両家とも……

 階段を登り、橘先輩はまだ幕が下りているステージに立った。これからの橘先輩と水野さんのシーンが終われば、橘先輩が言った通り俺と盛岡の一番の見せ場になる。きたるシーンに向けイメージトレーニングをしていると、いよいよ幕が上がった。

 水野さんがステージ裏から飛び出し、橘先輩の元へ駆けつける。教会での結婚シーンだ。


「神父とはもう話をつけてある。それじゃあ教会で誰もいない結婚式をあげようか」


 ロミオはそう言い、二人は愛を語り合う。俺はそれを視界に入れながらイメージトレーニングを続行した。

 先輩の言った通り、普段通りに行けば大丈夫だ。今までたくさん練習を続けてきた。俺自身も納得して、先輩も先生も認めてくれている。立ち回りなんてもう体が覚えてしまったくらいだ。だから、きっと大丈夫だ。

 ふと、相方の盛岡のことが気になり、水野さんと橘先輩の先、俺がいるのとは反対側のステージ裏に目を向けた。

 そいつはいつもとは違ってやけに真面目に水野さんと橘先輩の演技を見つめていて、俺の視線に気づいたのか目を合わせたと思うとすぐにそっぽを向いた。……相変わらずの嫌われようだな、俺。

 本番だってのに苦笑いを浮かべてしまう。それと同時にだいぶ気楽になった。よし、普段通りに行けるはずだ。

 教会のシーンは佳境に入っきて、俺の出番も刻々と近づく。

 橘先輩は膝を付き水野さんの左手薬指に指輪をはめた。


「ジュリエット、愛してる」

「私も」


 水野さんは頬を赤くしながらはにかんだ。

 バルコニーシーンといい、初々しく、見てる側が照れくさくなるシーンが続く。これもまた水野さんの少女性が為せる技なのかもしれない。

 二人は別れを言い、お互いが元いたステージ裏に戻った。

 さて、ついに俺の最後の役目だ。

 橘先輩と入れ違うようにステージへ足を出す。俺の気分はなんとも晴れていた。


「はぁ、ロミオのやつ、どこにいるんだ?」


 今のステージは文字通り俺の独壇場だ。自分でも驚くほどすらすらと言葉を紡げる。


「昨日も一緒に逃げてたのにいつの間にかいなくなるしよう。ハッ! まさかあいつ、抜け駆けしやがったか。クソッ、俺には女の子に興味がないような振りをしやがって」


 人の視線など、一つも気にならない。


「昨日一緒に踊ってたべっぴんさんか?  くぅーロミオのやつも抜け目ねえなぁ!」


 会場の笑い声もすーっと耳から通り抜けていく。スポーツ選手がよく言うゾーンってやつだろうか? 劇にもあるのか、そういうの。

 俺の台詞が終わって、向かいから堂々と盛岡が歩いてきていた。俺の相方でありマーキューシオの宿敵が登場だ。


「よお、マーキューシオじゃねぇか。いつも一緒にいるロミオはどうした?」

「さあ? 俺の知ったこっちゃないね。ところで……ロミオに何か用か?」


 盛岡は腰についた剣を撫でる。


「知らないとは言わせないぜ? 昨日、俺たちの舞踏会を台無しにした罪としてロミオと決闘する」


 何事もないように言い放った。会場の空気が、冷えていく。


「そうか……」


 声を低く、沸々と怒りを込めるように。


「そんなこと言われたら、ロミオの友として黙ってはおけないな」


 俺は剣を抜いた。


「そもそもだ。俺もロミオと一緒に舞踏会へ潜入したんだぜ? そんな俺にはお咎めなしかよ。なあ、ティボルト」

「一介の貴族に過ぎないお前に用はないんだよ。ロミオの腰巾着風情がでしゃばってくるな」

「なんだと?」


 自分でも底冷えするほどドスの効いた声が出た。そうだ、その調子だ。怒りの感情を思い出せ。

 ――そういえば最近は感情を表に出すことが減ったな。なんて、どうでもいいことがどうしてか今、頭に強く浮かんだ。


「家の侮辱は許さない。決闘だ、ティボルト。俺と戦え」

「ほう? お前がその気なら相手をしてやらんこともないが」


 盛岡も剣を抜く。ロミオとジュリエットが結ばれて早々、今までの幸せムードが嘘みたいに緊迫した空気が会場中を支配している。

 そんな中、ステージ裏から早足に一人の男が駆けつけてきた。橘先輩だ。


「やめろお前たち! 街中で何をやっているんだ!」

「手を出すなロミオ! これは俺とティボルトの決闘だ!」

「俺は別に二人を相手にしても構わないぞ?」


 ティボルトの煽りを受けるロミオだが、しかし諭すように語りかける。


「ティボルト、僕に戦う意志はないんだ。上手く言えないけど僕はお前を家族のように想わなければならない理由ができた。だから決闘なんてするな」

「ロミオ、さっきも言っただろう? これは俺とティボルトの決闘だと。俺がこいつと戦いたいんだ」


 俺は盛岡を睨み、そんな盛岡はどこ吹く風。橘先輩は悲壮を顔に滲ませて俺の横にいる。

 この三つ巴、最初に動くのはこの俺だ。

 俺は勢いよく盛岡に突きをかます。盛岡はバックステップを踏みながらそれをいなした。俺と盛岡の剣戟が始まった。

 一定の距離を取りながら踏み込んだり下がったり。流れるように俺の体は動く。疲れが出てきても、熱い息を吐きながら無尽蔵に動き続けている。

 俺の意識は盛岡以外映さなかった。まるで本当にマーキューシオになったかのように、ティボルトとの戦いだけに意識を割り当て腕を、足を動かし続ける。


「二人共、やめろ!」


 ロミオの心境はこのときボロボロだっただろう。友のマーキューシオと、ジュリエットと同じキャピュレット家の一人であるティボルトが争っているのだ。どちらの仲間もできない。中立を貫くしかない。だからこれは仕方のない偶然だ。

 橘先輩が俺と盛岡の間に割って入ったことにより、俺は盛岡の剣をいなすことができず、結果胸を突かれてしまう。


「カッ」


 後退りをしながら剣が触れた痛みのない左胸を押さえた。あぁ、俺は死んでしまう。

 全身から血が抜けていく、力が抜けていく。そんな意識をすれば本当に出血しているみたいだ。凄いな、こんな気分、練習では一度もならなかった。


「ぐふっ」


 少しして膝を落とし、そのまま流れるように倒れる。


「お、おいマーキューシオ。死ぬな、マーキューシオ」


 橘先輩が俺の上半身を支えた。


「大丈夫だ、かすり傷だ。クソッ、いてえ。おいロミオ、どうして割って入った」

「それはマーキューシオを想って……」

「はぁ、そのせいで――」


 俺は言葉を紡ごうとしたが、その先の台詞によって現実に引き戻された。やっぱり俺はマーキューシオのことを理解できなかった。まあ、いいか。後は死ぬのだから淡々と台詞を読むだけだ。


「そのせいで俺は刺されたのだ。ああ、クソッ、いてえ。よくも、よくも俺を蛆虫の餌にしやがって。クソッ、気を失いそうだ。両家とも……両家とも、滅んでしまえ」


 最後に出た言葉は、怨嗟だった。

 ゆっくりと瞼を閉じて、俺は暗闇に一人残される。


「マーキューシオ! マーキューシオー!」


 ああ、凄いな先輩は。さっきまで水野さんと甘い演技をしていたのに今はこうして絶望を全面に出して。慟哭もなぜか心地よく感じる。

 おっと、支えられてた上半身が地面に置かれた。次はロミオとティボルトの戦いだな。


「ティボルト、もうお前に情けはないぞ。決闘だ」


 橘先輩の声の位置が遠くなった。


「お前もすぐにマーキューシオの後を追わせてやる」


 盛岡も安定した演技をしてるなー。可もなく不可もなし。こう言うと悪く聞こえるかもだが不可がある俺よりかはよっぽど上手い。

 足音が響いたと同時に地面が揺れ始めた。二人の剣戟が始まったのか。こんな中俺を見てる人っているのかな。一人でぶっ倒れてるの、なんだか恥ずかしくなってきた……。

 それにしてもいくら死ぬ寸前だからって友達に向かってお前のせいで死んだみたいなことを普通言うかなあ? 両家とも滅んでしまえってのもなあ。ロミオとジュリエットのキャラクターで共感できる人物がいない……。もう少し歳を重ねたら見えてくるのもあるのかね。


「ぐふっ」


 俺がマーキューシオのことを罵倒していると、盛岡の溢した息と同時に足音がやんだ。それから少しして人が倒れる音がする。どうやら剣戟が終わったらしい。


「……大公が来る前に逃げないと」


 橘先輩の走り去る音と幕が下りてくる音が同時に聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る