忘却のハッタート
上葵
Prologue
━━目の前に広がるのは幾重にも重なったヒトだったモノ
鼻を突くのは濃厚な鉄の香り
耳に響くのは銃声や悲鳴、怒号
腕の中にいるのはたった今モノになってしまった父だったヒト
自分は今、地獄の中にいる。
それはヒトとヒトが作り出した地獄であり、自分以外にも呆然としてしまっているヒトは多数存在する。
自分と同郷であるヒト、そうでないヒト。それらの区別は着ている鎧ですぐに分かる。
そして、「あぁ、大切なヒトを失った衝撃はどこの国でも同じなんだな」なんてことをぼうっとした頭で考える。
そのまま腕を見る。抱えている父だったモノは動かなくなってからもう時間がたったのだろう。腕で感じることが出来る温もりが消え去り、今はもう冷たさと重さしか自分に伝えてくれるものは無い。
父の事を思い出してしまう。厳しくはあったが自分の事は愛してくれていた事は十二分に理解している。自分がなにか新しいことを出来るようになった時や父のために行動を起こした時、あるいは人のために行動を起こした時などは決まって暖かい笑みを浮かべて自分の事のように楽しそうだった。
父だったモノの顔はその時と寸分変わらず暖かい笑みだ。今までとの相違点はそれがもう動かない、という事だけ。
また涙が溢れてくる。何故、父は死ななければならなかったのかと考えてしまう。そして再び動けなくなる。
父が死んだのは足に受けた銃弾のせいか? ━━違う。
腕に受けた銃弾のせいか? ━━それも違う。
背後から来る敵の奇襲に気付かず無防備だった自分のせいか? ━━間違ってはいない。
父は自分が敵の奇襲によって死ぬことを良しとはしなかった。だから庇って代わりに銃弾を受けたのだ。父が撃たれた事を引き金にしてこの場所は血に染まった。結果、多くのヒトが死んでしまった。全ては自分の不注意のせいだろう。
しかし、父は銃弾を受けた後もまだヒトだった。なんとか堪えている様に見えた。
故に、父がモノになってしまった原因は他にある。
そう、父の胸。心臓の上に刺さっている短剣が原因である。
そして、その短剣は━━他でもない、自分が刺したものだった。
今にも死んでしまいそうな父が最期に自分に遺した言葉は、「その手で殺してくれ」という物だった。そんなことは出来ない、と否定しようとした。
でも、出来なかった。父の目は至って真剣であり、苦しみから逃れるためだけに言っているのではない事は容易に理解できた。
そんな事、理解したくはなかった。しかし理解してしまった自分は最期の父の願いをそのまま聞き入れ、その命を奪ってしまった。
自分が短剣を刺したことを確認すると父はそのまま笑みを浮かべ、モノになってしまった。
父がモノになった直後、自分は父が何故殺すよう頼んだのかを理解はした。しかし理解をしても悲しみはそんな事関係ないとばかりに自分を責め立てる。
━━いつまでもここでぼうっとしている訳にはいかない。
ここは戦場なのだ。このままでは自分はただの的である。
父に庇われ、父を殺し、父の思いを引き継いだのにも関わらずただの的として死んでしまっては父があまりにも報われなさすぎる。
自分を絶え間なく苛む悲しみを飲み込み、震える足で立ち上がる。父だったモノを地面に寝かせる。連れて帰ることはできない。戦場で死体を背負って運んでいく訳にはいかない。
「さよなら…」
それは父に向けた最後の言葉。訣別の合図。
最早その言葉は届かないと知っていても。それでも伝えたかった。
「ありがとう…」
味方が向かった方向へと歩みだす。父を置いていく、という気持ちが自分の足を鈍らせる。
しかしそれでも止まる事はできない。止まってはいけない。
父から離れるにつれ自分の足は早足になっていく。まるで父の死を作ってしまった自分から逃げ出すように。
━━ここの先に味方の陣があるはずだ。
ここに102隊から107隊まで揃っているはずだ。
そこで一度自分の気持ちを整理しよう、なんて考える。流石にこのままでは冷静に動けそうにない。それに、この陣には仲間たちがいる。戦争が始まってからずっと支えあってきた仲間達が。
草を搔き分け陣を目で探す。
自分達の故郷、アウトリカ王国の国旗が見えるはずだ。
しかし、目に映るのは鮮やかな緋。
天にまで上る破壊の跡。
襲撃された。そんな事は直ぐに理解できた。
それでも、足が止まらなかった。
父を失ったばかりだというのに仲間まで失うなんて耐えられない。
━━それに、あの陣には継承者が何人かいるはずだ。
この緋も継承者によって引き起こされたものかもしれない。
陣を囮とした作戦なのかもしれない。
陣に近付けば近くに潜んでいる味方達が自分を見つけ囮作戦の内容を教えてくれるかもしれない。
いや、きっとそうだ。味方も自分を見つけなければ声をかける事も出来ないだろう。
そのためには少し危険かもしれないが陣に近付かなければ。
そう考え陣にフラフラと近付いていく。
人は複数の選択肢が存在する時、自分の信じたい選択肢を信じる傾向にある。
父を失い冷静さを失っている今、余りにも現実的ではない選択肢を信じてしまっているなど、そんな事には気付けない。
この陣は攻めの要であり、例え作戦であっても破壊するメリットよりもデメリットの方が大きい。故に、自ら破壊する事など有り得ない。少し考えれば分かるそんな事に気付かないまま陣に近付いてしまう。
陣に近付いても声をかけてくる仲間は現れない。
それでも。
もう少し近付けば。
そうすれば仲間が見つけてくれるはずだ。
そんな事を考えながらフラフラと陣の前に辿り着く。
そして、目の当たりにする。
陣の中で燃えているのはヒトだったモノ。
それらのモノは何故か自分達の国の鎧を着けている。
信じる事が出来ない。
偶然巻き込まれてしまっただけの不運なモノだ。
そうやって自分に言い聞かせる。
もしかして中にまだ巻き込まれてしまった味方がいるかもしれない。
それは助けてあげなくては。
もしかしたら仲間も巻き込まれて困っているかもしれない。
それは絶対に助けなければ。
そんな取り留めもない考えで緋の中に入る。
熱が肌に襲い掛かる。
でも、中で巻き込まれているならもっと熱いはずだ。
我慢してでも救出しなければ━━。
炎を避けながらテントの中を見て回る。
出会うのはヒトだったモノ。
その全てが同じ鎧を着けている。
さほど陣が緋に染まってから時間が経っていないのだろう。
それぞれの顔が緋に照らされ、間違いなく自分の味方である事を認識させられてしまう。
そして、もう幾つ目だろうか。
テントを開け、中を確認する。
そこには男女五人分のモノ。
その顔もやはり緋に染まり、個人の判断が出来てしまう。
実感させられる。認識してしまう。否定が出来なくなる。
間違いなく、この五人分のモノは。
共に軍に入り。
共に日々を過ごし。
共に昨日まで笑顔で語り合っていて。
共に生きて国に戻ろうと誓い合った。
━━自分の、仲間達だった。
思い出してしまう。
あの苦しくも楽しかった日々を。
共に語らいあったあの時間を。
そして一人の前へフラフラと近付いていく。
思い描いていた。
この人と共に過ごす事を。
この人と支えあい、笑いあう将来を。
今は恥ずかしくて伝えられないこの気持ちを伝え、受け入れてもらう事を。
昨日まで笑いあっていた仲間達が、いつか想いを伝えようと思っていた相手が。
すでにヒトではなくモノになってしまっていることを自分は。
理解、してしまった。
瞬間、炎に耐えられなくなったテントが崩れ落ちる。
どんなに目の前のモノに頭が支配されていても。
どんなに胸が張り裂けそうであっても。
身体は危険を回避しようと勝手に動く。
後ろに跳び、間一髪で倒壊するテントから脱出した後は。
もう既にヒトとしての形もなくなってしまっているであろうモノがある場所を眺める事しか、自分にはできなかった。
気が付いたら陣の出口に着いていた。
どうやってここまで来たのか。そんな記憶は持ち得ない。
父を殺し、仲間を求めてここに辿り着き。
それなのに仲間が。想っていたヒトが。
目の前で崩れてしまった自分の感情はもう壊れてしまっていた。
悲しみと、寂しさと、喪失感と。
様々な感情が胸の中をグルグルと駆け巡っているのに涙は出ない。
この場所で留まって、蹲って、何も考えたくはない。
それでも身体は緋に染まるこの場所を危険だと断定する。
勝手に足が動き、陣の出口に来てしまっていた。
「おい!まだ生き残りがいるぞ!」
聞きなれない声がする。
人が集まる気配を感じる。
目の前には戦場で二番目に見慣れた鎧で身を包むヒトが沢山いた。
「継承者が誰か分からない以上、逃がす訳にはいかん。撃って構わん」
冷静な声で命令する声が聞こえる。
こちらに銃を向けているヒトが沢山いる。
死んでもいいか、なんて事を一瞬考えた。
こんな辛い戦争なら、もうこれ以上経験したくない、と。
それでも浮かぶのは仲間達の笑顔。
もう一度会いたい、と思ってしまった。
次に浮かぶのは想っていたヒトの顔。
共に生きたい、と思ってしまった。
最後に浮かぶのは父の顔。
父の死を無駄にしてはいけない、と思ってしまった。
自分は決意する。
もう一度全てをやり直す事を。
自分は知っている。
その力を持っていることを。
そして呟く。
「天使よ、鷲よ。牛よ、獅子よ。
我を囲み、円環と為れ。」
「何か言い始めたぞ!急げ!」
「其の中心で我は願う。
円環に我が混ざる事を。」
「撃て━━!」
「嗚呼、神よ。
我を円環と同化させ給え。
第ⅩⅩⅠ魔法<━━>」
銃声が木霊する。
しかし、その凶弾が獲物を捕らえる事は無かった。
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