第56話

 翌朝。

 俺はアリスの動向を監視するべく、ミィと二人でゴルダート伯爵の屋敷へと向かった。


 アイリーン、サツキ、シリルの三人には近所で待機させている。

 さらにアイリーンには、街の魔法具店で交信コンタクト用の手鏡を購入させ持たせている。

 俺のほうからの一方通行の連絡しかできないが、急場の連絡には役に立つはずだ。


 さて、ミィと二人で伯爵の屋敷に向かった俺は、まず上流階級の街区に入るあたりで、認識阻害インセンサブルの呪文を行使した。

 この呪文は術者を中心にした半径五メートルほどを効果範囲とするもので、俺とくっついて行動している限りミィにも効果が及ぶ。


 そして俺たち二人は伯爵の屋敷の前、正門から少し離れた位置につき監視を始める。

 今日も正門の前には門番が二人いたが、どちらも俺たちの存在を意識している様子はない。


「この認識阻害インセンサブルという呪文はすごいです。ミィたち盗賊にとっては喉から手が出るほどほしい呪文です」


 ミィがぽつりとそんなことをつぶやく。

 俺はそうかと思い、余談としてミィに呪文習得までの筋道を説明してみる。


認識阻害インセンサブルは中の下といったレベルの呪文だ。魔術学院に入学するか、あるいは適切な教師について半年もみっちり勉強すれば、筋のいい者なら使えるようになる。多少筋が悪い者でも、一、二年も勉強に専念すれば身に付くはずだ」


「ううっ、それはさすがにちょっと……。ミィは勉強があまり得意ではないです。本を読もうとしても、すぐに眠くなってしまうです。……それに勉強するにはお金かかるですよね? 魔術学院だと、四年間で金貨四百五十枚だったですか? とても払える額ではないです」


「何なら俺が教えるか? 俺に都合のいい時間を使っていいなら、授業料は格安で引き受けても構わないが」


 俺がそう聞くと、ミィが目をぱちくりさせて俺を見る。


「えっ……それは手取り足取りということですか?」


「いや、手や足を取ることは滅多にないと思うが」


「密室で二人きりです?」


「まあ、そういったケースが多くはなるだろうな」


「ミィがよくできたら褒めてくれるです?」


「できるようになったら褒めてやるのは、良い教師の素養だとは思っているが」


「そうですか……。ちょ、ちょっと考えておくです」


 ミィは何やら頬を染め、もじもじとした。

 可愛らしいのは大変結構だが、何を考えているのか。

 だが自意識過剰になっても仕方がないので、ひとまず気にしないことにする。


 さてそれはともかくとして、俺とミィはそのまましばらく屋敷を張り込んだ。

 認識阻害インセンサブルの効力は一時間で切れるのだが、その都度、魔素を消費して効力の延長をかけて長時間の張り込みに対応する。


 また認識阻害インセンサブルには重ねて、魔力隠匿シールマジックの呪文を行使しておく。

 これは「魔力を隠す」呪文で、これを効果中の魔法に対して行使しておくことで、魔力感知センスマジックなどによる感知を回避することができる。


 そうして、認識阻害インセンサブルの効果延長を何度か繰り返し、持ってきておいた軽食をミィと一緒につまんで、昼食時を過ぎた頃のことだった。


「──動いた」


「え、ホントですか?」


「ああ。──出てくるぞ」


 アリスがようやく、屋敷から外出する動きを見せた。

 俺たちがずっと待っていたのは、この時だ。


 昨夜にミィが街の人からそれとなく情報収集をしたところ、アリスは朝から昼過ぎ頃にかけて外出することが多く、一度外出すると二、三時間ほどは屋敷に戻らない傾向にあるらしい。

 その動きを見込んで朝から張っていたのだが、ようやく狙いがヒットしたというところだ。


 屋敷の居館を出たアリスは、敷地内の中庭を通り、正門まで来る。

 そして召使いに門を開けさせると、屋敷の正門を出る。


「いつも通り、二、三時間ほど出掛けます」


「はっ。アリス様、お気をつけて」


 自分よりも年配の門番たちに頭を下げさせ、ウェーブロングの赤髪の美女が悠然と屋敷から出てくる。


 そして彼女は俺たちのほうに向かってきた。


「ミィ、体を寄せるぞ」


「ふぇっ!? な、何故ですか……?」


認識阻害インセンサブルの範囲を狭める。アリスが効果範囲内に入ってくると、こちらに気付かれる」


「な、なるほど、分かったです」


 通常、認識阻害インセンサブルの効果範囲は術者を中心に半径五メートル程度だが、この範囲内にいる者同士では認識されてしまう。

 アリスが範囲内に入るのを回避するため、効果範囲を狭める必要があったのだ。


 結果、アリスは俺とミィのいるすぐ前を、俺たちの存在に気付いた様子もなく通り過ぎていった。


 俺はそれを確認すると、ミィに対して念話テレパシーの呪文を行使する。

 これは術者が、呪文の対象と思念による会話を行えるようになる呪文である。


 俺は呪文が発動したことを確認すると、効果の試験も兼ねてミィに頭の中で語りかける。


『……よしミィ、尾行を頼む。危険を感じたら身の安全を第一優先に、その上で余裕があれば俺に連絡してくれ』


『は、はいです。任せるです』


 ミィは思念でたどたどしく返事をしつつ、アリスのあとを追って尾行を開始した。


 まあ導師級の魔術師とはいっても、魔法を使えることを除けばただの人だ。

 駆け出しとはいえその道のプロであるミィの尾行が感付かれることは、まずないだろう。


 俺は次に、路地裏に入って荷物から手鏡を取り出し、交信コンタクトの呪文を使ってアイリーンが所持している手鏡へと通信する。

 俺が持っている手鏡に、別の路地裏の姿が映った。


「わっ。び、びっくりした。いきなり映った」


 鏡の向こうから、アイリーンがおっかなびっくりこちらを見ている。

 その後ろでは、サツキとシリルの二人が同じく興味深そうにこちらを覗き込んでいた。


「アイリーン、アリスが動いた。屋敷の前まで来てくれ」


「う、うん、わかった。すぐに行くね」


「サツキとシリルはその鏡をアイリーンから受け取ってそこで待機。何かあったら動けるようにしておいてくれ」


「おう、分かった。暴れるときは呼んでくれよ」


「そうならないほうが望ましいのだけどね」


 三人にそう連絡をして、交信コンタクトを切る。


 ──さて、これですべての準備は整った。

 敵の本拠に攻め入るとしよう。

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