第149話
俺たちはその後、部屋に戻って湯上りのほかほかした状態で夕食を堪能した。
素直に美味な食事に舌鼓を打てるのは嬉しい。
やはり皆が笑顔だと、飯もうまい。
サツキが楽しそうにしているのを見ると、こちらも口元が緩む。
「……ん? どしたのウィル、あたしの顔じーっと見つめて。──あ、さては、そろそろあたしに惚れたな?」
にひっと笑ってそんなことを言ってくるサツキ。
真正面から向けられた笑顔に、少しドキッとしてしまう。
……どうなのだろう。
一概に、何をバカなことをと否定することもできない。
俺がサツキの楽しそうにしている姿を好きなことは、偽りようのない事実であるようにも思う。
「……まあ、そうだな。俺がサツキの笑顔に惚れているというのは、確かにあるのかもしれん。だが今に始まった話でもないぞ」
俺はそう答えて、スプーンでポタージュのスープをすくって口に運ぶ。
無駄な嘘はつかない主義だ。
すると、俺のその言葉を聞いたサツキが、目を真ん丸くして頬を赤らめた。
そして俺から視線を逸らし、ぶつぶつとつぶやく。
「……ったく、ウィルってときどきそういうこと言うからな。あたしの乙女心はそのたびに弄ばれるんだ。あー、もうダメ、また恋した。ウィルのバーカバーカ」
「…………」
そのやり取りに、ミィとシリルはこちらやサツキをチラ見するだけで、特に何かを言及することはなかった。
そうして少しだけ気まずい空気が流れたが、それはすぐに流れ去り、いつもの他愛ない会話に戻っていった。
食事の時間は概ねいつもの雰囲気で、穏やかなひと時となった。
それから俺たちは各々ほどほどに酒を嗜み、やがてほろ酔い気分になったあたりで解散という雰囲気になる。
「そろそろ俺は寝ることにする。キミたちもほどほどにな」
俺はそう言って、自分のベッドへと向かった。
そしてベッドに腰掛けて、就寝の準備を始める。
だがそのとき、パン、と頬を叩くような音が聞こえてきた。
何かと思って顔を上げると、それは食卓についていたミィが、両手で自分の頬を叩いた音のようだった。
彼女はそれから、座っていた椅子からぴょこんと飛び降りる。
「ウィリアム、寝るのはちょっとだけ、待ってほしいです」
ミィはそう言って、ベッドに腰掛けている俺のほうへ、とてとてと近付いてきた。
何かと思って見ていると──
──ぽふっ。
正面から俺の腰にしがみつくようにして、ミィが俺に身を預け、抱きついてきた。
腰に密着したミィの体温と、柔らかさと、ほのかに甘い香りが伝わってくる。
俺はさすがに、驚かざるを得なかった。
「……ミィ? これは一体、どういうことだ……?」
俺が問うと、ミィは俺の腹におでこを押し付けたまま、こう答える。
「嘘をついてごめんなさいです。でもミィは
彼女の表情は見えなかった。
だがわずかに垣間見える頬は、真っ赤に染まっていた。
どういうことかとサツキやシリルを見れば、二人はぶんぶんと首を横に振る。
どうやらこれは、ミィの独断行動のようだ。
それからミィは顔を上げ、俺に向かって伝えてくる。
「ウィリアム……ミィは、ウィリアムのことが好きです」
つぶらな、潤んだ瞳をまっすぐに向けられた。
──不意打ち。
ミィが自ら言ったとおり、確かにこれは不意打ちだと思った。
ミィは勝負をかけると先に宣告していた。
だが楽しい入浴の時間があり、穏やかな食事の時間があり、俺の気は緩んでいた。
このままの流れで床について、今日の幸福な時間は終わり。
何となく、そんなつもりでいた。
だから、その俺の心の隙を突くようにしたミィのこれは、確かに不意打ちだ。
ミィによって巧妙に仕組まれた、そしておそらくは
一方で、騙されたはずのサツキとシリルも、お互いに向き合ってうなずき合うと、それから固唾をのんで成り行きを見守る体勢に入った。
それはまるで、あらかじめ何らかの密約が結ばれているかのようだった。
そしてミィは、俺に向かってさらなる言葉をぶつけてくる。
「ミィがウィリアムを家族──お兄ちゃんのように思っているのは嘘じゃないです。ですけど、ミィはお兄ちゃんに恋をしてしまっています。ミィは優しくて、頼りがいがあって、ミィのことを見ていてくれるウィリアムお兄ちゃんがとってもとっても大好きです。お兄ちゃん……ミィは、お兄ちゃんの恋人にはなれませんか?」
俺は直観する。
これに抗うのは無理だ、と。
俺を撃沈するために、周到に練られた計画。
対するこちらは、全くのノーガードでノーカードだ。
ミィはさらに、俺の気持ちが整う前に連続攻撃で畳みかけにくる。
「嫌じゃないなら、いつもみたいにミィの頭をなでなでしてください。ミィを抱き寄せて、ミィの全部を受け入れてください。ミィは……ミィはウィリアムのことが、好きです」
怒涛の波状攻撃だった。
俺の理性の防壁が、藻屑のごとくたやすく打ち破られようとしていた。
思考の余地もなく、手がひとりでに動き出しそうになる。
ミィの頭をなで、その小さな体を抱き寄せ、彼女を我がモノにしたいという欲求が働く。
それに加えて、理性までもがそれに賛同し始める。
どうして俺は、こんなにも一途に想ってくれている少女を
そこにどんな道理が、正義が、人の道があるというのか。
感情も、欲望も、理性も、俺のすべてが彼女を肯定していた。
抗う術など、何一つない。
これはダメだ。
落ちる。
いや、落とされる。
そう、自らの敗北を確信したそのとき──
ベッド脇にある俺の荷物袋の中から、その声が聞こえてきた。
「──あれっ、真っ暗だよ? 本当にこれでいいの? ……あーあー、ウィル、聞こえる? 僕、僕僕、アイリーンだよ。聞こえたら返事して~」
その場の時間が、ぴたりと止まったように思えた。
ベッドに腰掛けた俺。
その俺の腰に抱き着いているミィ。
その様子を見守っていたサツキとシリル。
全員が硬直していた。
そんな中、最初に動いたのはミィだった。
彼女はそそくさと俺から離れると、俺の荷物袋をいそいそと漁り始める。
そして、そこにあった
「ふしゃあああああっ! アイリーン、なんて悪運の強さですか!」
「えっ、み、ミィちゃん? どうしたの、怒ってる? ……えっと、それよりウィルいる? いたら代わってほしいんだけど」
「チッ、分かったです。月のない夜は覚えてろです」
「えぇ……何なの……」
それはどうやら、
魔力が付与された専用の手鏡と手鏡をつなぐ
おそらくは王城にいる宮廷魔術師のいずれかにでも、
アイリーンには俺の手鏡の
「はいです、ウィリアム」
「あ、ああ」
ミィから手鏡を受け取る。
それからミィは自らのベッドのほうへ、とてとてと駆け寄っていって、そのままベッドにダイビングして、そこに埋まった。
枕に向かってうつぶせに顔を埋めた彼女の姿は、どこか真っ白に燃え尽きた灰のような気配を醸していた。
俺はそれを脇目にしつつ、鏡のほうへと向き直る。
そこには、銀髪ショートカットのボーイッシュな容姿の少女──俺の幼馴染にしてこの国の王女、アイリーン・グレイスロードの姿が映っていた。
「あ、ウィル! ごめんね、こんな夜遅くに」
「ああ、構わないが。緊急の用事か?」
「うん、そう。大変なんだ」
そう前置いたアイリーンは、一息つき、それからこう伝えてきた。
「どうもこの地に、魔族の王──『魔王』が出現したらしい。王都中が大騒ぎだよ。だからウィル、キミにも手伝ってほしいんだ──魔王討伐を」
彼女が伝えてきた内容は、まさに寝耳に水と呼ぶにふさわしい内容だった。
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