令和奉還

@tommy-m

第1話狼煙

2021年10月14日、岸上総理大臣は衆議院を解散した。

約30年にも及ぶスタグフレーションの渦中において、なんら有効な政策も対策も行われないまま拡大を続けていく政治不信と形だけの公約に、国民の心は諦めと一縷の期待とが入り混じる中で始まる衆議院選挙。


警察官僚より政治家への転身を表明した諏訪健一。

後の2026年、令和奉還と呼ばれた大改革の一歩がここから始まる。


諏訪「皆様、お早うございます。諏訪でございます。この度私、神奈川11区より出馬させていただいております。」


諏訪は出馬にあたり、あえてこの神奈川11区を選択した。

この選挙区は第87、88、89代の内閣総理大臣をを歴任した小山丈一郎氏を輩出し、今もなお実子の世襲議員、前内閣環境大臣の小山進三郎氏を輩出する小山一族の強固な地盤に支えられた特殊な選挙区である。


諏訪の突然の警察官僚退官と衆院選出馬もさることながら、自身の地元でもなく敢えて何の繋がりもないこの選挙区を選んだ事により、現与党である自由民主主義党の内々での公認候補選出も関係悪化により破談し、無所属での出馬となった。


遠山「あの馬鹿野郎、なんだってこんな真似を…」


苦虫を噛み潰すように顔を顰め朝の選挙報道番組を眺めるのは、諏訪の元上司でもある警視庁組織犯罪対策四課の課長、遠山創(とおやま はじめ)である。

警察官僚としては可もなく不可もなくではあったが、仕事面において余計なことをしない点を好ましく思い、諏訪を十分に評価していた人物であった。


諏訪「今日は皆様のお時間を少しばかり拝借させて頂きたいのです。今日は一つだけ私の政策をお聞きいただきたいと存じます。」


朝の横須賀駅前、敢えてこの選挙区より出馬した奇特な候補者、それも警察官僚からの出馬という出自というネームバリューにより、各民放局報道班はこの候補者の言葉を余す事なくカメラに収めようとしていた。

諏訪の後には勿論、小山進三郎氏の演説も予定されている。

各民放報道班にとって、進三郎氏の前座として丁度いい駒でもある背景があった。


諏訪「それは、18歳から30歳までの自由化です!」


井口「はぁ!?」


日本朝日放送のディレクター、井口光一は思わず言葉が口から漏れた。

井口だけではなく、道行く一般市民やこの報道番組をただ何とも思わず眺めていた視聴者が思ったことでもあった。


そう、一体何を言っているのか意味がわからなかったのだ。

道ゆく気の無かった一般市民すらも、思わず足を止めてしまった程である。


「どういう事?」


この瞬間を共有した誰もが、全く同じ共通認識を持った事だろう。

嘲笑気味にお手並み拝見と構えていた進三郎氏もまた同じであった。


諏訪は微笑を浮かべ、演説を続けた。


「自由、です。この政策は、私が大量の候補者を抱えずとも、政権与党にならずとも、実行可能な政策なんです。」


ゆっくりと聞き取りやすい明瞭な声で諏訪は演説を続けた。


諏訪「今の世の中ですが、私が子供の頃に比べて大きく変わりました。中でも今回は情報を取り上げて説明致します。」


「私の若い頃は、電話一つとっても一家に一台でした。今は一人一台が当たり前の世の中ですよね。たった十数年の間に情報のやりとりだけとってもこれだけ大きく変わったのです。」


諏訪はより簡単な言葉と表現をを選び、丁寧に話しを続けた。


「さらに働く常識です。昔は頭が良ければ大学へ行き、大学へ行きたくなければ働いて結婚して家庭を育んで定年まで過ごす、これで通用したんですね。」


聴衆は諏訪の言葉に各々が、いやそればっかりではない、確かにそうだ、などと考えた。

すでに皆無意識のうちに、諏訪の話をそれぞれの答えを持ちつつも聞く体制に入ってしまっていた。


「ここで私が言いたい事ですが、つまりは、世の中がとても複雑になった!、という事です。」


まあ、確かに…、聴衆の誰もが各々違う考えを持ちつつも、同じ理解には辿り着いてしまった、いや、諏訪によって辿り着かされてしまったのだ。


諏訪が微笑を保ったまま、明瞭な声で演説を続ける。


「人間は情報を消化しながら成長いたします、身の回りや環境から自分の為に必要なものを各々が吸収して成長します。そしてずっと前に定められた20歳、いわゆるハタチで成人の仲間入りをいたします。」


「だだ、考えてみてください。今は昔ほど単純じゃありません。あらゆる価値観が混在し、精神的に成熟するにも昔と比べ、膨大な情報量を各々が取捨選択していかねばならないのです。」


「つまり、ハタチ、と呼ばれる成人年齢に、まだ精神年齢が追いつかないまま達してしまう事が、昨今の過去に例をみないような短絡的かつ凶悪な犯罪達の苗床になっているとは思いませんでしょうか!」


井口は気がつけば拳を握りしめていた事に気付いたのだった。

かれのテレビマンとしての経験か、それとも個人的な何かからなのかはわからなかったが、ある種の確信じみたものを感じていた。


まだこれは牽制のうちだ、コイツにはまだデカイ隠し球がある、と。


ここまでまだ3分にも満たない話なのに、駅前の足を止めた聴衆達もコイツの話の続きを聞きたがっている、という現実に井口の口元が緩む。


諏訪「この問題を解決する方法はないものかと、私は考えました。そこで思いついたのが今まさに政治において議論され取り組まれている問題でもある、働き方改革に付随してこれを解決する事です。」


「政府内の有識者会議において議論されている、正社員を簡単にクビにできる法案というのがありますが、個人的な立場から申し上げるにこれは時期尚早と考えます。」


聴衆「そうだ!いいぞ!」


聴衆から合いの手が上がる。

何の色モノ候補かと懐疑的だった聴衆達も、小山家の強固な地盤を支える有権者も、いつの間にか諏訪の話に足を止め、聞き入ってしまっていた。


「しかし、この法案はいずれ決行されるかもしれません。何故かは皆様が長年支えてこられた小山家及び自民党候補者にぜひお尋ね下さい。私はひよっこ一年生ですので、あの建物の中で何が行われ話し合われてるかまでは知りようがないのですよ。」


バツの悪そうな諏訪の話に聴衆の顔にも笑みが溢れる。

諏訪はこの場をある意味、掌握してしまっていた。

見る者全てに対して、早く次の話をと欲せざる事に成功していたのだった。


諏訪「ですので、若年層、青年層に対して提案するわけです。30歳までは世の中をゆっくり学ぶ機会を与えませんか、と。」


「この期間は今まで通り高校を出て働くも良し、合わないからやっぱやめたも良し、学びたいことができたから大学に行くも良し、各々が世の中を、日本を学んでさあ何をやろうか、という期間に充ててもらう事を目的としています。」


「その代わりこの制度を活用する皆様には、これまでの正社員という枠組みではなく、いつでも辞めれる、全てとはいかないでしょうが、可能な限りどの職種でも働けるという枠組みを提供いたします。」


「無論、では給料はどうするのか、という問題があります。これはある種インターンのようなモノと考えて頂きたいのです。今回は最低時給等も考慮し、目安として月給約20万と致しましょう、この金額はどの企業に行っても同じ金額を支給されます。」


「そしてこの制度に協力してくださる企業には、政府より協力費を補助いたします。一人当たり7万程度です。この7万という金額には聞き覚えのある皆様もいらっしゃいますが、かの小山内閣の経済政策を担当なさっていた竹山氏が提唱した、ベーシックインカムの件で竹山氏が算出した金額になります。勿論どの方程式を用いてこの金額を算出したのかなどは、私の存じ上げるものではありませんが。」


「私は残念ながら専門家ではございませんので、この例として提示した金額も、得られる収入も前後するかもしれません。ですが、大事な事は社会全体が30歳までは世の中を色々観て学べと、やりたいことができたらまずやってみろと、そういう期間だとの共通認識を持っていただく事を目的としています。」


「企業は結果的にインターンを多く抱えれる事でもあるので、より自社にあった人材を見極めて個別にオファーできるメリットがございますし、更に政府から人件費への補助が出るという事。中小企業の経営者の皆様でも、今は求人を出すにも経費が掛かり、派遣を雇うにも少なからずの経費が掛かりますので、負担軽減の恩恵はあると考えます。」


「労働者の方も働いてみて思ったのと違った、というミスマッチを可能な限り解決できるメリットにもなります。双方に利益があり、社会全体に対しても多くの潜在的な有用さが見込まれる事、そして何より社会全体で若年層、青年層の成長に寄与し、将来の日本をより成長した若者達に託していく狙いまで含んだ政策です。」


諏訪の演説がひと段落し、聴衆にザワつき始めた。

ある者は不思議な高揚感に戸惑い、またある者は疑問を呈し出した。


聴衆A「じゃ、じゃあ若いの以外はどうするんだ!普通の30過ぎに何の意味があるんだ!氷河期の連中はどうなるんだ!」


思わず口から出る不平、疑問、不思議な期待感までが入り混じった様な疑問に対し、聴衆の心は諏訪の返答に自然と注視する結果となる。

諏訪は変わらず微笑を浮かべたまま、ゆっくりとした口調で再び語り出した。


諏訪「ご意見ありがとうございます、勿論、そういった皆様に対しましても可能な限り公平感を持った政策を用意してございます。しかし本日はこれ一つだけです。次の私の演説に是非また足をお運びになって下さい。本日は皆様にまず私の話を聞いていただく事、できれば検討して自分なりに考えていただく事までが目標でした。」


「私は初め申し上げました通り、私が政権与党として大量の議席を獲得せずとも、いち候補者の立場でも世の中を変えることができる事を証明したいのです。」


「それには皆様のお力が必要です。ありとあらゆる所でこの政策が話題に上り、その時の政権与党につく政党がこれに無視できなくなる事、そして、政権与党の立場であれば、関係各所の調整のみで比較的実行しやすい内容である事、この二点を抑える事ができれば、という前提条件にはなりますが。」


2本の長い指を胸の横に掲げた後、閉じていた手を開き、大きくゆっくりと腕で半円を描く諏訪が、少し神妙な面持ちになりつつも話を続ける。


「選挙活動というのは、日本全国へ向けて自分の考えを大っぴらに堂々と提案できる舞台でもあります。ですので最初に種明かしを致しますが、今日この演説こそが私のとっての天王山でありました。私は当然やるからには当選を目指して戦い抜きますが、同時に広く日本のあちこちへと私の政策を聞いてもらい、皆様の間で議論してもらう事が出馬の目的でした。」


「この神奈川11区という選挙区は地盤も強く、前環境大臣とお勤めになった小山進三郎氏のお膝元であります。まぁ、数々の迷言で世をお騒がせになられた小山氏でもありますので、当然、私なりに政策論争という点で世間により注目される事も計算済みでございます。」


悪戯っ子を思わせる様な笑顔は聴衆の心を弛緩させた。

諏訪は決して端正な顔立ちでもなく、良く言えば平均的でさほど特徴といった特徴もない顔立ちであり、体躯も取り立てて目立つ点もなく、170センチ前後である。

諏訪が言葉を発するごとに、聴衆は諏訪に対する警戒感が無意識のうちに薄れていった事も、この平均的な佇まいの副産物であったかも知れない。


「願わくばこの12日間、皆様にとって政治とはなにか、政策とは何なのかを考えて頂く機会になる事を願い、ここに本日の演説の締めくくりとさせて頂きたいと存じます。ご静聴ありがとうございました。」


涼しげば笑顔を浮かべ、諏訪は演説を締めくくり、深々と頭を下げた。

世間一般では小山進三郎氏の演説までの前座程度の認識に過ぎなかった諏訪は、このたかだか10分弱の間に、人々の間でただ素通りできない程の不確定要素へと成り上がってしまっていた。


次は何を話してくれるのか。

何故、今日はこの演説だけなのか。

もう少し諏訪の話を聞きたい、聞いてみたいという内から湧き上がる不思議な感覚に包まれていた聴衆の所へ、真打、小山進三郎氏の出番が来た。


強力な地盤と支援者に守られた小山氏。

出るだけで勝つ、と言われた自分のシマに突如襲来した災害のような感覚につつまれていた進三郎ではあったが、引っ張られてばかりもいられない。

そして勿論の事、会心のスタートを切る為に前乗りした彼の応援団も支援者も、諏訪の予想だにしなかった内容の演説で呆気にとられてはいたが、いよいよウチの街の王様の登場とあり、いやが応にも盛り上げなければならないのだ。


作られた大歓声に煽られる聴衆も、元々はこれを取りに来た民放各報道班も、進三郎の登場をアナウンスしてお膳立てする。


大きい動作で支援者並びに一般聴衆と報道班に対して手を振る小山氏。

諏訪とは違い、テレビ映えのする端正な外見は、登場だけでその場を活気づけた。


持って生まれたただ在るだけで醸し出される華やかな雰囲気をその身に纏い、進三郎の第一声が横須賀駅前に拡がる秋の晴天に響く。

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