或る百姓の噺

 とある道の途中。

 国と国との境に、地蔵の列があった。

 旅をしていたある法師が地蔵に近づくと、

 地蔵の前にひとつ、ひとがあった。


 先客ですかな。


 法師は言った。


 ひとは、男だった。男は百姓のをしていた。

 百姓の男は地蔵の前に胡坐あぐらをかいていた。

 手もとには徳利とっくり猪口ちょこがあった。


 ……ああ、法師様。すまねえな。ちょいと許してくれよ。


 百姓の男は言った。


 いえいえ。


 法師は、にこにこと笑みを浮かべ、百姓の男を観察する。


 百姓の男はどこか憔悴しょうすいしていた。

 着物は泥にまみれ、原色を失っている。

 百姓であるはずなのに、男は随分と立派な刀を持っていた。

 中がどうなっているかまでは、法師には分からなかった。


 ひとくち、百姓の男が猪口をあおった。


 おれにはなぁ、できの悪いがひとりいたのさ。


 できが悪くても、大層優しい子でな。


 よく、おっとう、おっとう、ってな、おれのことを呼んでくれたのさ。


 ええ。


 最近元服をして、嫁さんをもらったのさ。


 可愛らしい、できのいい娘さんだった。


 こんなんでいいのかって、聞いたら、


 せがれがいいんだと、言ってくれたのさ。


 おれぁ、もとは藩士だったんだ。


 をもらったときに脱藩して、百姓になったのさ。


 金が無くても生きていける道を、つれには教えてもらったのさ。


 幸せを、手に入れたんだよなぁ。


 ええ。


 ところがどうだ。


 ちょっとしたら、せがれはいっちまったのさ。


 賊に家を襲われたのさ。嫁さんもろとも。


 ああ、ああ、なんてむごい。


 せっかく、これからだってときに、せがれはいっちまったのさ。


 ……ええ。


 だからおれぁ、どうしても許せなくてねぇ。


 その賊どもを探し出して、


 この手で、


 殺したんだ。


 つれは、とうの昔に病でいない。


 せがれ夫婦も、死んじまった。


 おれには、なにもない。


 最期に地蔵様と一献、やってからいこうと思ってねぇ。


 そうしたら法師様、あんたがやってきたのさ。


 そうでしたか。


 法師は、百姓の男が今からなにをしようとしているのか、

 おおよそ、その見当が付いていた。


 介錯は、必要ですか?


 そう問うと男は目を見開いた。

 見開いて、法師を見、そして笑った。


 ……いいや。法師様の手をわずらわすわけにはいかないね。


 そうですか。では、またいつか、どこかで。


 話し相手になってくれて、ありがとうな、法師様。


 法師は男に会釈し、道を進んだ。


 数里すうり行った先で、彼の声が消えた気がした。


 ああ、きっと彼は。

 息子夫婦と自分の妻のもとへと今しがた旅立ったのだろう。


 彼の行く先が、例え地獄であろうとも。

 せめて、一度、愛する者たちのもとへ。


 法師はそう願わずには、いられなかった。

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