第104話
「それはそうとウィル。ミィのやつ、見てやってくれよ」
アイリーンとの話が一区切りついたところで、サツキがそんなことを言ってきた。
「ん……? ミィがどうかしたのか?」
「それは見てのお楽しみってな。な、ミィ?」
「えぇぇえええっ? ま、またできるかどうか自信ないです……」
当のミィはというと、何かもじもじして照れくさそうにしていた。
「大丈夫だって。一度できたんだからできるって。感覚、覚えてんだろ?」
「まぁ……まぁ、多分。でも自分の中で完成してないものを人に見せるって、すごく恥ずかしいです」
そう言いながらもミィは、てくてくと歩いて俺の真正面に立つ。
俺の胸下ぐらいまでの背丈しかない獣人の少女が、俺から三歩分ほどの距離を空けて立ち、すぅと深呼吸をした。
それから真剣なまなざしで俺を見上げてくる。
「じゃあ……いくですよ、ウィリアム」
「あ、ああ……」
何が始まるのか分からない俺としては、心構えのしようがない。
いったいミィは何を見せようとしているのか──
そう思っていると──ふっ、と。
俺が瞬きした瞬間に、視界からミィの姿がかき消えた。
「何……!?」
一瞬前までいた姿が、まったく見当たらない。
ミィは盗賊だ。
それだけに身を隠すのが得意という印象はあるが、盗賊というのは通常の技術職であり、魔法のような超常現象を引き起こす能力は持たないはずだ。
目の前にいたものが突然姿をくらませるなどという芸当はありえない。
「へぇっ……! 速いね、ひょっとするとサツキちゃんよりも──」
アイリーンのそんな声が聞こえてくる。
……速い?
つまり消えたのではなく──
「うおっ……!?」
そう思って周囲を見渡してミィの姿を探そうとした俺に、後ろから何かが俺の背中に飛び掛かってきた。
前のめりに倒れそうになるが、どうにか踏ん張る。
さらに背後から、俺の首周りと腹周りに何かが回される。
首のほうは柔らかい、腕か何かか──そう思ったときには、その体勢は完成していた。
──おんぶ。
何者かが俺の背中にのしかかり、その両腕と両脚で俺にしがみついていたのだ。
……いや、何者かも何もないのだが。
その犯人は、俺の耳元でささやきかけてくる。
「……どうですか、ウィリアム? ミィの姿、見えたですか?」
心なしか、いつものミィの声より妖艶に聞こえた。
俺は努めて平静を保ち、返事をする。
「いや、見えなかった。何だいまのは……?」
「オーラだよ。ミィも使いこなせるようになったんだ」
俺の問いに答えたのはサツキだった。
……オーラ?
ということは、ミィが脚力にオーラを乗せて超速度で動いたのを、俺が視認できなかったということか。
確かにあのぐらいの間近の距離で、サツキやアイリーン並みの速度で瞬発的に左右に動かれたら認識は難しいかもしれない。
だがミィはこれまで、オーラを使いこなすことはできなかったはずだ。
俺やシリルと一緒にサツキからコツは教わってはいたが、やり方を教わったからといってすぐにできるようになる類のものでもない。
オーラによる身体能力強化は、絶対的にセンスが必要になる技術だ。
トレーニングによってそのセンスを身につけることができるというのはあるのだが──
「使いこなせるようになったは言いすぎです。やっと脚にオーラを乗せる感覚が分かってきただけです」
「そこまでいきゃあすぐだよすぐ。な、姫さん」
「んー、どうだろ。僕、物心ついた頃には全部できてたっぽいから、その辺はよく分かんないかも」
「うっわ、出たよ天才……タチわりぃ」
サツキ、ミィ、アイリーンの三人でキャッキャとオーラ談議に花を咲かせていた。
見ればシリルが一人浮かない顔をしている。
……まあ、それはそうだろうな。
それはともかくとして。
「……ところでミィ、分かったからそろそろ離してもらえないか」
ミィは俺の背中にしがみついたままだった。
柔らかな腕や太ももでぎゅっと抱きつかれて、一方の背中には彼女のやや平坦ながらも少女らしい体つきと体温が衣服越しに密着している。
子どもに抱きつかれているようなものと思えば気にすることもないのかもしれないが、どうにも異性を意識してしまっていた。
別段幼女趣味は持ち合わせていないつもりなのだが……。
しかしミィは、そんな俺の内心などお構いなしに、妙なことを言ってくる。
「ミィはもう少しこうしていたいです。……シリルに許したんだから、ミィにもこのぐらいは許さないと不公平です」
後半部は俺にだけ聞こえるように、俺の耳元でそっとささやくミィ。
その少女の悪魔のようなささやきに、俺は言葉を失うしかなかった。
「……何ならシリルにしたみたいに、正面からぎゅーって抱き合うですか? ミィは構わないですよ? 人前だろうが望むところです」
「…………」
ミィの顔は見えない。
どんな顔をしてこんなことを言っているのか。
「……な、なんて、冗談ですけどね。本気にしたですか?」
ミィが唐突に、パッと俺の背中から離れた。
俺はようやく、少女の重みから解放される。
そしてミィはてってと、サツキのいるほうに戻っていった。
「おい、ミィ。何どさくさまぎれに抱きついてんだよ。ずりぃぞ」
「一撃必殺のチャンスを逃さないのが盗賊の資質です。バカ正直に真正面からぶつかるしかしないほうがどうかしてます」
「んだよ、そういうのアリなのかよ」
「アリとかナシとか言っている時点でサツキはまだまだです」
……困る。
困るのだが、何かをコントロールしようにも敵が一枚も二枚も上手でどうにも勝てる気がしない。
そう思っていると、アイリーンが横からうりうりと肘を入れてくる。
「ウィルってば、少し見ないうちに随分ミィちゃんと仲良くなってるみたいだねぇ?」
「……俺にもいろいろとあるんだ。正直どうしたらいいか分からなくなっている」
「へぇ、ウィルにも分からないことってあるんだ」
「当たり前だ。何を言っている」
アイリーンのからかいに嘆息をしながら応じつつ、相変わらず答えの出ない問いに頭を悩ませる俺であった。
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