第94話

「ああもう、遅くなっちゃったよ~!」


 アイリーンは、夜の森の中を走っていた。


 脚力にオーラを乗せ力強く地面を蹴る彼女は、常人では考えられないスピードで疾駆している。

 しかもその速度で木々の間を走っていても、木に衝突することは的確に左右にステップを踏んで回避しているのだから、動体視力と反射神経も凄まじいものと言えた。


「ウィル、待ってるかなぁ……」


 疾走する少女は、ぼそりとつぶやく。

 そうすると、アイリーンの脳裏には先の全裸で現れたウィリアムの姿が浮かんでしまい、顔を赤くした少女は顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を振った。


「あ痛っ!」


 ──ズドン!

 さすがに木にぶつかった。


 大イノシシに衝突されたような勢いで木が揺れ、少女が立ち止まる。

 直前でオーラを防御に回したので大事はなかったが、ひりひりとした鼻をさすって涙目になるアイリーン。

 ぶつかられた木のほうが被害甚大で、傾いたその木は根っこが半ばまで抜けかかっていた。


「いたたたた……もうーっ! ウィルがあんな格好見せるからだ!」


 夜空に向かって叫ぶ男装の少女。

 明らかな責任転嫁であった。

 ちなみに、幼い頃に一緒に水浴びをしたことはあっても、いまの歳となっては刺激が強かったアイリーンである。


「あとあいつら、いつにもなく張り切るんだから。そうじゃなきゃもっと早く動けたのに……」


 そう口を尖らせるアイリーンが思い浮かべている「あいつら」というのは、彼女が指導を担当している見習いの騎士たちだ。


 これから赴く危険な戦地に、見習いたちは連れていけない。

 そう判断したアイリーンが見習い騎士たちに「帰って」と命じると、見習いたちは口を揃えて「嫌です」と断った。

 男の子たちの矜持が、上官で凄腕とはいえ同年代の少女を一人危険な戦地に赴かせ自分たちだけ逃げるという行動を許さなかったのだ。


 とは言えアイリーンからしてみれば、彼らの存在が足手まといであることに変わりはない。

 しかも「足手まといだから帰って」とストレートに言っても納得しないものだから、「じゃあ全員で掛かってきて僕に勝てたら、足手まといじゃないと認めて同行を許可してあげる」という話になった。

 これにはさすがに、見習い騎士たちもうなずくしかなかった。


 しかしアイリーンにとって計算違いだったのは、見習い騎士たちがなりふり構わず「勝ちに来た」ことだ。

 普段お行儀のいい騎士剣術しか使おうとしない少年たちが、体当たりやつかみ掛かりをはじめとしたがむしゃらな戦い方でとにかく何でもいいからアイリーンを組み伏せようとしてきて、さしもの天才少女も手を焼かされることになった。


 それでも実力差は歴然で、最終的にアイリーンは四人の騎士見習いたちを完膚なきまでに叩きのめすのだが、その頃にはアイリーンのほうも息も絶え絶えで、見習いたちとともにばったりと地面に大の字に倒れてしまった。


 その状態から、ある程度回復しての出立である。

 ウィリアムと別れてからは、だいぶ時間がたってしまっていた。


 そしてそのとき、ぽつりと、アイリーンの頬に雫が落ちた。


「うわっ、雨まで降ってきたし!」


 ぽつ、ぽつと降ってきた雨は、すぐに勢いを増し、大量の雨粒がアイリーンの体を叩き始めた。


「あああもう~、何なんだよ~!」


 アイリーンは近くの木陰に身を隠すと、背負っていた荷物袋の中からフード付きの外套(マント)を取り出し、それを羽織る。

 その外套は少女の全身を包み込むほどの丈があり、外側には水を弾く加工が施されている。

 騎士たちが遠征に出るときには必ず持ち歩く雨具だ。


「ううっ、冷た。雨は嫌だよ本当~」


 アイリーンは一度ぶるりと震えながらも、再び走り始めた。


 だが森の中を走り、大雨に打たれ続ければ、外套の内側も徐々に濡れてきてしまう。

 このぐらいの雨だったら外套を身につけていようがいまいがどうせずぶ濡れだし変わらなかったかもと思えるぐらいに激しい雨で、数分も走った頃には案の定、服の内側にまで雨水が浸透してきていた。


「でもウィル、エルフたちが集まってるところは野ざらしだって言ってたけど、この雨とかヤバいんじゃないかなぁ。夜中じゅう雨に打たれたらみんな風邪ひいちゃうだろうに、大丈夫かな」


 そんなことを心配しながら、走ることさらに数分。

 そんなアイリーンの視界にやがて、木々の合間から見える焚き火の明かりが映り始める。

 ウィリアムから聞いていたエルフたちの集合場所と一致する。


「……って、焚き火? この雨の中で?」


 アイリーンは首を傾げる。


 そうしてさらに走っていくと、「その光景」が少女の視界に広がったのだった。

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