第124話
浴場に現れたその青年は、明らかに武芸者といった体つきをしていた。
体格が良く、筋骨隆々としていて、背丈は俺よりも幾分か上──おそらくは百八十センチを超えるだろう。
だが鈍重そうな雰囲気は微塵もなく、その引き締まった肉体は虎のような大型肉食獣を連想させた。
歳の頃はというと、俺やサツキたちと同じぐらいだろうか。
赤髪と、同色の瞳が特徴的な、かなり整った顔立ちの青年だった。
ただ、その青年には一つ大きな問題があった。
それは、かなり下品な物言いになるのだが──
ああ、赤毛の人物というのは下の毛もやはり赤なのだな……ということが分かってしまう着衣状態だったということだ。
その状態の青年は、バスタオルを肩に引っかけ、威風堂々とした態度で湯船のほうへと向かってくる。
するとそれを見たシリルが、不快感を顕わに立ち上がった。
胸に巻いたバスタオルを手でしっかりと押さえつつ、青年に抗議の言葉を向ける。
「あなたね……タオルも巻かないで混浴風呂に入ってくるなんて非常識よ。入浴マナーを守りなさい」
またミィも、湯船に浸かったまま興味がなさそうな様子で、シリルに同調する。
「まったくです。自信があるんだか知らないですけど、単純に不快です」
二人の少女による苦言。
まったりとした雰囲気だった夜の露天浴場の空気が、一人の青年の闖入(ちんにゅう)により一気に緊張していた。
だが二人の少女から非難された青年は、まったくそれを意に介した様子もなく、なおも湯船のほうへと歩み寄ってくる。
「ほう、非常識ね。だが女、常識なんてものに囚われていていたんじゃ人生面白くないぜ。あとそっちの猫、お前が不快かどうかなんて関係ねぇよ。俺は俺のやりたいようにやる」
そして青年は、掛け湯もなしにざぶんと湯船に浸かった。
それによって跳ね散った湯水が、俺たち四人に降りかかってくる。
……良くない手合いだ。
俺は顔にかかった湯を拭いつつ、そう感じる。
こういった輩には──不愉快なことではあるが──なるべく関わり合いにならないのが得策だ。
こうした手合いを見ると暴力的手段で叩きのめしたくなるのが人の
だが、俺たちのパーティには一人、そうした理性的な判断をしない者がいる。
彼女は立ち上がり、いきり立ったシリルを抑えて前に出ると、湯の中をざぶざぶと歩いて、対面で湯に浸かっている青年のほうへと向かっていく。
「へぇ、そうかよ……。だったらあたしも──」
そう言って、腰まで湯に浸かった青年の前に立ち、拳を握ったサツキは──
「──やりたいようにやらせてもらうぜ!」
オーラを纏ったその拳を、青年の顔目掛けて振り下ろした。
「──グレン様!」
そのとき、女性更衣室の入り口のほうから別の女性の声がしたが、それが制止には間に合わないことは明白で──
ぶわっと、青年の赤髪が揺れた。
サツキの拳は、しかしそれでも、青年の顔面の前でピタリと止まっていた。
青年が受け止めたりしたわけではない。
サツキが元より、寸止めをするつもりでいたのだ。
一瞬の静寂。
次に声を発したのは、サツキに殴り掛かられた青年だった。
「くっ……くくくくっ……いい、いいぜお前。なかなか俺好みだ」
そう言いながら、青年は素早く、殴り掛かったサツキの手首をつかんでいた。
あのサツキが、それをよけられない。
「くっ……テメェ……! 全部見えてやがったのに、よけようともしなかったな……!?」
「当たり前だ。最初から寸止めするつもりの拳を、どうしてよける必要がある。──自分から俺に食われにきたか、女」
「くっ……ぅあっ……!」
青年は自らも立ち上がり、サツキの腕をひねり上げた。
サツキは苦悶の声を上げ、長身の青年の手によって宙吊りにされる。
そのサツキに、青年のもう一方の手が伸び──
「──やめろ、そこまでだ」
俺は立ち上がり、青年に向かって警告の声を発していた。
無法はお互い様と思って経過を見ていたが、度が過ぎるようならば見過ごせない。
暴力的な手段は避けたいが、より大事なものを守るためなら、ときに社会悪的手段を取ることを厭うつもりもない。
なお魔術師は、杖がなくとも一応の魔法の行使は可能だ。
魔術師の杖はより強力な呪文を行使するための補助道具に過ぎない。
「あん? ……なんだお前、こいつらの男か?」
青年の注意が俺のほうへと向き、ひねり上げていたサツキを手離す。
サツキの体が、ざぶんと湯の中に落ちる。
その後浮上して、少女はケホケホとせき込んだ。
俺はその様子を視界の端に収めつつ、青年に向かって言葉を返す。
「そうだ、と言ったら?」
俺のその言葉には、シリル、ミィ、サツキの三人が俺のほうをまじまじと見てきた。
売り言葉に買い言葉というだけのものではあるのだが──一方で俺は、確かに彼女らを自分の所有下に置いておきたいと思っている、その醜い自意識をも同時に自覚していた。
一方で青年は、その赤髪をかき上げ、俺の問いに対してこう返事をしてきた。
「だったら自分の女の
「……キミはどこまでも、人に対する礼儀がなっていないようだな」
「礼儀なんてもんは俺が生きるのに必要ねぇよ」
「そうか。どうやらキミとは何を話しても無駄のようだ」
「同感だな。──興が冷めた。お前らさっさとどっか行っちまえ」
「ああ。業腹だが、こちらもキミと一緒に湯に浸かりたくなどない。──行こう、サツキ、シリル、ミィ」
俺はこくこくとうなずく三人の少女を連れて、足早に浴場を出ていった。
その途中、一人の女性が入れ替わりで青年のほうへと向かっていったが、そんなことはどうでもよく、俺は一刻も早くこの不快な場から離れるべきだと感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます