第17話
「サツキ、いいところにいた。俺の部屋まで来てくれないか」
「ふぇっ……?」
ゴブリン退治のクエストから帰ってきて、翌日の昼過ぎ頃。
俺が誰かいないかと二階の宿の部屋から食堂まで降りていくと、ちょうどそこには、昼下がりのスイーツを大事そうに食べているサツキの姿があった。
果実とハチミツの乗ったパンケーキの切れ端を、フォークで口に運んでいたところで、少女はもごもごと口を動かしながら俺のほうを見る。
「ああ、食事が終ってからでいい。デートの誘いだ、付き合ってくれ」
俺はそれだけ言うと、カウンター席でパンケーキを食べるサツキの横に座った。
そしてマスターに銅貨一枚を渡して、ミルクを注文する。
「んぐんぐ、ごくん。──え? い、いま何て言った?」
「デートの誘いだ、付き合ってくれ、と言った」
「え? ……え? それってどういう……」
「ちなみにいまのはジョークだ」
サツキがかくん、と肩を落とした。
「な、なるほどね……これがミィが言ってたやつか……」
「だが付き合ってくれというのは嘘ではない。サツキ、キミに頼みたいことがある」
「はあ……いいよ、分かった、何でもいい、あたし付き合う」
一気にしょぼくれたサツキであった。
そうして、ミルクを飲み終えた俺はパンケーキを食べ終えたサツキを連れて、二階の宿にある自分の部屋へと向かった。
そして扉の前まで来ると、サツキが頬を赤らめもじもじとする。
「あ、あのさウィル。男が自分の部屋に女を呼ぶってことの意味、分かってるか?」
「……? キミは俺が、この情事を許可されていない宿で、真っ昼間から自室に女を連れ込んでいかがわしい行為に及ぶような人間だとでも思っているのか? だとするならさすがに俺の人間性に対する誤解が甚だしいから、その誤解を解くための議論を申し込みたいところなのだが」
「あ、はい、ごめんなさい。あたしが間違ってました」
サツキが真顔で謝ってきた。
分かってくれたようなのでよしとする。
そうなったところで、俺は早速、部屋の扉を開ける。
俺に誘導され、サツキが中へと入ろうとする。
「お邪魔しまー──って、なんじゃこりゃあ!?」
部屋の入り口で、サツキが叫んだ。
部屋の中の雑然とした様子を見て、唖然としている。
その部屋の中には、俺が
足の踏み場がないどころか、ベッドの上にもうず高く積まれていて、およそ人の入るような場所ではない。
「うむ。サツキ、キミに頼みたいものというのはこれだ」
「え、何この大量の布、どっから現れたの? っていうかこれをどうすんの?」
「俺が魔法で作った。これを縫製職人のところまで運んでもらいたい。労賃は払う。俺一人では骨が折れる」
「はあ……いや、いいけどさ……」
そうして俺とサツキは、布の山を背負って眠れる小鹿亭を出て、街の職人通りの縫製職人のところまで運んだ。
布は一枚で上着一着、あるいはズボン一着を作れる程度の大きさがあり、それがトータルで百枚程度。
全部をいっぺんに持つと、上流騎士が身につけるような
それを縫製職人の工房の倉庫へと運び、対価として金貨四枚を受け取った。
飛び込みなので多少買いたたかれたが、まあこんなものだろう。
そして運ぶのを手伝ってくれたサツキには、労賃として銀貨三枚を手渡す。
「え、こんなにいいの? ちょっと運んだだけなのに」
「ああ、臨時で手伝いを頼んだ分、多少色をつけた。俺よりも多く運んでくれたのもあるしな」
サツキはオーラを操る能力に長けているようで、それによって身体能力を高めることで男の俺よりもよほど多くの量の布を軽々と持つことができた。
オーラを操る能力は上級クラスの戦士にとっては必須不可欠の技術であると聞くが、サツキはすでにその技能を持ち合わせているということだ。
「へへっ、ラッキー♪ ……でも魔術師ってのは、あんな布を作るとかもできんのか。職人が買い取ってくれたってことは、しばらくしたら消えちゃうとかでもねぇんだろ。魔術師ってのはすげぇんだな」
「ああ、魔素の糸によって編み込まれた布だが、具現化してしまえば実体として定着し、
「百二十年前? んなもん知るわけねぇじゃん。あたしまだ十六だぜ。そんなのひい婆ちゃんだって生まれてねぇよ」
なるほど。
本を読む習慣のない人間というのは、そういった認識になるのか。
「百二十年ほど前に、冒険者が古代遺跡から
手織りの布の場合、材料費の問題もあるが、何よりそれを作るのにかかった人手が人件費として商品価格に上乗せされざるを得ない。
例えば伝統的な
それに下流工程の職人の人件費や、流通を担当する商人のそれも加味すれば、最終的な衣服の売値はどうしても金貨五十枚などという額になってしまう。
ところが
魔術師はこの魔法によって一日に数十枚から百枚程度の布を作り出すことができる。
現在
これによって最終的な衣服の売値を大幅に下げることが可能になったのである。
「……へぇー。何だか分かんねぇけど、すげぇんだなその魔法」
「ああ、非常に社会的価値の高い呪文だ。サツキが着ているその着物だって……ん? 待て、サツキが着ているそれは、ひょっとして手織りの天然ものか?」
基本的に、いま市場に出回っている衣服のほとんどは、魔術師が
だが俺は天然ものの綿織物というのを一度だけ見て触ったことがあり、サツキの着ているそれはよく見ると、そのときに見た天然ものを彷彿とさせる外観だった。
「あー、どうだろ、分かんね。刀と一緒で、絶対になくすなって言われたけど」
「ふむ……ちょっと失敬」
俺はサツキの衣服に鼻を近づけ、その匂いを嗅いでみる。
その結果、やはり以前に嗅いだ天然ものの匂いであると確信した。
「なっ、あっ……な、何して……」
ふと見ると、体臭を嗅がれたとでも勘違いしたのか、サツキが顔を真っ赤にしていた。
「あ、いや他意はない。やはり天然もののようだ。非常に高価な品だ。大事にしたほうがいい」
「うっさい! ああもうどっちなんだよ! ウィルのバカ!」
サツキは何やらとても怒っていた。
が、すぐに何かに思い至ったかのように考え込み、それから俺に質問をぶつけてくる。
「……あれ? でもそしたらウィル、冒険者なんて危険で実入りの悪い仕事しなくても、これで十分食っていけるんじゃね? なんで冒険者やってんの?」
核心を突いた、鋭い質問だった。
俺は慎重に言葉を選び、サツキに自身の考えを説明する。
「ふむ……別にそうした生き方を否定するつもりはないが、俺個人としては毎日布を作って売る生活をする人生にあまり魅力を感じなかった、ということになるな」
「はあ、人生かぁ……。ウィルってこう、いつも難しいこと考えてんだな」
別に難しいことを言ったつもりはないのだが、そう結論づけられた。
この娘はもう少し難しいことを考えたほうが良いのではないかと考える俺であった。
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