第83話

 重苦しい場の沈黙を破ったのは、シリルの発言だった。


「でも、そうなってくるともう、私たち個人の手には負えないんじゃないかしら。ほとんど軍隊の規模の話でしょう? ──エルフには、そういった軍隊のようなものって存在しないんですか?」


 そうシリルが話を振った先は、レファニアの母、フィノーラだ。

 そのレファニアの姉ぐらいにしか見えない若々しい姿のエルフは、しかし苦い表情で首を横に振る。


「この近隣のエルフ集落で、最も多くの戦士を擁していたのが私の滞在していた集落だ。その規模はエルフの戦士二十三人……いや、いまはもっと減っている。何人もの戦士が奴らに殺され、あるいは捕らえられた」


 そう言ってフィノーラは悔しげに歯を食いしばるが、いまはそのときではないと思ったのか、首を横に振ってから話を続ける。


「いま私を含め、数人の戦士が近隣のエルフ集落にこうして助力を求めに走っているが、かき集めても戦士の数が百人を超えることはあるまい。遥か遠く、『大妖精の森』に助力を乞えば数百人規模のエルフ戦士がいるはずだが、あそこからは人間のもうけた国境をいくつも超えて来ねばならず、片道でひと月以上の時間がかかる」


 そこでフィノーラは一度言葉を切った。

 そして彼女はその目を据わらせると、次の言葉を放つ。


「そしてそれだけの時間があれば、捕らえられた多くの同胞たちが腹の中でオークの子を十分に育て、それを産み落とすために腹を破られて命を落とすのに十分だろう。……他種族に子を産ませるオークは、出産までの期間が異様に短い」


 フィノーラのその話を聞いて、サツキが不愉快そうに舌打ちをした。

 ミィとシリルも、同様に怒りの感情を湧き上がらせているように見えた。


 俺はそれを見て、まずいな、と思った。

 三人とも気持ちが前のめりになりすぎている。


 気持ちは分かるが、冷静さを欠いては判断を誤る。

 まずこの件は、俺たちが踏み入るべき案件なのかをジャッジしなければならない。


 だが現状、状況に対して最も冷静なのは俺のようだ。

 俺は頭の中で本案件に適切な報酬額を計算しつつ、フィノーラに向かって切り出した。


「フィノーラ、一つ聞きたい。この件に俺たちが傭兵として助力するとして、その場合の報酬はいくら出せる?」


「──ウィル! いまそんな話……!」


 サツキが横から食ってかかってくるが、俺は彼女に視線を向け、首を横に振る。


「ダメだ、サツキ。この件には関わるにしても、仕事と割り切って関わるべきだ。何が何でも、命を懸けてでも敵を撃滅し捕らわれたエルフを救出してやろうなどと考えていたら、本当に死ぬぞ。退き際を誤らないためにも、そして俺たちがどこまで踏み入るのかをフィノーラたちに明確にしておく意味でも、きちんと契約の態を整えて関わるべきだ」


「……っ! ……んん~、うああああっ……!」


 サツキがバリバリと頭をかく。

 感情の向けどころがなくて苛立っている様子だった。


 だがしばらくしてピタリと動きを止めると、


「……分かったよ。ウィルに任せる。多分それが一番いいんだ」


 そう言って、彼女は方針決定を俺に預けてきた。

 さらにシリル、ミィを見渡すと、彼女らも首を縦に振る。


「いまの自分が冷静じゃないことぐらい分かっているわ。ウィリアム、あなたに任せる」


「ミィもです。ウィリアム、お願いしますです」


 俺は彼女らのその言葉を聞いて頷きつつ、フィノーラへの交渉を再開する。


「こちらが要求する報酬額は、まず四人分の日当として一日当たり金貨二十枚、加えて目的達成時の報酬として別途金貨二百枚だ。これは俺たちの実力と敵対勢力の大きさから考えて、相応と思う額を提示したものだ。また俺たちは、自分たちの身に及ぶ危険が極めて大きいと判断した場合、そこでこの話からは降りさせてもらう。この場合でも、すでに働いた分の日数の日当は要求する。──この条件で良ければ協力しようと思うが、どうだろう?」


 俺の話を聞いたフィノーラは、少しの間黙考する。

 それから彼女は自分の娘に対して質問する。


「レファニア、この人たちの実力と人柄は、信頼に値するのだったわね?」


「うん、お母さん。人柄は私が保証する。実力も、彼の話は嘘ではないと思えるわ」


「そう……分かった。──ウィリアム、だったな? ではその条件で是非、キミたちにも協力をお願いしたい。よろしく頼む」


 そう言ってフィノーラは立ち上がり、俺の前に来ると握手を求めてきた。

 俺も立ち上がり、握手を受ける。


「良い結果を導けるよう最大限の尽力をするつもりだ。こちらこそよろしく頼む」


 こうして俺たちは、エルフとオークとの戦いへと足を踏み入れることとなったのだった。



 ***



 一方その頃。


 王都グレイスバーグの王城、城壁に囲われた中庭の訓練場で、王女アイリーンは一人の兵士から報告を受けていた。


「えぇー、またオークぅ?」


 アイリーンはその報告を受けて、うんざりだという声をあげる。

 これでもう、ここ最近だけで三件目のオーク退治の要請だった。


 銀髪ショートカットの男装の美少女といった姿の王女は、自分と対峙していた四人の騎士見習いに休憩を言い渡すと、手拭いで汗を拭きながら兵士の報告に耳を傾ける。

 その傍らでは、ようやく休憩の許しを得た騎士見習いの少年たちが、一斉に崩れ落ちるようにしてその場に倒れて大の字になっていた。


 彼らはアイリーンと同年代の少年たちだが、四人がかりでも一人の少女に軽くあしらわれていた。

 だがこれは少年たちが弱いのではない。

 彼らとて騎士になるために日夜訓練に励んでいるのであり、現段階でも一般兵士程度かそれ以上の実力は持っている。


 アイリーンという王女が、あまりにも強すぎるのだ。

 天才剣士の名をほしいままにする彼女は、しかしいまだ発展途上で、その実力にはまだまだ天井が見えてきていない。


 その天才にして美麗な男装の王女に対し、兵士は緊張の面持ちで報告を続ける。


「はっ、またオークです! それで此度は、姫様に討伐に向かってほしいとのことで……」


「なるほどね、分かったよ。お父さんのことだから、何事も経験だって言うんでしょ? 了解了解、僕に任せておいて。それに──オークぐらいの相手なら、騎士見習いの育成にもちょうどいいし」


 アイリーンはそう言って、地べたで伸びている四人の騎士見習いたちを眺める。


 訓練だけでは人は育たず、実力のステージを上げるにはやはり実戦経験はどうしても必要になってくるのだから、こういった機会は積極的に活用していかなければならないのだ。


「はっ。──それで申し上げにくいのですが、国王からもう一つ、言づてを仰せつかっておりまして」


「ん、お父さんから? 何?」


「それが……『どうも不穏な気配を感じる。くれぐれも油断はするなよ。お前が油断して死んでも俺は知らん』だそうで」


「あはは、お父さんらしいね。どうせその『不穏な気配』っていうのも、ただの勘なんだろうなぁ。──でも了解。騎士アイリーン、しかと拝命いたしましたって伝えておいて」


「はっ、かしこまりました!」


 アイリーンへの連絡を終えた兵士は、ビッと敬礼をしてからその場を立ち去って行った。

 それを確認しつつ、アイリーンはぐったりとした四人の騎士見習いたちに向けて、パンパンと手を叩く。


「はい、それじゃ休憩終了。これからオーク退治のピクニックに行くよ。準備して」


「「「──は、はい!」」」


 騎士見習いの少年たちは、一斉に飛び起きるようにして起き上がり、元気よく返事をする。

 彼らにとって、王女アイリーンは憧れの的であると同時に、逆らってはならない鬼教官なのであった。

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