悪魔のカレーはじめました
シカタ☆ノン
悪魔のカレーはじめました
お昼時のオフィス街の一角に、今日もちょっとした行列が出来ている。
この近所では見慣れたいつもの光景である。
『ガラムカレー』の扉が開くと、まず中からカレーの香辛料のいい香りがやってきて、その後を追いかけるように黄色いエプロンを着けた髭の店主が出てきて、行列の最後尾にいた数人の客に丁寧に頭を下げて帰ってもらい、店の看板を裏返す。
『本日売り切れました。』
これも毎日繰り返されるいつもの光景である。
『ガラムカレー』は30年続くカレー屋で、黄色いエプロンの髭の店主は二代目である。
全国のカレーの名店と呼ばれる店は、全てこの店のカレーをマネしていると云われるほど味は確かだが、髭店主は無理しない範囲で仕込める量を1日20食限定で細々と経営していた。
サングラスをかけて『ガラムカレー』から出てきた男、黒川哲也(クロカワテツヤ)は路地を曲がると、待たせていたピカピカに磨き上げられた黒い高級車に乗り込んだ。
「社長いかがでしたか?」
「美味かった。まさしく本物だ。あれは客を呼び込む目玉になれる。是非ともうちで出店させよう。」
「しかし社長、既にカレー部門に関しては先週予選会を勝ち抜いた『モロ一番屋』に出店オファーを出しておりますが、いかが致しましょうか?」
「そんなもの適当に理由を付けて断ってしまえ。」
「かしこまりました。では、『ガラムカレー』店主と交渉を開始致します。」
「うむ。よろしく頼む。」
黒川は外食ビジネス界では名の知れた仕掛け人で、狙った獲物は少々手荒な手段を使ってもモノにすることで有名だった。
その黒川が現在手掛けているのが、全国の知る人ぞ知る隠れた名店ばかりを一堂に集めたレストランのデパートだった。
ステーキなら神戸の『エスガウチョ』。
カニなら札幌の『蟹天国』。
ラーメンなら博多の『らん一』。
そのカレー部門に、今まさに『ガラムカレー』が選ばれようとしているのだった。
☆☆☆
数日後、黒川は『ガラムカレー』からの回答メールが印刷された紙を持って怒りにプルプルと震えていた。
「こんな好条件をなんで断るんだ!!」
「店主は欲のない人間のようです。そこに書かれている『場所が遠すぎる。1日20食以上やるのはしんどい。』というのは本心のようです。」
「おのれ・・・、ふざけたことをぬかしおって!おい、現在の店主の儲けはどれくらいだ。」
「客単価がこのくらいで、原価率がこのくらい・・・、1日20食で毎週月曜日が休み・・・、あの店の賃料がざっとこのくらいなので、月あたりの儲けはこの程度かと。」と言って秘書が電卓を弾いて数字を見せた。
「生活するのがやっとじゃないか!ふん、貧乏人め。儂が金をチラつかせて直接交渉する。車を回せ。」
「しかし社長、この時間ですと今日の20食は既に完売しており、店主は店にいないと思われます。」
「じゃあ、どこにいるんだ?自宅か?」
「店が終わるとほぼ毎日近くの岬に行くようです。なんでも、ボートで釣りをするのが趣味だとか。」
「ほほう・・・。それはいいことを聞いたな。ボートと言ってもどうせ汚い小舟だろう。よし、じゃあその岬へ行ってくれ。」
岬に着くと、ちょうど『ガラムカレー』の髭店主がクーラーボックスを持って歩いていたので、黒崎は慌てて車を降りると髭店主に声を掛けた。
「あのう、失礼ですが『ガラムカレー』のご主人様でいらっしゃいますよね。わたくしこういう者でして・・・。」と言って黒崎は『代表取締役社長』と書いてある名刺を手渡した。
「ああ、こないだ出店のお話を頂いた・・・。あの件でしたら、先日メールで回答したんですが、お断りを・・・」
「はい、その件で是非一度直接お話をさせて頂きたく車を飛ばして参りました。大変失礼ですが、ざっくり現在のお店の儲けを計算させて頂きましたところ、日々の生活のやりくりで大切なお金がほぼなくなっているのではないかと推察致します。聞きましたところボートでの釣りがご趣味とか、ご出店頂けるのであればご契約記念として我社から豪華なボートをプレゼントさせて頂きますが、いかがでしょうか?」
(さあ、どうだ?豪華なボートだぞ、欲しいだろ?貧乏生活から脱出させてやると言ってるんだ、悪くないはずだ。)
「んん~、そう言われましてもねえ。私はカレーを食べてもらうのと同じくらい釣りが好きなので、出店すると朝から晩までずっとカレーを作り続けなきゃならないでしょ?折角ボートをもらっても乗る時間がなくっちゃ意味ないかなぁ。そういうのなんて言うんでしたっけ、ワークライフバランスだったかな?それに私はそんなにお金に困っちゃいませんよ。笑」
(ちっ、金に無頓着なタイプか・・・。じゃあ、あの手で行くか。)
「確かにご出店頂いた場合は、1日20食だけではなく一日中カレーをご提供頂かなければなりません。しかし、それだけ多くのまだ『ガラムカレー』を食べたことのないお客様にご主人の奇跡の味を体験して頂けることになります。わたくし自身、先日ご主人のカレーを食べて感動致しました。是非また食べたいと思ってその後何度も通ったのですが、それ以降は売り切れ続きで食べることが出来ていません。そんなわたくしのような熱烈なファンのためにも何卒お願い致します!」
(どうだ~?金に興味がなくても、これだけカレーを褒められれば悪い気はしないだろう。さあ、乗ってこい!儂のために一日中カレーを作れ。)
「そんなに感動してもらえたのは嬉しいですが・・・、う~ん、困ったなぁ。・・・仕方ない。」と言って、髭店主は胸のポケットから黒い小瓶を取り出すと黒川に渡した。
「これは何ですか?」
「うちのカレーのエキスです。私の父が作ったのはカレーのレシピじゃなくて、この魔法のカレーのエキスでしてね。普通に作ったカレーにこのエキスを一滴かけるだけなんですよ。」
小瓶を持ったまま呆然としている黒川に、髭店主は「たまに社長さんみたいな熱心な方が来られると、内緒で少しだけお譲りしてるんです。これは私と社長さんの秘密ですよ。」と言って片目を閉じた。
「ご冗談でしょ?」
「本当ですよ。でもこれ強烈だから、カレーひと皿に1滴だけかけてくださいね。瓶の蓋はすぐに締めて、食べ終わったらしっかり皿を洗うんですよ。味が他にうつっちゃうと大変だから。いいですね?」
そう言うと、髭店主はクーラーボックスを抱えて歩いて行ってしまった。
(くそーっ!馬鹿にしやがって、何が魔法のエキスだ!)
髭店主に煙に巻かれたと帰りの車中で憤慨していた黒川だったが、自宅に戻って騙されたつもりで作ったカレーにエキスをかけてやけくそで一口食べた後、黒川は驚いてスプーンを落としてしまった。
「そんなバカな・・・、店で食べた味と同じじゃないか・・・。」
黒川は慌てて髭店主にもらった小瓶を照明に透かして見てみた。
小瓶にはまだエキスが残っている。
(髭店主はこのエキスをどうやって作っているんだ・・・?)
黒川は髭店主の言っていた言葉を思い返した。
「食べ終わったらしっかり皿を洗うんですよ。『味が他にうつっちゃうと大変』だから。いいですね?」
(毎日店が終わるとすぐに釣りに出かける髭店主に、このエキスを調合している様子はない。もしかすると・・・)と思った黒川はグラスに水を注ぐと、そこにエキスを一滴垂らしてみた。
黒川は先ほどとは別の皿にご飯とカレーをよそうと、今度はエキスを混ぜたグラスの水を一滴垂らした。
スプーンでカレーを掬って一口食べると、黒川は拳を握りしめてガッツポーズをした。
黒川はすぐに秘書に電話をかけて言った。
「やったぞ!手に入れた!カレーのエキスは水でいくらでも増やせるぞ!あの髭店主め、儂にエキスを渡すとは最高のミスを犯してくれたもんだ!これならタダで店を出せる。」
秘書は興奮した黒川の言っている意味が理解できず、「えーっと・・・、もう『ガラムカレー』の店主とは交渉しなくて良いという事でしょうか?」と確認した。
「ああ、そうだ。代わりにどこか適当なカレー屋に出店させろ。味はこちらで何とでもなる。」
「かしこまりました。」
☆☆☆
1ヶ月後、黒川のプロデュースした『全国味の旅ミュージアム』は華々しくオープンした。
その名の通り全国から20店舗を集めた味のデパートは大盛況で、早くも年内には更に5店舗を追加する計画も持ち上がった。
カレー屋には連日長蛇の列が出来ていた。
笑いの止まらない黒川だったが、しばらくするとネット上で妙な噂が出始めた。
『カレー屋の隣のラーメン屋なんだが、何となくカレーの味がするのは気のせいか?』
『いや、気のせいじゃないぞ!向かいのパスタ屋もカレーの味がするぞ。』
『麺にカレー粉が混ざってたりしてな。笑』
はじめは小さな噂話だったが、やがて出店している店からも苦情が出始め、中には問題が解決しなければ出店を取りやめるという店も出てきた。
「原因は何なんだ!」
「未だ原因は解明出来ておりませんが被害はどんどん広がり、今ではカレー屋の周囲5店舗の食べ物が全てカレー味になってしまっています。」
「どうするんだ!カレー味の刺身なんか誰も食いたがらんぞ!」
黒川は仕方なく『全国味の旅ミュージアム』を一時閉鎖し、専門家チームを結成して原因究明を試みたが、成果がないまま時間だけが過ぎて行った。
このままでは永久に閉鎖しなければならなくなってしまうと考えた黒川は、仕方なく『ガラムカレー』の髭店主を探して岬へ向かった。
(しかし、髭店主には何と言えばいいんだ・・・。勝手にエキスを増やして店まで出しておいて、今度は困ったから助けてくれなんて流石の儂にも言えんぞ・・・。)
青い空にカモメが舞う岬に立った黒川は、肩を落として海を見つめていた。
「おや、あなたは確か黒川社長。」
そう声を掛けられて振り向くと、髭店主がクーラーボックスを持って立っていた。
「こないだのエキスはどうでした?ちゃんとうちのカレーの味になったでしょ?」
まさか声を掛けられるとは予想しておらず、虚を突かれた黒川は固まってしまった。
(どうする?正直に話すか?でも訴えるなんて言われたら・・・?)
「あっ、そうだ。瓶の蓋はちゃんと締めてますか?あのエキスは強烈ですからね、蓋をしないで放っておくとエキスが気化してそこら中に広がって、その部屋ではもう何作ってもカレーの味になっちゃいますからね。・・・と言っても、社長さんに渡した量ならそんな心配はないかな。笑」
(なんだと?!そういうことだったのか!!それでカレー屋の周りの店があんなことに・・・。何か対処法はないのか?!)
「ええ、美味しく頂きましたし特に問題もありませんでしたが、万が一ご主人が言われたような問題が発生したらどうすればいいんですか?あっ、そうだ。ご主人のお店ではどうされてるんですか?参考に聞きたいなぁ。」
「簡単ですよ。気化したエキスを中和するエキスもありますから。」
(何とっ・・・?!それだ!何としてもそれを手に入れるしかない!)
「あのう・・・、ちなみにその中和するエキスって少しお譲り頂くことはできませんかね?」
「あれ?さっきは問題ないって仰ってましたよね?」
「あっ、・・・ええ、問題はないんですが、仕事柄色々なものを試食しますので、万が一に備えて持っておきたいなと。」
「ほうほう、なるほど。じゃあ、少しだけお譲りしましょう。」と言って、髭店主は黒川を自分の車に案内した。
黒川は驚いた。
髭店主の車は、黒川の乗る高級国産車よりもはるかに高い高級外車だった。
髭店主は車のトランクを開けると、赤い小瓶を取り出して黒川に渡した。
「これは調合が難しいしお金もかかるから、このくらいしかお分けできないけど、最初に渡したエキスの量ならこれだけあれば十分だと思います。」
(調合が難しい?水で簡単に増やせないってことか。ぬぬぬ・・・、しかし何としても大量に手に入れなければ破滅してしまう・・・。)
黒川は悩んだ挙句に、はじめにもらったエキスを水で増やして店を出したことを髭店主に伝え、今は周囲の店の料理が全てカレー味になって困っていると打ち明けた。
髭店主はその話を聞いても驚く様子はなく、トランクから中和エキスの大きなボトルを取り出して社長に渡した。
「社長さん、やってしまったことはしょうがないですよ。出店されたカレー屋にこれを置いてください。すぐに中和されて他の店も味が戻りますから。」
「よろしいんですか?警察に突き出したりしないんですか?」
「大丈夫ですよ。心配ありませんから。」と言って髭店主は書類とボールペンを黒川に渡した。
「これは・・・?」
「契約書です。うちのカレーのエキスを使って営業している以上、のれん代として毎月儲けの30%を頂きます。更に、この中和エキスのボトルが毎月1本必要になるので、その代金が毎月15万円になります。」
「・・・えっ!?まさか、はじめからこうなると見越してエキスをくれたんじゃ・・・。」
「そんなまさか、でも時々社長さんのような熱心な方がいらっしゃって、カレーのエキスを内緒で少し分けて差し上げると、その後は決まって皆さん中和エキスを買いに来られますね。」
(やられた!全国の『ガラムカレー』の味を真似したと云われる名店も、みんなこの手に引っかかってるのか!)
契約書とボールペンを握りしめたまま固まった黒川を置いて、髭店主は海に向かった。
海には黒川が想像していた小舟ではなく、豪華クルーザーが停泊している。
髭店主はクルーザーに乗り込む前に黒川に言った。
「お金には困ってないって言ったでしょ?本業以外の契約が沢山取れるんです。ワークライフバランスって言うんでしたっけ?自由な時間は大事ですよ。それじゃあ。」
(・・・、悪魔のカレーだ・・・)
結局髭店主は1日20食限定で自分の店を続け、出店にかかる労力や資金を要することなく黒川が出店した店の儲けの30%と中和エキス代15万円を月々受け取ることになった。
黒川はカモメの飛び交う岬の空を見上げて呟いた。
「上には上がいる。完全にやられた。完敗だ・・・。」
終わり
いつもお読みいただきありがとうございます。
次回作にもお付き合い頂けると嬉しいです。
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