閑話:内職
第16話
ミト村から都市アトラティアに戻ってきて、その日の夜。
俺は「眠れる小鹿亭」という食堂兼酒場で、三人の仲間とともに夕食をとっていた。
この眠れる小鹿亭は二階が宿屋になっていて、サツキたち三人が活動拠点としている宿だという。
仲間たちとの連絡等に都合がよく、価格やサービス等に特に強い不満も感じなかったので、俺も彼女らと同じくそこを活動拠点にすることとした。
宿賃は、最も安い個室の一泊が、朝食付きで銀貨二枚と半分。
個室は極限まで狭く、ベッドのほかには衣装箱が一つあるだけという最低限の設備環境だが、それを加味しても十分にリーズナブルなので文句はない。
なお銀貨一枚は、金貨一枚の十分の一の価値を持っている。
なのでこの宿に四日間宿泊すれば、金貨一枚がなくなる計算だ。
普段の生活費としては、これに加えて昼食と夕食を調達するための資金は最低限必要だし、ちょっとした買い物や多少の贅沢ぐらいはするだろう。
したがって、一日の生活費はもう少し上、銀貨四枚から五枚程度を見込んでおくべきだ。
余裕を持って考えるなら、金貨一枚は二日でなくなるものと想定しておいたほうがいい。
いま俺の目の前に並んでいるディナーセットも、銅貨七枚を支払って注文したものだ。
銅貨一枚は銀貨一枚の十分の一の価値になるが、この値段で、パンにバター、ビーフシチュー、付け合わせのサラダに加え、デザートにカットしたオレンジが付いてくる。
とりわけ豪勢な食事というわけでもないが、健康的かつそれなりに満足できる味と量を備えており、十分にリーズナブルな価格設定と言えよう。
さて、冒険者を取り巻く生活環境とそれに伴う生活費は、だいたい以上のようなものになるわけだが。
そうした環境下で、ゴブリン退治のクエスト達成による報酬額は、いったいいくらであったか。
これは、前金を合わせて金貨二十枚なので、俺が受け取った額は、それを四人で均等分配した金貨五枚になる。
なお、活躍度に応じて報酬額の比重を動かすようなことはしていないし、するべきではないと考えている。
そんなもの、誰もが納得のいくルール作りができるわけもなく、そうであれば、パーティのいさかいの種にしかならないからだ。
助け合いを必要とする仕事で個人の利を追求されても困るし、そこに成果主義などは導入しないほうがお互いのためだと思う。
そういったわけで金貨五枚というのが個人の受け取る報酬額になるのだが、これは冒険者側の主観では、十分に満足できる額とは言えないというのが実情だろう。
日雇い労働者が一日の労働で金貨一枚を得るのに対し、往復二日間の仕事で金貨五枚を得たのだから、さほど少なくないようにも思うかもしれない。
しかし必要経費が自分持ちであること、命の危険があること、クエストを達成できなければ報酬を得られないことなどの負担やリスクも加味すれば、決して十分な額とも言えないのは確かだ。
つまりは──Fランクの駆け出し冒険者というのは、収入面で見れば社会の最底辺の職業の一つなのである。
ゆえに冒険者は、この駆け出しの位置からいち早く脱却すべく、冒険者ランクを上げたいと考える。
より上位のランクのクエストは、危険度が上がる代わりに報酬額の割りが大幅に良くなるのだ。
さて、ではどうしたら冒険者ランクを上げられるか。
FランクからEランクに上がるには、適切なランクのクエストを三回達成しなければならない。
何が「適切なランクのクエスト」であるかは、いろいろ細々としたルールがあるが、ひとまず今回のゴブリン退治に関しては、それに該当する内容だ。
なのでこれで一回をカウント。
俺はあと二回のクエスト達成で、Eランクに上がることができる。
ちなみにサツキ、シリル、ミィの三人は、俺と出会う前の三人パーティで一度クエストをこなしているとのことだった。
よって彼女らは、あと一回のクエスト達成でEランクに上がることができる。
なお余談になるが、宮廷魔術師や学院教授の日当額は、かなりの高額である。
就任する先の規模や職位などにもよるが、だいたい金貨五枚から十枚程度の日当が一般的であるようだ。
そのうえで安定した定期勤務が約束されており身の危険も少ないとあれば、なるほど、俺の親や学院の友人が言っていた「普通」とやらも、それなりに納得のいく話ではある。
だが俺は、それも知ったうえで敢えて冒険者の道を選んだ。
収入面での不利、命の危険、いずれも踏まえたうえでこの道を進むと決めたのだ。
それに対して後悔はしていないし、自由と夢のある冒険者という職業には、いまだ強い魅力を感じているというのもまた事実だ。
ゆくゆくはBランクの冒険者、あるいはそれ以上の存在となって、この世界に一個の自分として存在を確立したい。
それが俺の夢であり、将来に向けての現実的な目標である。
「──ともあれ、ひとまずの目標は、親への学費、養育費の返済だな」
俺は木のスプーンでシチューをすくって口に運びつつ、そう独り言つ。
それは俺が自身に課した、直近の未来に対する課題であった。
「ん、返済? ウィルって借金とかあんの? あんまりそういう風に見えねぇけど」
一緒のテーブルで食事をしていたサツキが、クリームソースのパスタをすすりながら聞いてくる。
眠れる小鹿亭はちょうど夕食時で、たくさんの客でガヤガヤと賑わっている。
そのうちの四人掛けのテーブルを一つ占拠して、俺は三人の仲間と一緒に食事をしていた。
「まあ、借金と言えば、借金だな。親からの借金だ」
俺はサツキに対し、そう返答する。
特に隠し立てするような内容でもないだろう。
「ふーん、親から金借りてんだ。いくら?」
「およそ、金貨七百枚」
「ぶっ!」
サツキがパスタを噴いた。
「げほっ、げほっ……み、水……」
「はいです、サツキ」
「さ、サンキュ。んぐっ、んぐっ……はあっ」
サツキがミィから渡された水を飲んで落ち着く。
それにしても忙しい娘だ。
「金貨七百枚って……いったい何に使ったんだよそんな大金。賭博でスッたのか?」
「違う。魔術学院の四年間の授業料や入学金その他で、およそ金貨四百五十枚。それに成人後の生活費二年分で、およそ金貨二百五十枚。合計で金貨七百枚だ」
俺がそう答えると、サツキはぱちくりと目をしばたかせる。
「えっ。学費とかって親が払ってくれたんじゃねぇの?」
「まあその辺り、色々とあってな」
「へぇ。あなたが言葉を濁すなんて、珍しいわね」
フォークでサラダを口に運ぼうとしていたシリルが、そんな指摘をしてくる。
言われて気付く。
なるほど、確かに俺は言葉を濁したようだ。
「……別段、話して困ることでもないのだがな。単なる身の上話だ、聞いて面白い話でもない」
言い訳をするように、そう返答する。
学費と成人後の生活費を返すと決めたのは、俺自身だ。
親からそうしろと言われたわけではない。
「……『借り』を返したいだけなのかもしれんな」
「ん、なに? 何か言ったウィル?」
「……いや、こっちの話だ」
パスタをすすりながら聞いてくるサツキに、俺は首を横に振って答える。
学院の友人に話したときには「恩」という言葉を使ったが、俺はただ「借り」を残したくないだけなのかもしれない。
母親には感謝をしているが、父親に関しては、正直に言って尊敬しているとは言い難い。
あの親に育ててもらって、面倒を見てもらって、いまの俺がある。
そのことを帳消しにしたくて、「借り」を返そうとしているのかもしれない。
それなら幼少期の分まですべて、という話にもなってくるが──それは考えるにしても、また次の段階の話だろう。
いずれにせよ、ひとまずは金貨七百枚だ。
俺はそれを当面の目標として設定した。
ただ──冒険者稼業だけで収入を得ていたのでは、この目標額がいつになったら貯まるか知れたものではない。
「──『内職』をするか」
俺はそうつぶやいて、デザートのオレンジへとかぶりついた。
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