第169話

「……扉に罠のたぐいは仕掛けられてなさそうですね……物音も特に聞こえないです」


 ミィは扉まわりを観察し、慎重にさわってみて、あるいは逆に無造作にペタペタと扉にふれ、耳をあてるなどしながら小声で報告してきた。

 それから俺のほうへと振り返り、聞いてくる。


「ウィリアム、たしか透視シースルーという呪文があったですよね。この扉のむこう、見れます?」


 扉のむこうに何が潜んでいるやもしれないのだから、その先の情報を少しでも知りたいと思うミィのこの感覚には共感できる。


 だが有益な情報というのは往々にしてタダでは手に入らない。

 まして今回は、魔素コストを払ってすらも叶わない可能性が高い。


「試してはいないが、透視シースルーは高確率で弾かれるだろうと見ている。無駄打ちは避けたい。あれは高位の呪文で、かなりの魔素を食う」


「弾かれる……? そんなことがあるですか?」


「ああ。古代遺跡、特に迷宮型の遺跡には、情報系魔法の効果をシャットアウトする魔法遮断の壁というのはよくある仕掛けらしい。何作かの冒険記で同様の記述があった」


「にゃるほど。さすがウィリアム、冒険記マニアはダテじゃないです」


 ただ実際のところ、透視シースルーを試しに使ってみるかどうか、いまだに迷ってはいた。

 高確率で無効化されるだろうと見込んではいるが、まだ通らないと確定したわけではない。

 そして通ったときの成果は計り知れない。


 もし俺が今「エルフの魔法薬」でも持っていて、いざとなればそれで魔素を回復できるのであれば、迷わず使うのだが……。


 ……いや、よくないな。

 魔素の消費に対して、感覚が贅沢になってしまっている。


 必要なときに必要な呪文は惜しまず使うべきだが、リスク管理という段階ならばコストパフォーマンスを意識するべきだ。

 さもなくば俺の魔素はすぐに枯渇してしまうだろう。


 もっとも、このダンジョンの探索中に魔素が底をついてしまった場合でも、いざとなれば帰還はできるのだから、その点は気が楽だ。

 先に見つけた出口から外に出れば、少なくともこのダンジョンで俺やミィが命を落とすことはない。


 だがその場合、炎の魔剣の入手はあきらめるしかないだろう。

 それで件の魔王を倒せるのかどうか。

 なんとも微妙な立ち位置だ。


 一方ミィは、俺に向かってもう一つ質問をしてくる。


「じゃあ、あの警戒アラートという呪文はどうです? たしか目に見えない場所にいる敵でも察知できるのですよね?」


警戒アラートに関してはすでに使っているが、反応がない。これも効果が打ち消されていると見ておいたほうがいいだろうな」


「……むぅ。ウィリアム対策ばっちりの遺跡です。生意気です」


 ミィはそう言って、拗ねるように口をとがらせた。


 もちろんウィリアム対策などというのはありえないわけで、強いてその表現を使うならば、魔術師対策が施されているのだと見るべきだろう。


 だが、俺の情報系呪文が役に立たないということは、ポジティブに考えればこうも受け取れる。


「だからミィ、キミがいてくれてよかったということだ。このダンジョンを踏破するには、キミの力が必要だ」


「ふにゅっ」


 俺はまたついミィの頭をなでてしまう。

 ミィは嬉しそうに恥ずかしそうに頬を染め、それを受け入れていた。

 猫耳がときおりぴくぴくと動き、立てられた尻尾がゆらゆらと揺れる。


 思わず抱きよせたくなるぐらい可愛い。

 が、どうにか自制心でブレーキをかける。


「……本当に魔性の魅力を持っているな、ミィは」


「ふにゃ……? 何です?」


「いや、何でもない」


 こんな少女に告白されてオーケーしない男というのは、愚者に等しいのではないか。


 俺は自分のことを人並み以上には理知的な人間だと思い込んでいたが、実際はそうでもないのかもしれないなと思い直していた。



 ***



 結局、それ以上の情報はあきらめて、素直に扉を開くことにした。


 ミィが扉に寄り、少しだけ押し開け、隙間からその先を覗く。


 そして──ミィは露骨にげんなりとした顔をした。


「うっわあ……すんごいアレなやつが来たです」


「どうした」


「見ればわかるです」


 ミィは無造作に扉を押し開ける。

 その先にあった光景を見て、俺はミィが言ったことの意味を理解した。


 扉を開いた先にあったのは、ある一点を除けば、殺風景な小部屋だった。

 俺たちが今いる部屋によく似ている。

 数歩も歩けば向こう側の壁にぶつかる程度の狭い空間で、対面の壁には扉があった。


 ただ一点、特徴的な部分。

 それは何かといえば──部屋の中央の台座に「剣」が突き立てられていたことだ。


 その剣は抜き身で、柄には宝石をあしらった装飾が施されており、刀身は炎を連想させる波型の刃を持っていた。

 刀身の形状を見れば、フランベルジュという種類の剣に似ているように感じた。


「サツキがいなくて良かったですね」


「まったくだ。スキップで剣を抜きにいく姿が目に浮かぶ」


 ミィと俺は、この場にいない仲間の少女の陰口をたたいて笑う。

 陰口は通常良くないものだが、ミィも俺も彼女のことが嫌いではないのだから、まあいいだろう。


「とは言え、どうしますアレ?」


「そうだな……十中八九までイミテーターのたぐいだと思うが、万一もありうる。──ミィ、投げナイフであれに当てられるか? それで確定したら、直後に魔法の矢マジックミサイルを叩き込む」


「にゃるほど。ちょっと難しいですけど、やってみます」


 ミィはそう答え、太もものホルダーから小型の投げナイフを一本引き抜いた。

 そしてターゲットを鋭く見据えて狙いを定める。


 それを確認して、俺も杖を掲げて呪文の詠唱を始める。

 ちなみに俺たちはまだ、当の部屋に入ってもいない。


 ──ヒュッ!

 ミィが投げナイフを放った。


 それは台座に突き刺さった剣の刀身に過たず命中し、カンという金属同士がぶつかる音──は、もちろんしなかった。


 ミィの投げナイフは、剣の刀身にぐさりと食い込んだ。

 刀身の金属に刺さってひび割れたというのではなく、どちらかと言うなら、肉に食い込んだという様子に近かった。


 そもそも本当に力のある魔剣だったら、ミィの投げナイフごときで傷がつくとも思えないが──いずれにせよ、これで確定だ。


 ──キョェエエエエエエエッ!

 姿が「悲鳴」を上げる。


 ついで、それがモゾモゾと姿を変え、灰色の粘土のようになって盛り上がろうとするが──


「──魔法の矢マジックミサイル!」


 そこに俺は、四弾の光の矢を叩き込む。

 多重呪文行使マルチプルキャストによる増幅は必要ない。


 破裂音が立て続けに鳴り響いた。


 光の矢は、うごめく粘土の命中した部分をそれぞれにはじけ飛ばせ、こぶし大よりも大きな風穴を開けて爆散させていた。


 肥大化しようとしていた粘土のようなものは、それで活動を停止した。

 崩れ落ち、ゆっくりと溶けるようにして台座の上に広がり、やがて動かない粘土の塊のようになった。


「……終わったですか?」


 そう聞いてくるミィに、俺はうなずく。

 イミテーターに死を偽装するような知能はないはずだ。


 イミテーター──「擬態するもの」の呼び名をもったこのモンスターは、文字通り、何らかの無生物に姿を変えて獲物を待ち受け、それに騙されて不用意に近寄った者を不意打ちで食い殺すといったたぐいの魔法生物だ。


 比較的頻繁に見られるのは宝箱チェストなどに擬態しているもの──俗称で「ミミック」などとも呼ぶ──だが、今回のように違った姿をとっていることもある。


 だがダンジョンに入ってすぐに目的の宝物というのは、いくら何でもあからさますぎだ。

 入り口の石碑に「挑む」という言葉が使われていたことなどからも、そう易々とした構造になっているはずもなく、こんなものは疑ってしかるべきだ。


 まあいずれにせよ、このイミテータートラップはクリアだ。

 俺はひとつ、安堵の息をつく。


「滑り出し順調ですかね?」


 眼下のミィがそう聞いてくるので、俺は再びその頭をなでる。


「ああ。だが油断せずに行こう」


「もちろんです。でもなでなではもっとしてくれてもいいです。これは油断ではなく勝利の報酬です。ウィリアムもミィにしてほしいことがあったら言ってくださいね?」


 ミィはそう言って、にぱっと笑いかけてきた。


 ……してほしいこと……してほしいことか。

 抱きしめたい、とかいうのは男女関係としての交際を断っている以上はいかがなものかと思うし、そもそもその発想が出てくる時点でアウトだと考え、振り捨てる。


「いや、特にはないな」


「ホントですかぁ? ……何なら、『エッチなこと』でもいいんですよ?」


 ミィは頬を赤らめながら、上目遣いでそんなことを言ってきた。

 その姿に俺は、ドキリとさせられてしまう。


 だが、ミィはすぐにくるりと身を翻し、


「──な、なーんちゃって。本気にしました? 冗談ですよ。エッチなことはダメです」


 今度はそう言って、右手の人差し指を口元にあててウィンクしてきた。

 なんというか、無茶苦茶に可愛かった。


 それで──俺は理性のタガが一個外れて、こんなことを口走ってしまったのだ。


「ミィを抱きしめたい、というのは、エッチなことに含まれるのか?」


「へっ……?」


 ミィが石になったように固まった。

 それを見て我に返った俺は、コホンとひとつ咳をする。


「いや、今のはジョークだ」


「……そ、そうですか。ジョークじゃ仕方ないですね。……まったく、ウィリアムのジョークはタチが悪いです。そんなことより、先に進みましょうか」


「ああ、そうだな」


 何だか微妙な空気になってしまった。

 俺とミィは互いによそよそしい感じで、イミテーターのいた部屋を横切った。


 その際、ミィが何かをつぶやいたように思えたが、何を言ったかまでは聞きとれなかった。

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