第52話

「さて、どうする依頼人どの。あのオークたちはこちらには気付いていないようだから、今のうちに移動すればやり過ごすことは可能だと思うが」


 俺が男装の幼馴染みにそう聞くと、彼女は即断で首を横に振る。


「まさか。僕たちなら難なく倒せるオークでも、戦う力を持たない民衆が遭遇すれば命を奪われる凶悪なモンスターなんだ。こうして遭遇したなら、倒すに決まってるよ」


 そう言ってアイリーンは、腰に提げられた剣をかちゃりと鳴らす。

 そして依頼人がそのつもりであるなら、こちらも否やはない。


 オークはゴブリンなどと同じく、人類と明確に敵対する種族である。

 言語の違いによる意思疎通困難の問題を抜きにしても、友好的な交流を視野に入れるような相手ではなく、武力をもって相対し殺すか殺されるかという関係になる。


 そしてアイリーンも言っているように、たった三体のオークであっても、戦う力を持たない人々にとっては恐るべき脅威だ。

 あれが近くの村でも襲えば、そこで凄惨な殺戮劇が起こるであろうことは想像に難くない。


 だが、そうして臨戦態勢を整える俺とアイリーンの横に、着物姿の少女がずいと歩み出てくる。

 そして彼女は、アイリーンを挑発するように言う。


「けど女騎士がオークと戦うと、散々な目に遭わされるって聞くぜ。姫さんは下がってたほうがいいんじゃねぇか?」


「……何それ? 僕そんなの聞いたことないよ。誰が言ってたの?」


「あー……酒場にいた酔っ払いども」


「何だよ、与太話じゃん。冗談じゃないよ、そんな迷信で引き下がってたら、僕が何のために騎士になったんだか分かりゃしない。僕は僕の力で民衆を守るために騎士になったんだ。サツキちゃんこそ危ないから、下がってたほうがいいんじゃない?」


「はっ、冗談じゃねぇ。あたしだって最強の剣士を目指して旅をしてきて、いま冒険者をやってんだ。でかいだけの木偶でくの坊相手になんざ、引き下がってられるか」


 二人がそんなやり取りをしていると、やがて三体のオークが木々の間からのしのしと姿を現した。


 俺たちがキャンプをしていたのは街道脇のちょっとした広場だったが、オークたちが現れたのはそこから少し先の街道、俺たちがいる場所から十メートルほど離れた地点だ。

 現れたオークたちは、俺たちの存在に気付き──


「──眠りスリープ


 俺が放った呪文によって、その巨体のうち二体が崩れ落ちる。

 残る一体は呪文の効果に抵抗したようで、ぶるぶると頭を振って、それから俺たちのほうへ向かって襲い掛かってきた。


 やはりオークぐらいになると、眠りスリープの呪文では抵抗される確率がそれなりに高くなってくるか。

 一般に強力なモンスターほど魔法への抵抗力が高い傾向にあるというが、さすがにゴブリンと同じようにはいかないらしい。


「あーっ! ウィルまたそれかよ! あたしの獲物ーっ!」


「だったら、残った一体は早い者勝ちだね!」


「あっ、ちょっ、待てよ!」


 文句を言うサツキの横から、アイリーンが猛烈な速度で走り出す。


 そして驚くオークが慌てて棍棒を振り上げるのを待つことなく、アイリーンはあっという間にオークの懐に潜り込むと、その分厚い左胸に剣を埋め込んだ。


 さらにはそのオークの胸板を深々と貫いた剣をすぐさま引き抜いて、タン、タンッと地面を二回蹴って後退、そのオークから距離を取る。


「やっぱり、生命力は大したものだね」


 剣の刃をオークの血で染めたアイリーンは、凶暴さを宿した声でそう呟く。


 心臓を貫かれ、左胸から噴水のように血を噴き出すオークは、しかしまだ絶命してはいなかった。

 半狂乱の様で悲鳴とも雄叫びともつかない声をあげながら、最後の力を振り絞ってアイリーンに襲い掛かろうとする。


「そこどけろっ、お姫様!」


「えっ? い、いいけど」


 アイリーンの背後から、サツキが駆け寄る。

 アイリーンはサイドステップで横によけて、サツキがオークの前に飛び込んだ。


 ──キィン!


 刀の鞘走りの音とともに、サツキとオークとが交差する。

 オークの向こう側へと抜けたサツキは、振り抜いた刀の血を振り払ってから、腰の鞘にしまった。


 対するオークはというと、その腹部の右半分が深々と断ち切られており、そこから臓物と血を溢れ出させながら崩れ落ちて、やがて動かなくなった。


 そして眠っている残りの二体のオークは、アイリーン、シリル、ミィの三人で退治する。

 戦闘終了だ。


 それからアイリーンは、サツキのほうへと向かっていった。


「ねぇサツキちゃん、さっきのはなくない? 危ないよねあれ?」


「るせぇ。そっちが先に抜け駆けしようとしたんだから相子だ。それに姫さんなら反応できると思ったからやったんだよ」


「信頼してくれてるのは光栄だけどね。もうちょっとチームプレイってものを考えてくれると僕としては嬉しいな」


「ちっ……分かったよ」


 二人はすれ違いざま右手をあげて、互いの手の平をパンと打ち合わせる。

 仲が悪いように見えて、意外と気が合うのかもしれない。


 それからアイリーンは、俺のほうへとやってくる。


「それにしてもこんな街道のど真ん中でオークに遭うとはね。……ねぇウィル、最近世界中で魔物の勢力が拡大してるって噂があるけど、本当なのかな」


「ああ、俺も学院にいる頃にそんな噂を聞いたことはあるな。俺が観測できる範囲では何とも言えないが──」


 ひょっとすると、世界のどこかで何かが起こっているのかもしれない。


 いつだって世界は、俺たちの成長をただ待っていてくれはしない。

 めくるめく変わりゆく世界の中で、俺たちもまた、自らの道を歩んでいくしかないのだ。

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