第9話

「……なあ、ウィリアム」


「なんだ、サツキ」


「あんた──あたしのこと虐めてるわけじゃないんだよな……?」


 洞窟に入って二つ目の広間。

 先よりも少し広いその場所の前で、サツキは再び、刀を手に呆然としていた。

 付け加えるなら、何だか知らないが、サツキは泣きそうだった。


「ああ。何故そう思ったのかは分からんが、俺は虐めという行為が嫌いだし、サツキのことも嫌いではない。俺がサツキを虐めるという、理由も動機もない」


「あ、はい。……そっか、嫌いじゃねぇのか──じゃなくって! これあんまりだろ!」


 サツキはそう言って、広間の中の状況を指し示した。


 そこには最初の広間のときと同様、ゴブリンたちが地面に転がり、眠っていた。

 その数は、最初の広間のそれよりも多い、八体だ。

 それをミィとシリルの二人が、トドメを刺して回っている。


「……? 何があんまりなんだ? 俺の考えに関しては、先に説明したはずだが。──ひょっとしてサツキは、命懸けの戦闘や殺し合いを楽しみたいという、いわゆる戦闘狂という類の人間なのか?」


「いや、違う、違うよ。ちょっとそういうところもあるけどそこまでじゃないよ。でもさあ、なんつーかこう、あるじゃん? 血湧き肉躍る冒険とか、命懸けの戦いの中で生まれる仲間たちとの絆とかさ」


「俺はそういったものよりも、生き延びる確率を上げるために最善を尽くすことのほうが重要だと思っている」


「ですよねー!」


 同意してくれたようだ。

 自分の考えを他人に理解してもらうというのは、なかなかに骨が折れる。


「──でも、いくら何でもこの結果は異常だわ」


 眠ったゴブリンたちの退治を終えたシリルが、血に染まった鎚鉾を片手に戻ってきた。

 白の神官衣も、あちこちが返り血で染まっている。


「すまんな。シリルとミィに、嫌な役回りを任せてしまっている。俺も手伝えればいいのだが、武器を扱うのは得意ではない。眠ったゴブリンを的確に始末できる自信があまりない」


「あ、あたしも……わりぃ」


「構わないわ。サツキも気にしないで。──それより、私にはこの状況が腑に落ちないの。説明してもらえないかしら」


 シリルはそう言って、俺の目をまっすぐに見てくる。

 だが俺には、心当たりがない。


「ふむ……何を説明すればいい?」


「ここまで十五体、『すべてのゴブリンが漏れなく眠りに落ちた理由』よ。私が先輩冒険者から聞いていた話とこの状況、まったく一致しないわ」


 ……ふむ。

 まだ話の全貌がつかめないので、俺はシリルに先を促す。

 シリルは一つため息をついて、話をつづけた。


「確かに魔術師は、眠りの魔法を好んで使う。でもゴブリンの群れに一発魔法を放って、一体か二体が眠りに落ちれば上等の結果だって聞いていたわ。けれどあなたの使っている魔法は、その次元じゃない」


「それはミィも不思議に思っていたですよ。ミィも盗賊ギルドの先輩から、こんなとんでもない魔法を使う魔術師の話は聞いたことないです」


 討伐証明部位であるゴブリンの耳を回収して回っていたミィも、戻ってきてそんなことを言ってきた。


 なるほど。

 彼女らの疑問の要諦が分かったように思う。

 俺はそれを踏まえた上で、説明を開始する。


「おそらくシリルやミィが先輩から聞いたというのは、未熟な魔術師が使った眠りスリープの呪文の話だろうな。俺が使っているのもまったく同じ眠りスリープの呪文だが、その練度が違うというだけの話だ」


 同じ呪文でも、術者の練度が違えば、その威力に隔たりが出る。

 俺が使う魔法と、魔法の基礎を習得しただけの初学者が使うそれとを比べれば、その成果に差が出るのも当然のことと言えよう。


 あとは、純粋にそのときどきの運、たまたまうまくいったという側面もある。

 ゴブリンが相手と言えども、魔法に抵抗される可能性は、常にゼロではない。


 ゆえに一体ぐらいは眠らずに残る可能性も、十分にあり得たわけだ。

 ただ、いま聞かれているのはそういう話ではないだろうと判断し、その話は伏せることにしていたが。


「ふぅん……。つまりウィリアム、あなたはその『未熟な魔術師』ではない、『熟達した魔術師』ということかしら?」


 シリルがさらに突っ込んだことを聞いてくる。

 こちらを見極めようとしているような、鋭い目つきだ。


 だがその質問に対する返答は、なかなかに難しい。


「……ふむ。どの水準をもって熟達していると見做すかにもよるが、ひとまず導師の称号を名乗れる、ということは客観的事実として提示できるな」


「は……? ──導師ですって!?」


 シリルが驚愕した様子で目を見開く。

 それを横で見ていたサツキが、神官の少女に対して何気なく質問する。


「なあなあ、導師? それって凄いのか?」


「凄いわよ! 神官で言ったら司祭プリースト級よ!? って言っても分からないか……えっと、とにかく凄いのよ!」


 シリルは語彙が残念なことになっていた。


 なお、シリルが言っている司祭というのは、街などにある神殿の「神殿長」というのと、ほぼイコールの称号であると聞く。


 司祭の称号を持っている者に神殿長が任されるのか、神殿長を任されるものに司祭の称号が与えられるのかは、そのときどきで柔軟な運用が為されているようだが、ともあれ、一つの神殿にいる数人から数十人ほどの神官を束ねるだけの格を示すのが司祭という称号である。


 そもそもにして、神官それ自体が、神聖術を扱える者のみに与えられる選ばれし者の称号であるわけで、その中で抜きんでている司祭という称号の持ち主は、確かに導師格と見て問題はないだろう。


「導師級……それなら確かに、いろいろと合点がいくわ。ううん、それにしても──まあ、それはいいとして。でも、どうして導師の称号を持っている人が、こんなところでFランクの冒険者なんてやっているの? そんなのおかしいじゃない」


 シリルは半ば混乱したような様子で、そうまくし立てる。

 俺はそれに対し、これまで幾度となく繰り返した反論を行った。


「おかしくはない。俺は奴隷ではないのだから、職業選択の自由を持っている。その自由の発露の結果として冒険者という職業を選択するのは、何ら問題のある行為ではないだろう」


「う、うぅん……まあ、それは、そうなんだけど……。うぅーん……うん、まあ、あなたの言う通りね。確かに間違ってはいないわ。でも、そういう話をしているんじゃなくて……」


「それにFランクなのは、昨日冒険者登録をしたばかりなのだから、当然のことだ。また実際に冒険者としての経験は少ないのだから、評定として不適切ということもないだろう」


「……う、うん、まあ、それもあなたの言う通りね。……うん、分かった、もういいわ」


 シリルはすごく納得いかないという様子ながらも、理解はしてくれたようだった。

 そこにサツキが、横合いから見解を述べる。


「あー、なんだ、つまりウィリアムは、凄くすげぇ魔術師ってことでいいのか?」


「……ごめんサツキ。頭が混乱するから、いまちょっと黙っていてくれる?」


「えっ」


 サツキとシリルとのそんなやり取りもあったが、洞窟探索の行程は未だ、概ね順調だと言えた。

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