08:黒い影


 葵衣たちと別れた帰り道、俺は柚梨に連絡を入れていた。


 幸司の時の一件もあり、連絡をしないままでは心配させてしまうだろうと思ってのことだった。


 案の定、柚梨はずっと連絡を待っていたようで、すぐに返信があった。


 幸司の死の真相について、調べるために協力してくれる人ができたと伝える。


『私も、樹たちを手伝いたい』


 そんな彼女の申し出に、俺はどう返答すべきか躊躇ちゅうちょしていた。


 死の真相に近づくということは、危険が伴う可能性があるということだ。俺にしてみれば、できれば柚梨を巻き込みたくないという気持ちが強かった。


 けれど、同時に柚梨という人物が簡単には引き下がらないことも、長年の付き合いから理解していたのだ。


 ダメだと言っても、きっと自分一人でも調べ始めてしまうだろう。


 それならば、一緒に行動した方が何かあった時に彼女を守ることができる。


 結局承諾の返事をしてから、俺は人通りの多い駅前を抜けて電車に乗り込んだ。


 出入り口のすぐ横は俺にとっての定位置だ。電車が発車すると同時に、ポケットから短い電子音が鳴る。


 来ていたのは、葵衣からの連絡だった。


 今後も連絡が取りやすいようにと、アプリではなく直接連絡先の交換をしておいたのだ。そこには、丈介も含めたグループが作られている。


 『オカルト調査隊』というグループ名は、少々いただけないが。これは恐らく葵衣がつけたのだろう。


『コミュニティの中には、情報知ってそうな奴はいない。わかった情報は即時共有すること』


 コミュニティに所属をしているだけあって、情報を得るのは早いらしい。


 有識者のいそうなオカルトコミュニティで情報が得られないとなると、どのようにヒントを辿っていけばいいのだろうか。


 了解、と短い返信をしてスマホをしまうと、電車に揺られながら窓の外へ視線をる。


 電車の外を流れていく景色は、どこをどう見ても平和そのものだ。霊的な存在がいるかもしれないなどとは、微塵みじんも感じさせる要素が無い。


 怪異やオカルトなどというものが、実在するとは思ってもみなかった。今ですらも、半信半疑ともいえるような心持ちなのだ。


 幸司の遺体の惨状を目の当たりにしていなければ、絶対に信じることはなかっただろう。


(あの時、アプリなんてやめさせてたら……お前はまだ生きてたのかな)


 今日の運勢は最高潮なのだと、笑っていた幸司の顔を思い出す。


 あの時はまだ、こんなことが起こるなんて考えもしていなかったのだ。


 最高潮どころか、最低の運勢だったと今だから言える。占い自体を信じているわけではないが、このアプリの占いは当たらないのだろう。


 そう思いながら目線を上げたところで、俺は見慣れた茶髪が視界に入った気がした。


「……!?」


 車両の端に乗る自分の、反対端のドアの前に、幸司が立っていた。


 そんなはずはない、他人のそら似だろう。だってアイツは死んだのだから。


 そう思うのだが、目が釘付けになってしまい顔を背けることができない。あれは間違いなく幸司だ。


 仕事帰りの会社員や学生でごった返す車内では、そちらまで移動することは不可能だ。


 だというのに、周りの音はいつの間にか、耳栓でもしたかのように綺麗さっぱり消えていた。


 そうするうちに、ドアの方を向いていた幸司は少しずつ俺の方へと向き直る。まるで彼の周りだけ人がいないように、その動きはとてもスムーズだった。


 やがて幸司の視線が、俺の姿を捉える。正確には、捉えたように見えた。


 その瞳があるはずの場所は落ちくぼんでいて、真っ黒に塗り潰されたように穴が開いている。


 そこから黒い色の涙を流して、ぎこちなく動く唇は何かを言おうとしていた。


 唇の動きを読み取ろうと目を凝らすが、次の瞬間、全身から汗が噴き出すような感覚に襲われる。


 俺の視線は幸司ではなく、彼の背後に向けられていた。


 幸司の背後には、その肩にしなだれかかるように、黒いモヤのようなものが覆いかぶさっていた。


 この世の憎悪や怨恨といった負の感情を、限界まで煮詰めて凝縮させたみたいに、じっとりとした闇。


 それが何かはわからなかったが、明らかに近寄ってはならない存在なのだということだけは、本能的に理解できた。


 周囲にいるはずの人々は、その異常なモヤに気がついてもいない。あれは自分だけに見えているのだ。


 がばりと大きく口を開けた――はっきりとした輪郭は無いのだが、なぜだか口のように見えた――それは、幸司の頭を一瞬にして飲み込んでいく。


「っ……幸司……!」


 ダメだと思った瞬間には、幸司の姿は黒いモヤの中に消えて無くなっていた。


 途端に、消えていた音が俺の耳に戻ってくる。


 周囲にいたサラリーマンやOLは驚いてこちらを見ていたが、すぐに興味を失くしたように各々がスマホに視線を戻していた。


 幻覚でも見ていたのかと思ったが、鼓動は異常なまでに早鐘を打っている。


 暖房がきいた車内とはいえ、コートの下のシャツは不快なほど汗でぐっしょりと濡れていた。


 あれが何だったのかはわからないが、幸司の死にはあのモヤが関係しているのではないだろうか?

 俺の中に、ひとつの確信のようなものが芽生えていた。


 電車を降りると、すぐに先ほどあったことを葵衣に報告する。


 彼女自身は、そんなものを見たことがないと驚いていた。怪異が接触してきたというのは、前向きに考えれば進展があったと捉えるべきなのかもしれない。


 足早に自宅へと帰りついた俺は、これからどのように情報を集めていくべきか葵衣たちと相談することにした。


 コミュニティで情報が得られないとなると、他の場所から調べていくしかない。


 不審死の犠牲者に関する情報はあまり多くは公開されておらず、彼らについて知ることは難しいように思えた。


 スマホを使ってMay恋アプリについてを検索してみるが、大半はアプリ利用者の口コミや、出会える確率についてを記載した記事ばかりがヒットする。


 不審死に関する情報については、警察から公表されている詳細が少ないためか、憶測や不謹慎な記事ばかりが飛び交っていた。


 実際、この中にオカルトじみた噂が事実なのだと信じている人間は、どのくらいいるのだろう。


『東口のネカフェに集合』


 日時を指定したメッセージには、簡潔な用件が記載されていた。情報収集といえば、やはり手っ取り早いのはネットカフェだと俺も考えていた。


 現状のまま大学に行っても、授業などとても身が入らない。

 その日は学校を休むことにして、承諾の返事をする。そして、柚梨にも連絡を入れることにした。


 すると、ほどなくして柚梨から着信が入る。


 いつもはスタンプひとつで済むような返信であるはずだが、不思議に思いながらも俺は通話ボタンをタップした。


「柚梨?」


「あ、ごめんね。急に電話したりして」


「別に構わないけど。どうかしたのか?」


 電話越しに聞こえる彼女の声は、どこか覇気がないようにも思えた。


 友人が亡くなったばかりなのだから当然かもしれないが、俺は耳元に神経を集中させる。


「えっと……さっきの連絡、もちろん一緒に行くよっていうのと。……幸司くんのおうちに、お線香あげに行かないかなって」


「ああ……」


 幸司の葬儀は、親族だけで執り行われたのだと聞いた。本来なら多くの友人たちが彼を見送りたがったはずだが、あんな死に方をしたせいだろう。


 どのタイミングを選べば良いかわからなかったが、幸司とは家族ぐるみでの付き合いもあった。いずれは顔を出したいと思っていたところだ。


「そうだな、一緒に行こうか」


「う……」


 その時、返事をしたと思われる柚梨が、受話器の向こうでうめいたように聞こえた。


「柚梨? どうした?」


 不思議に思って声を掛けてみるが、返答はない。


 代わりに、雑音のようなものに混じって、呻き声が徐々にはっきりとしたものへと変わっていく。


「うう……ア……ガ……」


「柚……梨……?」


 泣き声のようにも聞こえるそれは、苦しんでいる声のようにも捉えられる。ただひとつ明らかなのは、それが柚梨の声ではないということだ。


 言葉の形を成していない呻き声は少しずつ輪郭をあらわにし、やがては受話器越しではなく、俺のすぐ耳元で声を発しているように聞こえた。


「うわ……ッ!」


 生温かい吐息が皮膚に触れた気がして、思わずスマホを床に放り投げる。けれど、どういうわけか耳元で聞こえる呻き声はやまない。


 恐る恐る声が聞こえる耳の方へと顔を向けると、そこには長い舌をダラリと垂らした真っ黒な何かが、すぐ傍でぽっかりと大きな口を開けていた。


 不気味な呻き声は、その口の中から聞こえていたのだ。


「ヒッ……!」


 悲鳴を上げて反射的に後ずさる。

 けれど、黒い何かがいたはずの場所には、もうその痕跡は見当たらなかった。程なく遠くで呼びかけるような人の声が聞こえて、俺は我に返る。


 室内に視線を巡らせても、自分以外の何かがいる様子はどこにも見られなかった。


 スマホを拾い上げると、恐怖はあったがそっと耳を当ててみる。


 そこから聞こえてきたのは、いつもと変わらない柚梨の声で、俺は一気に脱力した。


「樹? ねえ、どうかしたの? 大きい音がしたけど」


「……いや……大丈夫、何でもないよ」


 柚梨に心配させまいと誤魔化してはみるが、あれは間違いなく現実だった。


 聞こえてきた声だけじゃない。生々しく湿った吐息までもを、この耳に感じたのだから。


 あまりにもリアルな感覚を振り払うように、俺は自分の耳を強く擦ってあの声と吐息をかき消そうとした。


 何かが確実に、俺に接触しようとしてきている。


 一度目は幻覚だったとしても、二度目を誤魔化すことはできないだろう。


(俺が、次のターゲットになってるってことなのか……?)


 それから今後の予定を話し合っている間も、視界の端にあの黒い何かがちらついているような気がしてならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る