝日が木漏れ日となって落ちる森の中で彼女が伝えてきたのは、ジェームズの考え方への共感だった。


 人の価値は能力の高低だけで決まるものではない、人はただそこにいるだけでかけがえのないものだ──そう主張した俺に対し、彼女はこうも言った。


『悪いけど、ウィリアムが言っているそれって、私には中身のない空虚な綺麗事に聞こえてしまうの』


『……無能を肯定することに正義はあるのかって、そう考えてしまうのよ』


 俺は心理的に近い位置にいるシリルの口からそれを聞くことによって、少し考えることもあった。


 人は、ただそこにあるだけで存在価値があるのか。

 それとも、社会の役に立たない放蕩者や無能者は、蔑まれ否定されるべき存在なのか。


 俺は前者の立場をとる自分の考えを、今も間違いだとは思わない。


 だが後者の意見にも一理はあると思うし──それより何より、思うことがある。


 それはつまり──その意見の違いは、親子が決別し、絶縁をしなければならないほど致命的なものなのか、ということ。


 そもそも、世の中のすべての人の考えが、同一の色に染まることなどありえない。


 もしも世のすべての人の価値観や正義が一色に染まるようなことがあれば、それはとてもおぞましいことだと思う。


 異なる価値観、異なる正義の存在しない、統一的価値観の世界──

 そんなものは、人の生きる社会ではない。


 そう考えたとき、思うことがある。


 果たして俺とジェームズは、意見を完全に同じくしなければ、親子でいられないのか。

 互いに異なる主義主張を持ち合わせたまま、どうにか折り合えないものなのか。


 もちろん、程度によっては異なる考えの持ち主を受けいれられないことはありうるだろう。


 例えば──俺は未だにあの自分の判断が正しかったのか、確たる自信はないのだが──あの死霊術師アリスのように、罪のない村人たちの命を奪ってでも自分の目標や魔術の発展を達成しようという考えの者と、平和的に共存することは不可能だと思える。


 あるいは、ロックワーム退治のときに出会ったグレン。

 あのような輩と隣人として友好的な関係を築けと言われれば、そんなものは真っ平ごめんだと言うほかはない。

 旅の空の下で出会い、すぐに離別する間柄だからこそ、どうにか俺は彼の存在を許容できた。


 だが、俺とジェームズとの食い違いは、それほどまでに致命的なものだろうか。


 どちらか一方の意見が、非常識きわまりないということもない。

 常識の範疇での意見の食い違い。

 その程度の差異。


 無論、決別がジェームズの意志である以上、それを非難するつもりもない。


 だが、俺の方から三下り半を突きつける意志は、今の俺にはなくなっていた。


 今日、両親を前にして話をして、俺はあらためて、彼らからの愛情を感じていた。


 フェリシアのそれはもちろんのこと。

 ジェームズからだって、彼なりの不器用な愛情を、今の俺は感じることができていた。


 俺はこの二人の子だ。

 俺が幼い頃から、この二人にずっと育ててきてもらったのだ。


 捨てられることもなく。

 虐待されることもなく。

 暖かい家で、満足に食事も食べさせてもらえて。

 ときには厳しく、ときには優しく育ててもらった。


 その子供時代があるから、今の俺がある。

 俺は俺なりに、冒険者になるために努力をしてきたつもりだが、その前提には両親の愛と無償の奉仕があった。


「当たり前の生活」という当たり前の愛を、俺は当たり前に受け取っていたのだ。


 ちなみに、なぜ俺がこんな風に考えるようになったかといえば、俺が「彼女たち」との関係を真剣に考え、「その先の未来」を想像し始めたからではあるのだが……まあ、それはさておき。


 いずれにせよ俺は、この目の前の二人の子であることに、今は誇りを持てるから──


 だからこの金貨七百枚分の金銭は、決別の証でなく、恩義と感謝の気持ちの象徴。

 たとえ相手の意志がどうあろうと、それが俺の今の考えだ。


 ──と、俺がそのように考えていた時間は、ひょっとすると、ごく短かったのかもしれない。


 俺の口上のあとにはいくばくかの沈黙があり。

 その次に口を開いたのは、フェリシアだった。


「……あなた。私は言いませんからね。あなたの口から言ってください」


 それはジェームズに向けた、少し突き放したような言い方だった。


 一方のジェームズは、苦笑。


「分かっている。──ウィリアム、これを受け取る前に、もう一つ、お前に伝えておきたいことがある」


「……もう一つ?」


「ああ。受け入れるかどうかはお前次第だが」


 そのジェームズの横では、「そういう余計なことは言わなくていいのに」と、フェリシアが子供のように口をとがらせていた。


 俺はある期待をわずかに胸に抱きつつも、その先の言葉を待った。

 そして、ジェームズは言う。


「ウィリアム、私はお前を勘当すると言ったが、それも取り下げたい。──すまなかった」


 ジェームズは今日二度目、再び頭を下げた。


 俺は、返す言葉をすぐには思いつけなかった。


 ジェームズが続ける。


「お前が出ていってから、フェリシアに散々言われた。ウィリアムはあなたの操り人形じゃない、どちらの意見が正しいかはともかく、もうあの子は大人です、本人の自主性を尊重しなくてどうするの、いつまで縛るつもりなの、とな。

 ……正直に言って、私はそれでも消化できずにいたが、今日の式典でのお前の演説を聞いて、ようやくだ。ようやくこの言葉を言えるようになった。今は自分の頭の固さに呆れているよ」


 そう言ったジェームズは、バツが悪いという様子で俺から視線を逸らしていた。


 ……ああ、もう。

 本当にそっくりだ、この人は。


 本当に、俺とよく似ている。

 いや、俺が似たのか、この人に。


「だが、これは私の勝手な物言いだ。お前が許せないというのであれば、それで構わない。ただ、私の今の意志がそうであることは、伝えておこうと思ってな」


 そこまでジェームズが言ったところで──


 ついに、フェリシアが立ち上がった。

 ガタッと椅子を倒す勢いで、我慢できないというように。


「あぁあああ、もうっ! だからそういう余計なことは言わなくていいの! ──ウィリアム!」


 キッと、据わった目で俺を睨みつけてくるフェリシア。


「お、おう」


「勘当取り消し。いいわね?」


「お、おう」


「あなた、手を出して」


「あ、ああ」


「ウィリアムも」


「お、おう」


「はい、握手! ──仲直り!」


 ぎゅっと、俺とジェームズの手を握らせて。

 フェリシアが、そう宣言した。


 その強引な様子に、俺とジェームズとが顔を見合わせて、互いに噴き出してしまった。


 ……本当に、フェリシアこの人には敵わない。

 まったくもって、母は強しだ。




 ──その後、両親といくらかの談話をしたのち、俺は実家をあとにした。


 なお、俺が両親に渡そうとした金貨は、受け取りを拒否された。

 それは私たちがあなたに与えたものだし、現状お金にも困っていないから返してもらう必要はない。

 それよりも、その金は今後必要になるだろうから、大事にとっておけ──という話だった。


 俺は実家を去り際、振り返ってその邸宅をあらためて見る。


 ……これだけの甲斐性を、俺は持つことができるだろうか。

 そんなことを考えた。


 そして俺は、夜道を歩き、サツキとミィとシリルが待つ宿へと帰還する。


 ──今、俺の中の「優先順位」が、少しだけ変わりつつあるのを感じていた。

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