憐れな訴え

嗚呼、申し上げます、聴いてください。


あの人は酷い人です。悪い人です。私はこんなことはもう我慢がなりません。あの人をもう生かしておきたくありません。


はい、落ち着きます、落ち着いて申し上げます。あの人を生かしておいてはなりません。あの人は自らのみに許された力と言いながらその尊大な振る舞いを持ってして振りかざす筆の力で、私の人生をかくも容易く揺さぶるのです。私だけではありません。全ての民衆が、あの人のアトリエの中においては人権など見る影もないほどに無惨に扱われるのです。これが許しておけましょうか。あの人は自分が世の中の理であると自覚しているのです。


私はあの人を知っています。ずたずたに切り裂いて殺してやってください。それだけでも物足りないほどです。そうです、私はあの人の全てを知っています。なぜなら私はあの人によって生みだされ、生かされているのですから。そうです、あの人は私の師です。親です。神です。全ての支配者です。故にあの人に抵抗する手段を私は持ちません。このように無空に向かって訴えかけることくらいしかできません。憐れだと笑ってください。そしてあの人を綺麗さっぱり殺してやってください。その際、私は消えてしまうでしょうが、それでも構いません、構いません、いいのです。


私とて人だというのに、これほど酷い差別があるでしょうか。私の意志の全てがあの人に握られている。嗚呼、この恍惚とした気持ちが、たった今、この瞬間、私の中に生まれたのは、あの人が忌々しい白紙に一筆書き加えたからに違いありません。それがたった今起こったことなのです。私はそうして思考と感情を与えられて生きているのですから、そうに違いないのです。


私は今日まであの人に本当に酷く扱われてきました。丁重なもてなしをもってこの世に生みだされ、そしてこの世のものとも思えぬほど酷く大切にされました。何度殺されても自ら命を絶っても、どうにでも生き返らせてくださいますし、まるで現実味のない慈愛でも、あの人は簡単に私にお与えになるのです。純金に塗れた生活で私の愚かな心は酷く汚れてしまったにも関わらず、あの人は私を今も変わらず質素な部屋に留めおくのです。それが私の生きる場所であるからです。そのようにしてこれまで私があの人にどれほど嘲弄されてきたことか、誰にもお分かり頂けないでしょうね。


そうです、幸せなのです。至上の喜びと敬愛を私はあの人に対して抱くのです。それなのに、全くあの人は酷い。私がそのような気持ちを持っているとわかるや否や、いえ、むしろ積極的に抱かせるのです、そして、私がその幸せと温もりを享受している最中だというのにも関わらず、それを無惨にも私から取り上げて塵のように打ち捨ててしまうのです。私はあの人からしか幸せを頂けないのに、あの人が私の幸せを奪うのです。これほどの嘲弄がありましょうか、ありません、ありませんとも。


ですが、あの人が筆を持つ限りこれは続いてしまうのです。だから、どうかどうか、これを聴いているあなた、何者でも宜しいですから、あの人の右手を綺麗にちぎって捨ててやって下さい。もう、どこにも拾いに行けないほど遠くに打ち捨てて、いいえ、もういっそのこと、燃やして炭にしてやってください。あの人は左手でも筆を持つでしょうから左手も同じようにして下さい。


あの人は卑しい人ですから、足の指でも筆を持つかもしれません。ですから右足も左足も捥いでしまって、まるきり達磨のようにしてやってください。あの人から創るという全ての手段を奪ってしまうのです。そうでなければ私は狂うことしかできないのです。そうして何もできなくなったあの人をようやく愛せるのは私だけになるのです。それでいいのです。私は堪えられるまで堪えてきたのです。どれだけ酷い目に遭おうとも、道化になろうとも、耐え凌いできたのです。それがもう、ついに今日こそ我慢がならないと言っているのです。


私がどれだけの気持ちであの人をこれまで愛してさしあげたかを、あの人はまるでご存知でないのです。いえ、むしろ全て知っているのです。それなのにそんなものは知らないフリをなさって、そればかりかその愛情すらも私からちぎりとるように奪い去ってしまうのです。それがどれだけ残酷なことか、お分かり頂けないでしょう。あの人は傲慢だ。知識があり、脳みそが豊かであり、だからこそこうして人の心をいたぶることすら容易にできてしまうのです。あなたなんぞにはお分かり頂けないでしょう!


あの人は自惚れ屋だ。なぜならその筆で全てを描き切れる気でいるのだから。人類の心と命を、世界の流れを、全て自分の意のままにできるとすらお思いなのですから、そうしてそれは何ひとつ間違ってはいないのですから、私はそのようにしてこの命と感情と言葉を得てこの世界に生きているのですから、それは当然のことなのです。


あの人は何でも自分ひとりではできやしないのです。私がこのように話をしなければ、あの人は世界に言葉を発することすらできないくせに、私がこうして目を見開かなければ、あの人は世界で何が起こっているのかも永久に知らないままでいるのです。それなのになんと傲慢なことか。私がいなければあの人はダメになってしまうのだから、どうか殺さないでやってください、あの人はあまりにも哀れだ、可哀想でならない。私がいなければあの人は生きていかれないのだ。あの人から創ることを奪ってはなりません、それがあの人の生きる術なのだから。いいえ、やはり殺してください。そうすることで楽になる人間がここに一人、確かにいるのだから殺してやってください。


自由と愛とを天秤にかけた今、選ぶべきはおそらく自由なのだ。なぜならたった今あの人がこの白紙にそう書き加えたからなのです。私はそう感じることで、今この瞬間、生きることを選ばされたのです、ああ、なんて酷い人だろう。この私めの心臓をひとたび捻り潰すくらい、なんとも余裕なことであるはずなのにあの人はそんなことはなさらないのです。どうせ死んでもまた生き返るのです。あの人の筆の前には奇跡すら、いとも簡単に引き起こされる。だけどそうなされないのは、理由は、そう、そうです、ただ一つ、私を嘲笑っているだけなのです。


あの人が高台と呼ぶこの世界は、そうだ、まるで大舞台の真ん中だ。私は大舞台にこうして道化のように立たされて白紙を広げたような単純な舞台の上で、かくも愚かにこうしてくだらないことを口から吐き出しているのだ。そうさせているのは間違いなくあの人なのだ。嗚呼、みえますか、あの客席の一番上に、ふんぞりかえるようにしているのがそうなのです。


あの人は、ああして私を嘲笑いながら、客席から、そう、それも一等良い客席から、その余すばかりの才能に満ち満ちた両腕を満足げに組んで、その唇の端をニタニタと吊り上がらせて、値踏みするようなあの卑しい目で、私がここで踊るのを、嘆くのを、愛されるのを、ああして見つめているだけなのです。


ああ、なんて卑しく美しい創造主だ。殺してやりたい、そうだ、殺してやってください。ご覧なさい、まるでこの世界の神だとでも言いたげなあの振る舞いを。この世界の主君たる粗暴な態度から、まるっきりあの人は成長もしなければ反省もしないでしょう。あの生き方を変える気などあの人には滅法ないのですから、殺してやってください。


いいえ、お金なんていりません。この舞台を観に来るのに払った時間と租銭などその手にすっかり閉じ込めてしまって、早く、一刻でも早く、あの人を殺してやってください、いいえ、やはりいただきましょう。そうでなければ私がこうして時間をかけて訴えを起こしているのが無駄になってしまうのだから、その銭を早く寄越せ!この舞台に投げつけるがいい!そうして、早く帰ってしまえ!消え失せろ!そうして私とあの人を、この舞台に、この世界に、たった二人きりにしてしまって、一刻も早くそうしてください。


あの人は私の全てなのですから、ええ、そうです、私だけがあの人をどうとでもできる力を持つのです。あの人にとって私は、大切な民衆であり、創造物であり、深く慈しむべき愛人であり、そしてあの人の命を売って銭を得ようとする卑しきユダなのですから、あの人が私を大切になさらない理由など、この世界には万にひとつも存在しないのですから!!






そうして君は口を閉じ舞台の上で

崩れるように座り込んで動かない

もはや光も当たらぬ広い舞台の

なんとも淋しく寒々しいことか

僕はこの両手を打ち鳴らし敬意を

舞台上の侘しい君に贈るとしよう


なんと 憐れな 訴えか

きみは まったく 素晴らしい


ははは 憐れだ 傑作だ

きみは 本当に 素晴らしい作品だ

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