席替え

 六限目の終わりを告げるチャイムが静寂な教室に鳴り響く。試験監督をしていた教師がテストを集める指示を出すと張り詰めていた空気が一気に弛緩した。生徒が皆、おもむろに動き出す。

 今日は始業式を終えてからずっとテストだった。テスト勉強を一切せずに臨んだからもうボロボロだ……。夏休みの課題を答え写してやった付けが回ってきたか。うーん、これ赤点の可能性があるな。

 俺は先のことを想像してため息をつく。このままじゃ親に怒られちまうぜ全く。もうどうしようもないけど。


 テストが終わり、各々が下校の準備を始める。まあ部活か自主勉強をするルールが設けられたから下校をするわけではないのだが。ホント、なんなんだろうなこのルール。

 俺が筆記用具をリュックに仕舞っていると、白井が近づいてきた。


「よっ、テストどうだった」

「終わった」

「ほう、そうかそうか」


 白井はニヤニヤと、十人が見たら九人はドン引きするような気色の悪い笑みを浮かべて俺を煽ってきた。それはさながら妖怪のようである。四畳半にでも巣食っとけ。


「……で、なんだよ」

「いやー、別に? ま、今回のテストの結果が楽しみだなって」

「少なくともお前よりは点数取れてると思うぞ……」

「フッフッフ、それはどうかな」

「お前、まさか!」

「まあ楽しみに待ちたまえ」


 そう得意げに言って白井は颯爽と席に戻っていった。

 なんだったんだ、まじで……俺も変なテンションで返しちまったよ。それにしても白井のあの自信は一体どこから来るものなのだろうか。あいつ、学年順位そこまで高くなかったよな。

 そういえば、とふと思う。部活をやっていない生徒は学校に残って自主勉強をするルール。それは夏休みのときにも適用されて、白井はなんだかんだで毎日学校に行ってたな、と。真面目に勉強をしていたのだろうか? 正直、俺だったら学校に行っても勉強なんかせずにぼーっと過ごしてる気がする。少なくとも俺は、白井はそういうふうに過ごしているのだと思っていた。まあ真偽の程は分からないが……白井の言うとおり、結果を楽しみに待っとくか。


 俺はリュックをフックに掛けて机に伏した。なんだか妙に気分が落ち着かないのだ。教室の喧騒が煩わしく思ってしまうほどに。


 少ししてガラガラとドアが開き後藤が入ってくる。そうしてグループになって談笑していた人達が誰に言われるでもなく席へと座った。


「テストお疲れ。それと朝言い忘れてたんだが今日、席替えするぞ」

「え」

『よっしゃあ!』


 随分といきなりだなと驚いた俺の呟きは即座に歓声によって掻き消された。う、うるせぇ。


「うお、もうちょい静かにしろよ」


 後藤の言葉には意に介さず皆口々に「どうやって席決めるんすか?」やら「最高!」やら雄叫びを上げている。席替えって祭りだったっけ? まあ中には「このままでいいんだけど」とか「うるせー」とかいう声も聞こえてくるが。あ、一応言っとくがうるせーって言ったの俺じゃないからな! 多分盛岡が言った。うん、うるせーって言ったの盛岡だろ。お前そういうのよくねえぞ! と盛岡のいる最後列を振り向くと盛岡は後藤には見えないようにスマホを弄っていた。お前まじかよ……。

 俺が盛岡にドン引きしてる中、後藤は話し続ける。なんつーか後藤が可哀想だわ。


「席に関してはくじ引きで決める。お前らはなんだかんだで真面目に授業受けてるしな。あ、目が悪いやつは俺に言えよ。見えやすいとこにするから」


 後藤はそう言うと教壇の上に、ニ等分に折られている紙を置いた。続けて黒板に席とその番号を記していく。恐らく教壇の上に置かれた紙に番号が書かれていて、その番号が自分の席になるのだろう。

 カツカツとチョークを走らせる音が響く中、教室は未だに興奮冷めやらない。俺はその空気に言い知れない疎外感を覚えた。

 別に眠くはないけどまた机に伏す。席替えを楽しむ余裕なんて俺にはもうない。というか僅かな話し相手である葉月と席が離れることになるのは痛手だった。もちろん席替えをして葉月だけでなく白井や盛岡とも席が近くなるかもしれないが。


 なんとはなしに隣を振り向くと葉月と目があった。葉月はすぐに視線を黒板へと戻す。おいおい何照れてるんだよ俺まで照れちゃうだろバカヤロウ! なんて心で思いながら俺も頬杖をついて黒板に視線をやる。……うーん、気まずい。


「よし、準備できたぞ。じゃあ男は右側に置いてる紙を適当に、女は左側に置いた紙を取ってけ」

『イェーイ!』


 叫びながら教壇に突撃する十数人の生徒達。ふむ、あれが陽キャか。よっしゃ、俺も行くぜ!


「い、いぇーぃ……」

「何してんの?」

「あ、や、なんでもないです……」


 やっぱ俺に陽キャは無理だよぉ……。自分でやってて恥ずかしくなるもん。

 あーもう暑い、暑いな。クーラー効いてないんじゃねぇの、この部屋。もうまぢ無理ぃ。


 俺は服をパタパタと煽ぎながら教壇へと行くが人が多すぎて紙を取りに行けない。まあ、残り物には福があると言うし、我慢するか。横を見れば葉月もそんな感じだ。白井はもう席が決まったらしく、なんか男友達と騒いでる。あいつ、オタクのくせにこういうとこあるよな。うん、一言で言うと羨ましい。


 もうみんな紙を取っていったみたいだ。紙を取った生徒を後藤が「はよどけろ」と指示している。男側に残ってる紙は二枚。女の方は一枚だけ残っていた。俺と葉月はやっぱり似ているな。社交性とか社交性とか、それと社交性が似てる。

 後藤が、スマホを突くのを辞めて眠っている盛岡の元へ行き、コツンとチョップした。残りの一枚はお前だったかー。


「よし、じゃあ書かれてる番号のとこに移動しろ。黒板が見えづらいとかは受け付けるがこいつと隣は嫌だとか、あの子と隣が良かったとかは俺に言ってもどうにもならないからな」


 後藤の言葉をちゃんと聞いているのかは分からないが、みんなざわざわと動き出す。俺も紙を開いて番号を確認した。「34」と書かれている。黒板を見て場所を確認すると、窓際の後ろから二番目だった。

 悪くない、というかかなりいい席ではないだろうか。今までは中央だったから少しだけ窮屈に感じてたんだよな。窓際なら授業中もそと見ながらぼーっとできるしね。


「葉月はどこだった?」

「ん、私は二」


 二の席というとドア側の前から二番目だ。見事に離れてしまった。


「……御行は?」

「あそこ」


 俺はこれから自分の席になる場所を指差す。


「そ、じゃあ私も移動するから」

「おう」


 葉月は普段と変わらない調子で元の席に行った。俺は葉月の後ろ姿を目で追う。……何を期待してたんだろうな、俺は。ほんの少し、つまらないことを思ってしまった。

 ちょっとでもいいから残念がってほしかった、なんて口が裂けても言えない。この気持ちは墓まで持っていくことにしよう。気持ち悪いし。


 俺も席を移動する準備に取り掛かる。準備、と言っても今日はテストだけだったから荷物はあまりなく、リュックを持つだけだ。後藤が言うには机や椅子は移動させずに荷物だけの移動となるらしい。かなり楽である。


 リュックを持って新しい席に行くと、その隣にはもう女子生徒が来ていた。名前はなんだったか……。話したことない人だから分からないな。

 とりあえず席にリュックを置く。と、目の前にいる男と目があった。


「やぁ御行くん、君が俺の後ろか」

「その喋り方、新キャラだと勘違いするから辞めろ」


 そう、俺の前の席はヒョロガリ眼鏡でオタクの白井であった。


「勉強、教えてやってもいいぞ?」

「へいへい、すぐに調子に乗るなお前は……それにしても前が白井だと面倒くさくなりそうだ」

「本当は俺と席が近くて嬉しいくせに〜」

「うぜぇ……」


 お調子者なやつだ。まあ、話したことない人に囲まれるという想像上最悪の事態は免れたからいいや。

 白井は「これからよろしくな」と言って、他の友達の元に歩いていった。アニメの話で盛り上がってるようだ。

 席替えをしたときに黒板を見ると俺はどうしても違和を感じる。まあ二日とかで慣れるのだが、新鮮な感覚だ。こうなることで本当に席替えをしたんだなと実感する。

 俺は頬杖をついて葉月の方を見た。相変わらず一人で虚ろな感じだ。


「ねぇ、西園寺君って葉月さんのことが好きなの?」

「はい?」


 突如、隣の席の女子に話しかけられた。落ち着きがあり、髪型は三編みハーフアップで美人だなという印象を受ける彼女は懐疑的に、つどこか楽しんでいるような雰囲気を感じさせる。


「え、えーと……どうしてそうなるんすか?」

「普段から楽しそうに話してるじゃん、二人。さっきも葉月さんのこと見てたし! というかその話し方、変なの。同級生なんだから畏まらなくてもいいよ!」

「お、おう……」


 知らない人からの言葉の雨には日和っちまうぜ……。それにしても俺達が楽しそうに会話してたことなんてあったか?


「えーと、じゃあまぁ。別に好きとかそんなんじゃないよ」

「ホントかな〜」

「ホントだよ」

「いやぁね? 学年一のイケメンと言われる西園寺君がよく話す女子って葉月さんしかいないじゃん? みんな噂してるんだよ」

「学年一のイケメンって……え、まじ?」

「まじ」


 俺は流れのままに葉月の方を見た。すると葉月も俺の方を見ていたらしい。目が合ってしまい、お互い咄嗟に視線を逸らす。

 なんっで俺の方を見てんだよ!


「ふむふむ。なるほど、そういうことかぁ」

「……何を考えてるのか知らないけどその考えが絶対に間違っているということは断固として主張しておこう」

「大丈夫! このことは絶対に秘密にするから!」

「全然大丈夫じゃねぇな」

「まぁまぁ、何かあったらわたしに頼りなさい。恋のお手伝い、するから!」

「あー、そう……」


 いきなり面倒くさいことになっちまったよ。まあ相手も完全に信じ切ってるわけではないだろうが。きっと冗談で言っているのだろう。


「それにしても恋する男女はいいねぇ」


 訂正。この人、本気で信じ切ってるわ。目がマジ。あとあれ、おっさんみたいなこと言ってるから。うん、やばい。






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