ジュリエット

 今日は私が一番乗りだ。先輩も先生もまだ来てない。誰も居ない教室は放課後の喧騒も相まって、独特の雰囲気を纏っていてなんだか浮き足立つ。

 窓の外に目を向ける。運動部の人達が夕暮れの中、グランドを走りながら声を出している。普段なら下校している生徒も見受けられるが、今日から部活動をしていない生徒は放課後残って一時間自習をすることになったからいないのだ。美香みかちゃんが嫌だと嘆いていたな。バックレると言っていたけど結局どうしたんだろう?

 先輩が今日も遅れると言っていた。進路について、担任の先生と話すとかで最近はよく遅くなったりしている。三年生は大変そうだ。

 そういえば橘先輩の進路は何なのだろう?知りたい。後で聞いてみよう。

 ダンボールの方へと目を向ける。宮野先輩がロミオとジュリエットで着る衣装が置いてあった。先輩方はロミオとジュリエットが好きで、次の文化祭もその予定らしい。

 ……自分も着てみたいなと思った。この衣装を着たところで私は宮野先輩のようにはなれないし、ジュリエットにもなれない。

 いや、ロミオとジュリエットは悲恋の物語だ。そういう意味では私にピッタリなのかもしれないな。


 ……着てみよう。


 教室から出て着替え中と書いてあるドアプレートを掛ける。

 そうして私はジュリエットの衣装に着替えた。

 ドアプレートを外して、自分の姿を姿見鏡で確認した。やっぱり宮野先輩のようにはなれないなと少し落ち込んだ。

 けれど衣装なんて初めて着たから変な昂揚感があって、鏡に映っている私は私ではないかのような、そんな気がした。

 教室の外から階段を登ってくる音が聞こえる。先輩だろうか? この姿を見たら驚くに違いない。

 ……可愛いと、思ってくれるだろうか。

 ドキドキが治まらず胸がはち切れそうだ。

 外から聞こえる音は段々と近くなっていき、話し声も聞こえてくる。そして、ドアがガラッと開かれた。

 廊下には先生と、見覚えはあるが話したことのない男子がいた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 先生に少しだけ注意されてしまった。

 いつもならかなり凹んでしまうけど、今はそんなことを考えることができないくらいの事態に陥っていてそれどころではないのだ。

 ……話したことのない男の人と密室で二人きりだ。

 どうしよう。なんかジロジロ見られてる気がするし。あ、衣装着てるからか。恥ずかしい。怖い。

 私が軽くパニックに陥ってるとき、彼は言葉を発した。


「天気、いいですね」


 話しかけられた! どうしよう! と、取り敢えず話しかけられたのなら応えるしかない。


「あ、えと、そうですね……」


 それからお互い暫しの沈黙。気まずさから逃れる様に、少ししてまた彼が話しかけてくる。沈黙の時間が苦しいのだろう。こちらからすれば知らない男の人と話すとか辛いし辞めてほしいんだけど……。


「可愛いですね!」

「え!?あ、ぅ、え!?」


 何言ってんのこの人!?

 というか思い出した! この人、昨日、美香ちゃんが告白した人じゃん!

 酷いぞこの男。女の子を振ってからすぐに口説くとか! なんかモテるらしいけどいろんな女の子にこういうことを言って口説いてきたんだ! 絶対にそうだ!

 それから男は言い訳みたいな感じで何度も捲し立てる。けれど、その内容がまた私を辱めた。赤く染まった頬を隠す為に下を向いていたが、もう限界だった。私は男の方ヘ睨みつけ、叫ぶように拒絶した。


「着替えるので出ていってください!」


 ごめん、と声のトーンを落として男は出ていった。あの様子を見るとなんだか私が悪い事をしたかの様に思えてくる。

 だけどあれは私、悪くない! あの男が悪い! 簡単に女の子に対して可愛いとか言うなんてどうかしてる。デリカシーがないよ。

 姿見鏡で自分の姿を見てみる。

 まだ頬は赤く染まったままで、恥ずかしさからか、なんだか変な顔をしている。

 ……私って本当に可愛いのかな?可愛かったのかな?

 って何考えてるんだ私! ていうか知らない男に可愛いって言われても嬉しくないし! 先輩に可愛いって思ってもらわないと!


 ……着替えよう。

 冷静になると、落ち着きがなかった私が馬鹿らしく思えてきた。


 廊下に向けて着替え終わりました、と言うとあの男だけでなく先輩達や先生が入って来た。

 私の事をあの男は先輩に言ったのだろうか? お願いだから言ってないであれ。言われてたら私は多分泣く。

 全員が部室に入ると、ちょっとしたミーティングが始まった。

 これが終わったら先生と男に私が衣装を着てたことを黙っていて欲しいと伝えよう。


 ……始めは混乱してて覚えてなかったけどあの男の名前は西園寺御行というのか。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 学校を出ると、空には月が出ており、夜の帳を街の灯りが照らしていた。

 同じ帰路でもいつもは夕暮れ時に帰るから、全く別の世界に迷い込んだみたいだな。

 うーん、かなり疲れた。まあでも、こういうのも悪くないかもな。部活に出てる人はみんな本気でやってるみたいだし。そういえば、水野さんが衣装を着てたことを誰にも言わないでって言ってたけど、衣装を着るのってそんなに悪いことなのか?先輩達に怒られたりするんかな。まあ先生が軽く咎めてたしそうなのかも。

 スマホの電源を点けるとメールが溜まっていた。親と妹と白井からだ。そういえば親に連絡するの忘れてたな。心配をかけたかもしれない。メールを返そう。

 妹からのメールは……まあ親に返したしいいか。

 んで白井のは……。なんであいつ五回もメール送ってんだ?


一回目:今どこ?

二回目:今どこ?

三回目:ああ、部活してない奴は居残りだったな

ざまあw

四回目:暇だわ

五回目:今何してんの?


 こいつ、俺の彼女だったっけ?

 これ、なんて返事するのが正解なんだろう。既読スルーでいいかな。面倒くせえし。

 ……まあ、部活やってたって送るか。


 俺がスマホをつついていると、近くに女子が乗ってる自転車が停まった。


「なんで御行がいるの?」


 葉月だった。

 そういえば葉月と帰り道同じなんだよな。登校する時に俺を追い抜いたりしてたわ。

 自転車通学許すまじ。


「部活、始めたから」

「なんの?」

「演劇」

「は? 演劇? 御行が?」

「その反応なんか酷くね?」


 まあ前の俺を知ってたならその反応が妥当なんだろうけど。

 それからも葉月は俺と肩を並べる様に歩きながらついてくる。自転車で先に帰ることはしなかった。


「あのさ」

「ん?」

「朝、私に何言おうとしたの?」


 葉月が俺を突き刺すようにまっすぐと視線を向ける。

 緊張して手汗が出てきた。唇も少し震えてる。だけど、言わないと。俺は意を決して口を開いた。


「昨日、つい叫んじゃった事謝りたくて」

「え、それだけ?」

「うん。それだけ」


 なんだか、なあなあに終わってしまった事を改めて言うのは少し恥ずかしい。だけど。


「なにそれ。変なの」


 くすっと笑ってそう答えた葉月を見たら、ちゃんと言えて良かったなと思えた。






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