第4部:氷の魔神
プロローグ
第150話
俺は空を飛んでいた。
俺の魔法によるものではない。
巨大な生き物の背に跨っているのだ。
雄大な景色の上空、びゅうびゅうと風が吹きすさぶ中を、その生き物は空を切り裂くように力強く飛んでいた。
その生き物が、灼熱色の翼をバサッと一つ羽ばたかせる。
翼からは煌く魔力の輝きが舞い、その生き物の巨体をぐんと浮揚させる。
真っ赤な鱗を持ち、爬虫類を思わせるその生き物の姿は、ほかのものと見紛うはずもない。
俺は竜の背に乗り、空を飛んでいた。
「お~い、ウィル~」
そのとき、聞き馴染んだ声。
振り返ってみれば、その少女は俺の後ろにいた。
着物袴と呼ばれる衣装に身を包んだ、黒髪の少女だ。
俺が何だと聞くと、彼女は俺を揺さぶりながらこんなことを言う。
「ウィル、そろそろ起きろって。起きないとチューしちゃうぞ」
……起きる?
キミは一体何を言っているんだ。
そう言おうと思ったが、うまく声が出ない。
そこではたと気付く。
ああ、そうか、これは──
──俺はつまり、そこで夢の世界から脱し、目を覚ましたのだ。
「いいのかウィル~、本当にチュ~しちゃうぞ~。んーっ……」
「いいわけがあるか」
俺は、俺に覆いかぶさろうとしていたサツキを、手でぐいと押しのけた。
「きゃんっ」
サツキはこてんと転がって、ベッドから落っこちた。
俺は寝ていたベッドから身を起こす。
そこは宿の一室だった。
何の変哲もない、ベッドと机と椅子、衣装箱、壁掛けランプ、窓ぐらいしかない普通の部屋だ。
その風景を見て、夢の中の幻想から一気に現実へと引き戻される。
それはそうと──
「……何をしている、サツキ」
「あ、おはよーウィル」
ベッドから転げ落ちた少女は、にへらっと締まりのない笑顔を俺に向けてきた。
空色の着物袴を身に纏い、腰には
ポニーテイルにされた黒髪と同色の瞳は、彼女がはるか遠方、東の国の出身であることを表していた。
俺の冒険者仲間であるサツキだ。
凄腕の剣士であり、先日その実力をさらに著しく向上させた。
仲間としては、非常に頼れる存在だ。
だが、だからと言ってこの事態が正常と言えるわけもない。
「おはよー、ではない。ここは俺の部屋のはずだが」
「だってもう昼だよ? それに呼びに来てみたら部屋の鍵開いてるし。でもウィルが寝坊って珍しいよな」
「むっ……そんな時間まで寝てしまったのか」
そう言えば、昨日は夜遅くまで徹夜をしてしまったのだったか。
前回の冒険で受け取った
それで深夜遅くにようやく眠気に負け、そのままふらふらとベッドに潜ってしまい、そのせいで部屋の鍵をかけ忘れたのだと思う。
我ながらセルフコントロールができていないというのは反省点だが……。
「だとしたところで、寝込みを襲うというのは人としてどうなんだサツキ」
「や、やだなぁ。冗談だって冗談。ホントにやるわけないじゃん」
「…………」
「……あ、いや、その……ウィルの寝顔見てたら、魔が差してしまいまして……その、自分の弱い心に負けてしまったというか……」
俺がジト目を向けると、サツキはいつぞや見せた綺麗な正座をして、しゅんと反省のポーズを取った。
まったく……。
「まあ、部屋に鍵をかけ忘れた俺の落ち度でもあるな。部屋に入り込んできたのが盗っ人でなく、サツキであったことを幸運と考えよう」
「そうそう。あたしは幸運の女神! ──ぁ痛たっ」
そう図々しく言うサツキの頭を杖の先で軽く叩いて部屋から追い出してから、俺は朝の準備をする。
しかし朝の準備とは言うものの、窓を開けて外を見ると確かに太陽は真上に差し掛かっており、もはや昼前頃の時間であることは疑いなかった。
「……これは随分と出立を待たせてしまったな。ミィとシリルに謝らなければ」
俺はそう独り言ちつつ部屋を出て、仲間たちが待っているであろう下の階へと向かった。
***
「ウィリアムがお寝坊さんなんて珍しいわね」
「ですです。規則正しい生活はウィリアムの趣味かとミィは思っていたです」
一階の食堂に下りていくと、その一角の四人掛けの丸テーブルには、サツキのほかに二人の仲間が席について待っていた。
「ああ、待たせてしまってすまない。読み始めた巻物があまりにも面白くて、夜更かししてしまったのが敗因だ」
「ふぅん。読み物で夜更かしっていうのは、ウィリアムらしいという気もするけど。巻物って確か、前回の冒険のときにあの男に渡されたものよね?」
シリルはそう言いつつ、俺に空いている席を勧めてくる。
俺はそれに従って、彼女たちと同じテーブルの席についた。
神官のシリルは、その母性的なシルエットを白の神官衣に包んだ美貌の少女だ。
プラチナブロンドの髪はセミショートに整えられており、その紫色の瞳には知性の輝きが宿っている。
年齢は俺と同じ十七歳だったはずだが、どこかお姉さんらしき包容力のようなものを感じるのは、その柔らかな笑顔や仕草のせいだろうか。
前回の冒険では、そんな彼女の幼児のような一面も垣間見てしまったわけだが……。
「ああ、それだ。驚いたことに、俺が魔術学院の学生だった頃に研究していたテーマと内容がかなり重なっていてな。夢中で読み進めてしまった」
「あー、なるほどです。それは少年のようになって貪り読むウィリアムの姿が目に浮かびます」
そう合いの手を入れてくるのは、獣人の少女ミィだ。
人間の子供のような小柄な体躯に、盗賊らしい動きやすさを重視した服装で、腰のベルトには左右に一本ずつの
頭部のふさふさの毛が生えた猫耳と、
俺はそのミィに向け、率直な言葉を返す。
「恥ずかしながら図星だな。読んでいてワクワクが止まらなかった。ひょっとすると、そのワクワク感が今朝の夢にも繋がったのかもしれないな」
「……んん? 夢ですか? どんな夢です?」
「どんな夢……覚えているのは、竜の背に乗って空を飛んでいる光景だな。我ながらまるで子供のようだが」
「へぇ、竜にね。それ案外、予知夢だったりしてな」
話に割り込んできたサツキが、そう言って笑う。
俺はそれを聞いて、つい想像してしまう。
予知夢……いや、まさかな、あり得ない。
竜は魔獣の王とも、すべての生物の頂点に立つとも言われる存在だ。
その力は絶大で、
まあ、世の中には
体長五、六メートル級の
しかしそんなものは、例外中の例外だ。
まして、俺が夢で見たような大型の竜の背に乗って空を飛ぶなどというのは、童話の世界でしか聞いたことがない。
どちらかと言うなら、俺たち冒険者にとっては、竜は敵対的存在であるというほうがまだしっくりくる。
それにしたところで、俺たちのようなEランク冒険者の若輩パーティが相手をするような敵ではないのだが……。
それに何より。
いまの俺たちには、竜よりも先に相手をしなければならない恐るべき敵がいる……らしい。
「らしい」というのは、これからそれに関する詳しい話を聞くために、王都へと向かっている最中だからなのだが。
「まあいいです。起きたなら早速王都に向かうです。アイリーンが言っていた『魔王』というの、一大事なのですよね?」
ミィがそう言って、ぴょこんと席を立つ。
早速の出立か。
俺は寝起きで少々の空腹を覚えたが、悪いのは寝坊をした俺だ。
これ以上皆に迷惑をかけるわけにもいかない。
「ああ。あまりにも一大事すぎて、俺たちに出る幕が回ってくることが不思議なぐらいだがな。少なくとも、十分な報酬の仕事を回してくれるという部分に嘘はないだろう」
そう言って俺も立ち上がろうとしたが、そのとき──
ぐうぅぅ……。
俺の腹が、空腹を訴えてわずかに鳴いた。
それを耳聡く聞きとがめたシリルが、心底愉快そうにニコニコと微笑みかけてくる。
「あら、お寝坊さんの次は腹ペコさん? ウィリアムにしては本当に珍しいわね」
「……すまん。昨夜に巻物を読んでいたときも、夢中になりすぎて飲まず食わずでいたせいかもしれない」
「ま、普通に昼飯時だしな。この街から王都まで、まだ半日ぐらい掛かるんだろ? 出掛ける前に何か食っていこうぜ」
サツキのその提案に全員が同意する。
そして、俺たちは手頃な飲食店でランチをしてから王都への旅路につき、王都グレイスバーグに辿り着いたのはその日の夕食時となったのであった。
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