Ne-X-isT 〜人間に戻るために心を悪魔にして仲間も弟も恋人も欺きます〜
森川 蓮二
プロローグ 幸せな日常
コーヒーの微かな匂いに鼻腔を刺激されつつ
羽織ったワイシャツのボタンとネクタイを締めながら冷え込んだ洗面所を出て、テレビの音が聞こえるリビングへ向かう。
スライド式のドアを開けると途端に眩しい朝日が目を差し、同時に冷えきった体を生暖かい空気が包みこむ。
「おはよう。お寝坊さん」
目を細めていると親しげな声が響き、同居人で同僚でもある
「おはよう。いつもありがとう」
そう言って彼女の唇に軽くキスをし、レナも満足そうに秋人の短く切り揃えられた髪に触れながら応える。
「いいの。私の好きでやってるから。それにあなたに任せたらトースト一枚も用意されてないでしょ」
「心外だな。俺にだってそれくらいはできるよ」
「本当かしらね。ほらネクタイ曲がってる」
疑うように眉をひそめたレナがワイシャツの上にかけられたネクタイに触れる。
「俺は緩いくらいが好きなんだけど……」
「ダメ。ちゃんとしてもらわないと困るわ」
不満そうな顔をする秋人にレナはピシャリと言い放つ。
子供扱いされているような気分になったが、後頭部でひとつにまとめられたポニーテールに清潔さを示す白のブラウス、そして黒のスーツスカートをきっちりと着こなす彼女にとってはこれくらい当然なのだろう。
しばらくされるがままになっているとチャリっと金属音がして視線を戻してみる。
レナが秋人の首にかけられた指輪に触れていた。
愛おしそうに指輪を見つめるレナのきめ細やかな肌に触れる。
「満足かい?」
「う、うんッ。ごめん」
「いいさ。君の幸せのためなら苦手な早起きして朝食を作ってみせるさ。この指輪に誓って」
勢いに任せてそんなことをいう秋人の反応を「期待しないで待ってるわ」と笑って受け流しレナはキッチンに戻る。
婚約者の後ろ姿を眺めながら秋人は椅子に座って、こんがりと焼かれたトーストに手をつけた。
トーストにサラダ、それにスクランブルエッグとシンプルで王道な朝食をフォークでつつきながらテレビに目を向ける。
流れるニュースからは中東の内戦が激化の一途をたどっていることが報じられており、秋人は少しばかり眉を寄せた。
個人の意見なく真実を伝えることが報道の本質だとしても朝くらい聞いてて心休まるような話題を流せないものだろうか。
「なにか変わったことやってる?」
戻ってきたレナが対面に座って丁寧な手つきでフォークを手に取る。
「いや気の滅入る話題しかやってないよ」
「朝ならもっといい気分になれることを流してくれてもいいのに」
そう言ってレナはトマトをフォークでさして口に運ぶ。
秋人は肩をすくめた。
「でもこれが今の俺たちが住んでる世界の実情だよ。本当に嫌になる」
「私との生活も嫌?」
ムスッとした顔で物言いたげな表情をするレナにヒヤッとした感覚を覚えつつ、秋人は自然な形で首を横に振った。
「まさか。すごく幸せだよ。君がいてくれるだけで世界のどんな嫌なことも忘れられるさ」
「よくできました。私がいるのに幸せじゃないなんて言わせないから」
からかうようにニヤっと無邪気に笑うレナに秋人は呆れ半分愛おしさ半分に苦笑した。
『次のニュースです。
今日未明、市内にある火力発電所にて原因不明の爆発事故が起きました。
この事故によって複数の作業員の死亡が確認されており、警察は事件と事故の両面から捜査を進めています』
そんな二人の幸せな雰囲気も考えることなく淡々と告げられたニュースに秋人は視線を戻す。
ニュースキャスターは事故についての詳細を報じ、それに合わせて画面が切り替わって事故現場と思しき建物を映し出した。
「ねぇ、秋人これって――」
押し黙り、厳しい表情で画面を見つめる秋人にレナが口を開いた時、テーブルに置かれた二人の端末が同時に震える。
秋人はテレビから目を離さずに自分の端末を取って横目で文面を確認。
レナに目配せする。
彼女も同じものを受け取ったのだろう。
互いの目が合って秋人は残ったトーストやサラダを一気に平らげて椅子から立ち上がった。
「さぁ、仕事だ」
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