第93話
アイリーンと別れて空を飛んだ俺は、エルフたちが灯す火を目指して飛んだ。
そして近くまで来てその場所を把握すると、自分の服を脱ぎ捨てた場所まで一度戻り、そこで
「あ、お帰りウィル!」
俺の姿を認めたサツキが、パタパタと駆け寄ってきた。
そして俺の前に立つと、もじもじと照れた様子で手を後ろで組み、上目遣いでこんなことを言ってきた。
「なぁ、疲れただろ。ご飯にする? お風呂にする? それとも……あ、た、し?」
「……帰るなりいきなり何を言っているんだキミは」
普段からおかしなところのあるサツキだが、この行動はとりわけ意味不明に映った。
そもそも現段階でこのような場所に風呂の用意があるとも思えないし、どう考えても新婚夫婦の定型句だ。
……いや、そうか。
これはサツキなりの、偵察で疲れて戻った俺を和ませようというジョークということか。
ならばこちらもジョークで返すのが小粋というものだろう。
俺は少し考え、彼女にこう返した。
「いや、サツキ、気が変わった。──キミをいただくことにしよう。構わないか?」
「ぴぎゃ?」
ある種の冒険物語で見る類のキザな男主人公の真似をしつつサツキの両肩に手を置くと、着物姿の少女はバジリスクに睨まれて石化したかのように硬直した。
「えっ、いやっ、ちょっ、待っ……! いまのは、その、冗談で、心の準備が……」
そう言いながら、サツキはぎゅっと目をつむる。
ジョークはどうやら成功のようだ。
俺は心の中で小さくガッツポーズをしつつ、種明かしをする。
「ああ、こちらも冗談だ。なかなかに楽しかった。ジョークというのは人の心を柔らかくするものだな。勉強になる」
「は……? ──ふにゅっ」
サツキの肩から手を離して、それから少女の頭をなでる。
どういうわけか最近、ミィばかりでなくサツキにも、頭をなでたくなるような可愛らしさを感じる。
小動物的な魅力とでも言えばいいのか。
そうしていると、その俺たちの様子を後ろで見ていたミィとシリルが、ぼそぼそとつぶやき始めた。
「サツキはどうしてあんなのを信じるですか……。ウィリアムのいつもの天然だって気付きそうなものですけど」
「そう? 当事者になると意外と動転して気付かないかもしれないわよ」
「あー……それはあるかもです。そうなってくると、あのウィリアムがジョークと言い張る天然も意外と厄介です」
「そうね。様子見レベルとは言え、用意した刺客がああも簡単に返り討ちではね」
「ていうかあれ、サツキだけ役得な気がするです」
漏れ聞こえてくるのは、何ともよく分からない話だった。
俺の名前が出ているあたり気にならないと言えば嘘になるが、彼女たち女性陣の間での話題であるならば、わざわざ介入していくというのも野暮というものだ。
それに、本当に俺が聞く必要のあることならば、彼女らのほうから伝えてくるだろう。
俺はそう考え、ひとまず話を仕事方面へと戻すことにした。
「それはそうと、偵察の結果だ。この近隣にオークの姿は見当たらなかった。オークの大軍はいま、フィノーラたちのいたエルフ集落に滞在している。そのエルフ集落も偵察してきたが……はっきり言って、キミたちにあの場は見せたくないな。それほどの惨状だった。オークの種族的性質の醜さは、知識で知っているのと実物を見るのとでは印象が大違いだと痛感した」
俺がそう伝えると、三人の少女はその表情に真剣味を纏う。
そして、次に口を開いたのはシリルだった。
「ねぇウィリアム──あなたはこの戦い、勝てると思う?」
三人の視線が、俺のほうへと集まった。
俺は慎重に言葉を選び、彼女の質問に答える。
「……何とも言えないな。だが勝算はあるし、朗報もある。偵察の帰りに、アイリーンに出会って協力を取り付けた。国の騎士団ではなく彼女個人の助力になるが、それでもあの怪物の助力を得られるのは大きい」
「は……? 姫さんが、何で?」
眼下のサツキが驚いた顔をする。
当然ながら、シリルとミィも目を丸くしていた。
まあ、それはそうだろう。
「俺も驚いた。向こうの準備ができ次第合流する手はずになっているから、しばらくすれば姿を現すだろう」
一方、俺たちがそんな話をしていると、近くの焚き火のそばから二人のエルフが歩み寄ってきた。
フィノーラとレファニアの母娘だ。
「ウィリアム、帰っていたか」
「お帰りなさい。どうだった?」
「報告が遅れてすまない。偵察の結果を話そう」
そうして俺は、サツキたちに話したのと同じ内容を、フィノーラたちにも説明した。
周囲にオークの姿は見当たらなかったこと、フィノーラの集落に多数のオークたちがいたこと。
集落で見てきた惨状についてはある程度表現をぼかしたが、それを聞いたフィノーラは悲しそうに首を横に振り、レファニアは「許せない……」とつぶやいて拳をにぎりしめた。
だが怒りだけで戦いに勝てるなら苦労はしない。
フィノーラはそれをよく分かっているようで、憤る娘を抱きしめ、なだめていた。
フィノーラ自身こそ本当の隣人を失い、あるいは虐待されているというのに、それでも感情に流されないのは大したものだと思う。
あるいはレファニアを抱きしめなだめることによって、自身を制御しているのかもしれないが。
そしてフィノーラは、この場の指揮官として別の懸念を漏らしてくる。
「オークどもの状況は分かった。だが問題はほかにもいくつかある。一つはあれだ」
そう言ってフィノーラがまっすぐに指さしたのは、夜空をこちらに向かってゆっくりと流れてきている暗雲だった。
俺が鷲の姿で偵察していたときにも見たものだが、いまはそのときよりもだいぶ近付いてきている。
「あの雲行きだと、やがてここも大雨になるだろう。だが洞窟から拠点を移したはいいが、この場にはまだ風雨を凌げるだけの準備ができていない。夜中じゅう雨に打たれれば、皆の体力が奪われ、風邪をひく者も少なからず出てくる。大木に寄り添っていれば幾分かは凌げるだろうが、それでもな……」
フィノーラの懸念はもっともなものだった。
普段当たり前に屋根の下で暮らしていると忘れがちだが、住居が持つ「風雨を防ぐ」という機能は、人が暮らしていくにあたって極めて重要な役割を果たす。
命懸けの戦いに身を投じていると、「風邪をひく」といったような日常的な病苦を軽んじがちだが、当然ながらこれは軽視してよい問題ではない。
健康はすべての資本であり、それは戦いにおいても同様である。
サツキやアイリーンのような優れた戦士でも、風邪をひいて熱に浮かされた状態で戦いに挑めば、オークに後れを取ることすらあるだろう。
それに戦闘員でなくとも無視はできず、風邪を引いたまま体力を回復できなければ、最悪のケースそれによって命を落とすことも考えられる。
人の生命力は、武器を持った戦いによってのみ奪われるものではない。
ゆえに、あの洞窟を拠点と定めたフィノーラの決断は、それなりの妥当性を持ったものではあったのだ。
だが俺も、その点に関してまったくの無策で拠点移動を提案したわけでもなかった。
俺はフィノーラに自身の考えを述べる。
「それは俺に任せてもらって構わない。
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