02 お~い竜馬! 大政奉還は?

 竜馬の口車で、その日の宇宙堂の昼食は、塾生全員で饂飩うどんを食べることになった。

 豊玉宗匠の饂飩うどんの量と、中村半次郎が塾生全員分と誤解した結果である。


「……まったく」


 歎息しながらも、赤松小三郎は塾生らと竜馬の饂飩を盛った。


「生き返るきに」


 満足げに麺を啜る隣の竜馬に、赤松は聞いた。


「そもそも匿ってくれとは、何からだい? 豊玉宗匠、君のことに気づいていたみたいだけど、何もしなかったし」


 竜馬は麺を吹き出しそうになり、こらえてから、口を開いた。


「いや、何でもないきに」


「何でもなかったら隠れなくとも……」


「あっ! そうじゃ! さっき、あし、夢を見たきに!」


 竜馬は「あ~かいきつねと緑のたぬき」の寝言のことを持ち出した。赤松としては誤魔化されたた感があるが、それはそれで気になったので、話に乗った。


「じゃ、まずそのリドルから聞こうか。一体何が?」


あしによく似た……というか、格好をした男がって、奇妙な話なんじゃが、器の蓋を開けて、湯を注いで一寸ちょっと待つと、器の中に饂飩が出来とるんじゃき」


「何だそりゃ、手妻手品かい?」


「いンや」


 竜馬は肩を竦め、とにかく、夢の中のに扮した男がその饂飩を食した後、例の「あ~かいきつねと緑のたぬき」を叫んだと言う。


「何ぞ……宣伝コマーシャルのようじゃき」


「ふむ、君の海援隊だっけ? その船が沈められた時のアレみたいなのかい?」


 かつて海援隊の船が、紀州藩の船と衝突して沈められた時、竜馬は賠償を求める活動の一環として、船の仇は金を取らずに国を取るという宣伝歌コマーシャルを流行らせたことがある。


「ほうじゃき、手妻じゃない思う」


「ふうん」


 真面目な赤松は竜馬のを考察し、湯を入れると饂飩が出来る器の話、これは保存食レーションではないかという結論に達した。


「れえしょん?」


「瓶詰とか缶詰とかのことだ」


「ああ」


 そういえば宇宙堂の蔵にも置いてあったなと竜馬は思い出した。

 そんな竜馬の背に声がかかる。


「お~い竜馬」


「お、中岡か」


「中岡か、じゃないがよ、竜馬」


 陸援隊の長・中岡慎太郎が、宇宙堂の玄関まで来ていた。


「後藤さんが心配しとるき、はよ帰っていや」


 後藤とは、土佐藩参政の後藤象二郎のことであり、当時、竜馬は後藤と組んで、ある構想を推進していた。

 それは。


「ほいじゃけ、その後藤さんが言う、大政奉還を通す妙案なんぞ、思いつかんぜよ」


「大政奉還?」


 汁を啜っていた赤松が反応する。

 竜馬は揚げをちゅうちゅうと吸ったあとに答えた。


「ほうじゃ、赤松先生。勝先生の言っとった、大政奉還、これが今かなえば、内乱が防げるっちゅう策じゃ」


「ほう」


 赤松自身、「幕薩一和」を唱え、幕府と薩摩の融和を図り、幕府には議会制を示唆した建白書を提出していた。

 そして大政奉還という構想は、赤松と竜馬の師である勝海舟が唱えたことがあり(勝自身の独創ではないが)、赤松も竜馬も、薩摩や長州といった雄藩と幕府の緊張を解消し、この国をより良くするために有効な手立てとして、実現に向けて行動していた。


「それじゃ大樹しょうぐんに会っていてみては?」


「いンや」


 竜馬は麺を啜りながら、器用に答えた。

 そして啜り終えると言った。


「ご多忙とのことぜよ。会いたいのは山々だが、と」


 せめて食事中にこちらが話すだけでもと食い下がったが、その食事のいとますらないと言われたという。

 そして竜馬は無言で器を傾け、つゆを飲み始めた。

 さすがに気の毒に思った赤松が慰めようとした時。

 竜馬は空になった器を取り落とした。


「……赤いきつねじゃ」


「器を落とすなよ……は? 君の寝言が何だ?」


大樹しょうぐんは飯の暇があれば会う、言うたぜよ」


「すりゃ、先刻さっき聞いた」


「それじゃ! それぜよ!」


一寸ちょっといい加減に……」


 その時、中岡が痺れを切らして宇宙堂に上がり込んできたが、竜馬はその中岡の肩をつかんで、小躍りした。


「後藤にもこれで言い訳が立つ! 中岡、戻って伝えといてくれ! 大樹しょうぐんに会ってくと!」


「……はあ?」


 果ては竜馬が歌い出し、宇宙堂はてんやわんやの大騒ぎとなった。

 その宇宙堂を、物陰からこっそりと窺う、目つきの悪い男のことなど、気づかぬくらいに。

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