竜馬の見た夢 ~たとえばこんな、大政奉還の裏話~

四谷軒

01 竜馬がゆく、宇宙堂

あ~かいきつねと、緑のたぬき!」


「うわっ、何だ何だ」


 慶応三年。

 京。

 私塾・宇宙堂にて。

 その宇宙堂の主人である赤松小三郎は、同門の坂本竜馬の「かくまってくれ」の一言に、黙って蔵へと向かわせ、寝息が聞こえてきたところ、さて昼餉ひるげでも作るかと立ち上がったところだった。


 赤松は信州上田藩の人間であるが、長崎にて勝海舟の下で学び、やがて江戸に出て英国式兵学を極め、京にてその私塾・宇宙堂を開くに至った俊才である。

 宇宙堂は薩摩や諸藩だけでなく、新撰組の隊士も通ってくるほどの活況を見せたが、赤松の人柄ゆえか、目立った争いは起きず、この時期の京にしては珍しく、中立地帯のような雰囲気を醸し出していた。

 竜馬はそれに目をつけ、同門のよしみと宇宙堂へ駆けこんで来たらしい。


 赤松は蔵の方へと耳を傾けるが、もう先ほどの変な声は聞こえない。


「気のせいか」


 赤松が改めて台所に向かおうとすると、竜馬がやって来た。


「おい、隠れるんじゃないのか」


 台所は火を使うから、窓や戸が開いている。

 蓬髪の独特の風貌の竜馬は目立つ。


「いや、あし、変なことを口走らなかったき?」


「……ああ、言った」


 赤松はいいから奥へ行けと竜馬の背を押していると、声がかかった。


「宇宙堂さん、いるかい?」


「あっ、豊玉宗匠!」


 豊玉宗匠と呼ばれた、だんだら羽織の男は、のそりと台所へ入ってきて、手に提げた包みを押し付けて来た。


「この前は、一緒に畳鰯たたみいわしを選んでくれて、ありがとなっ。これ、礼の郷里くに饂飩うどん


 乾麺の包みを受け取った赤松は「あ、どうも」とその背に竜馬を隠しながら答えた。

 一方、豊玉宗匠は「用はそれだけだ」と照れくさそうにそそくさと出て行った。

 竜馬が言う。


「何ね、アイツ?」


「句友」


 赤松は俳句が趣味ではなかったが、ある雨の日、豊玉宗匠が宇宙堂の軒先で雨宿りして苦吟しているのを見て、つい口出ししてしまったのがきっかけだった。


「……おかげで、小指れこに贈る畳鰯まで選ばされる羽目になった」


 小指とは、愛人の意である。

 竜馬は笑った。


「先生の人柄じゃき」


 同門であるが、竜馬は宇宙堂主人である赤松の立場を尊重して、「先生」と呼んだ。

 赤松は、それこそ先ほどの豊玉宗匠のように照れくさそうにして、言った。


「それじゃせっかくだから、これで饂飩作るか」


がいいきに」


 けつねとは、きつね饂飩のことである。京では、そういう言い方をした。


「押しかけたわりには、無遠慮だなぁ」


 素饂飩すうどんにしろ素饂飩すうどんに、と愚痴る赤松に、今度は塾生の中村半次郎が声をかけて来た。


「先生、午後の授業は……あ、饂飩ですか」


「うむ。こちらの方がね」


「あ、揚げ買ってきてくれんかえ?」


「揚げ……?」


 おい、と赤松が竜馬を小突くが、竜馬は舌を出して、悪戯っぽく笑う。


「おまんも食わんか。先生が作ってくれるそうじゃ」


「買って来ます」


 満更でもない半次郎は、赤松が止める間もなく駆け出した。

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