第32話
「じゃあ──行ってきます」
魔法の援護を受けたフィリアが、廊下の角を抜け出し、その足が地面を蹴った。
ひゅっと、風のような速度でその場から消え去った。
「えっ……?」
それを見ていたシリルが、きょろきょろと辺りを見渡す。
「うそ!? もうあんなところに」
フィリアはすでに、目的の部屋の前にいた。
いまの彼女の敏捷性は、普段のサツキと比べても比較にならないほどだった。
そしてフィリアは、俺たちがそうして見ている間にも扉を開き、疾風のように中に躍り込んでいった。
「ギャアアアアッ!」
「な、何だ!? どうした──うぎゃあああああっ! 俺の、俺の腕があああっ!」
部屋の中から、早速に阿鼻叫喚の叫び声が聞こえてくる。
「な、何だったですかあの速さは……。ミィでも目で追いかけるのがギリギリだったです。ひょっとしてあれもウィルの魔法のせいですか……?」
ミィのおそるおそるの問いかけに、俺はうなずいてみせる。
「ああ、
「も、もうほとんど超人クラスね……」
シリルが唖然としながら、そんなことをつぶやく。
「超人クラスか、妥当な表現かもしれん。敏捷性だけを三ランク分格上げするような呪文だ。今のフィリアは敏捷性だけならAランク戦士級の超人に匹敵するだろう。──さて、俺たちも行くぞ。ないとは思うが、万一の場合には援護をしてやる必要がある」
「わ、分かったわ。……本当にないとは思うけれど」
俺たちがそうして話している間にも、部屋の中からは山賊たちの悲鳴が立て続けに聞こえている。
フィリアが部屋の中の山賊たちを全滅させるのも、時間の問題だろう。
俺とシリル、ミィの三人は、件の部屋のすぐ前まで移動する。
するとそのとき、
「ひっ、ひぃっ! た、助けてくれ……!」
一人の山賊が、慌てて部屋から飛び出してきた。
部屋の入り口横手にいた俺たちの前を、俺たちに気付くこともなく死に物狂いで駆けだしてくる。
だが──
──ズシュッ。
その山賊の背から、刀が突き抜けた。
その刃は山賊の体を深々と貫き、彼の胸から血濡れた刃先を飛び出させていた。
「あ……がっ……」
「……何を逃げようとしてるんですか、このクズが」
山賊の背後から刀を突き立てているのは、空色の着物姿の少女だった。
だがその着物も、ポニーテイルの黒髪も、きめ細やかな肌も、その全身が真っ赤な返り血で染まっている。
少女が刀を引き抜く。
体から刀を抜かれた山賊は、ぼたぼたと赤い血をこぼしながら、どさりと前のめりに倒れた。
だが少女はそれで終わりにしない。
倒れた山賊の背中に、再び刀を突き立てた。
「──ギャアアアアアッ!」
「ほら、お前たちだってこうやって、お父さんや、お母さんや、お姉ちゃんや、みんなを殺したんだ! だったらお前たちも苦しんで死ね! こうやって! こうやって!」
フィリアは刀を引き抜いては、何度も何度も男の背中に突き立てる。
だがそこに──
──ガキィイイイイン!
目の前の殺戮に夢中になっていたフィリアの背後、部屋の中から現れた別の山賊が、少女の頭に手斧を振り下ろしていた。
「なっ……!?」
しかしその口からは、驚きの声が漏れる。
彼が振り下ろした手斧の刃は、フィリアを守る力場に弾かれ、跳ね返されていた。
「ちっ……」
フィリアは一瞬にして身を翻し、手斧を持った山賊を切り捨てた。
どさ、どさり。
泣き別れになった上半身と下半身が、それぞれに落下し、倒れた。
大理石の地面に、赤い液体が広がってゆく。
フィリアはその死体を乗り越え、部屋の中へと入ってゆく。
「ひっ……な、何なんだこの女……ば、バケモノか……! お、おいやめろ! 俺を殺すな! 俺の背後に誰がついているのか、分かっているのか!?」
部屋の奥から男の声が聞こえてくる。
だがその命乞いの中に、気になる言葉があった。
──背後?
この山賊の背後に、何者かがついているのか?
だがその俺の疑問とは無関係に、事は淡々と進んでゆく。
「そんなの知らない。私はお前たちをこの手で殺せれば、ほかはどうだっていい」
「く、来るな、来るなって言ってんだろ……! ……くそっ、こうなったら……こ、殺してやる! ──うぉおおおおおっ、死ねぇっ!」
フィリアと中の男とのやり取りが聞こえてくる。
男のほうは、おそらくは山賊の首領だろう。
俺は入り口脇から、中を覗ける部屋の前まで移動する。
するとその先には──
「が、はっ……!」
戦斧を振り上げた髭面の大男が、その姿勢で固まり、口から吐血している姿があった。
やはり山賊の首領と思しき人物だった。
その巨体を誇る首領の懐には、小柄な着物姿の少女の姿があった。
彼女は首領の左胸に、彼が着ている
がらん、と首領が持っていた戦斧が取り落とされた。
だが──
「──っ!?」
「が、ぐっ……お、女ぁ! 俺だけでは死なんぞ! 貴様も道連れにしてくれる!」
首領はフィリアの背へと、その太い両腕を回していた。
フィリアも死に際の男がそんな動きをするとは思っていなかったのか、反応が遅れてまんまと捕まってしまっていた。
「ぐははははっ! 死ね、小娘ぇ……!」
首領は少女を絞め殺そうと腕に力を込める。
その毛むくじゃらの剛腕で、少女の華奢な体などたやすくへし折れると思ったのだろう。
しかし──
「なっ……ば、バカな……ビクともせん、だと……!?」
また単純な腕力で言っても、オーラ込みのサツキの力があの男のそれにそう劣るとも思えない。
事実、フィリアは男の締め付けからするりと抜け出して、同時に首領の胸に突き立てた刀を引き抜いていた。
「がはっ……!」
胸から血をどくどくと溢れさせ、よろよろと前のめりになる首領。
そこに──
「──はっ!」
フィリアが裂帛の気合とともに、刀を横薙ぎに一閃した。
閃光のような一刀は見事に首領の首を捉え、その首を飛ばした。
首領の首はくるくると宙を舞い、やがて地面に落ちた。
同時に首がなくなった胴体のほうも、どさりと倒れ込んだ。
──そうして、すべてが終わった。
謁見室には、いくつもの山賊の死体と血だまりが広がっている。
その部屋に一人立っているのは、血濡れた刀を手にした着物姿の少女だけだ。
部屋の奥の窓から、朝日が挿し込んでいる。
穏やかな朝の時間は、こんなときにも平等に訪れていた。
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