車中女子
岩田へいきち
第1話 ピンクの中古車
「あのさあ、もう少し速く走れないの? 私、抜かされるの、嫌なんだよね」
車の後部座席から聞こえてきた突然の女性の声に稔は、ガチガチに肩を固めてハンドルを握りしめていたにも関わらず左背後を半分振り向いた。
そこにはショートカットでやや金髪、色白でとても可愛い女性が前に乗り出してきそうな姿勢で稔の方を見ていた。
――だ、誰だ? この子は。どっから乗って来たんだ? でも可愛い子だな。
稔は、彼女いない歴22年のいわゆる草食系男子である。容姿共に他の男子と特に劣ったところはないが女子の前に出ると喋れない。特に気になる女性の前では声も震えて、上手く話せない。面倒くさいから女子に話しかけるのをやめていたら22歳までついに彼女が出来なかったのだ。
今日も男友だちの光輝と二人で稔が買う車を探しに来た帰りだ。しかし、光輝には途中で彼女の唯から電話がかかり、そっちに行ってしまったので、稔は、ひとり中古車屋さんに残されたのだった。帰りの足もなくなり困った稔だったが、このたぶんミニスターだと思える薄ピンク色の車に心を惹かれ、150万円という大金なのに、懐と相談することもなく、自分でも不思議なくらい自然に契約を済ませ、購入を決めてしまった。そして思い切って自分ひとりで慣れない運転をして自分の家に二車線の左側車線をトロトロと緊張しながら向かっていたのである。
「だ、だ、だ、誰ですか?」
稔は相変わらず、肩を固めて前を再び見ながら心で思った言葉より更にぎこちなく声を出した。
「私? 彩。なんで?」
稔は、可愛い顔から想像したのより低い声だなと思った。
「だって、なんでって、どこから乗ってきたんですか?」
「最初から乗ってるよ。あんたが後から乗って来たんじゃない」
稔の問いにひるむことなく、その彩と名乗る女性は、自分の方が先に乗ってると言い放った。
「でも、この車ぼくが150万も出して買ったんですよ」
「150万円もしたの? 相変わらず値段下がらないなあ。この車、人気あるもんね。 もう中古車になってだいぶなるのにね」
またこの女性は、悪びれる様子もなくまるでずっと前からこの車を知ってるかのように言った。
「だいぶなるって、いつからこの車知ってるんですか? まさかこの車に住んでるんじゃないでしょうね?」
「住んでるわよ。ずっと前は運転もしてた」
またまた彩は、稔がまさかと思うことをやっていると開き直った。
「ええっ、住んでるんですか? どうやって? 中古車屋さんに置いてある間もずっと?」
稔は運転も気にしつつ、大きな声で尋ねた。
「うん、まあね。住んでる」
「か、鍵も持ってるんですか? よく店の人に見つかりませんでしたね。他に住むところないんですか?」
そう言えばいつのまにか助手席まで来ているその子のジーンズは膝の上で大きく破れていた。稔はこの彩と名乗る女性は一見可愛いけど、実は浮浪者で、こっそり寝る時だけこの車を利用しているのかとも思って尋ねた。
「鍵は持ってないけど他に住む所もない。けっこうここ気に入ってる」
「気に入ってるって、まだ住むんですか? 」
稔は、そう尋ねながらも住み続けたいと言ってくれないかなあと心の中では思っていた。
「住む。 ダメなの?」
―― やったあ、住むんだ。 こんなに可愛い子がぼくの車に住むんだ。なんだかまだよく分らないけど嬉しい。
「いいえ、ダメじゃありません。むしろ住んで下さい。そして良かったらぼくとドライブしてくだい。 ぼくは女性とドライブしたことないんです」
「そうなんだ。カッコいいのにね。彼女いないんだ。大丈夫、私が付き合ってあげる」
――やったあ。この車を欲しいと思った瞬間からなんかいい事ありそうな、引き寄せられてる感覚があったがこれか。彼女までいっぺんに出来ちゃったぞ。でもこの子とは、なんで喋れるんだろう? くそう、光輝にも彼女見せて自慢したいなあ。あいつどこまで行ったんだろう。
「あのさあ、喉が渇いたんだけど、コンビニでお水とかアイスクリームとか買ってきてくんない? 」
稔が勝手に自分の彼女が出来たと心の中で喜んでいたら彩も早速、まるで彼女のように稔に要求してきた。
「わ、分かりました。コンビニがあったら寄りましよう。水でいいんですか?」
「水でいい。本当はビールの方がいいんだけど車だしね。今のところ水でいいわ。アイスはチョコバニラミックスで」
「は、はい」
稔は返事をするとまた前を見据えて肩を固めコンビニも捜しながらトロトロと運転した。
間もなく、遠くの方にコンビニが見えて来た。
――しめた。あそこならぼくでも入れそうだぞ。
稔は50メートル手前からウインカーをつけて十分にブレーキを踏み、内輪巻き込みを気にしながらコンビニの駐車場に入り、空いていた右端の駐車スペースにゆっくり頭から突っ込んだ。
――やったぞ、バッチリ入ったぞ。まだ、ぼくが運転下手くそなことバレてないぞ。あれ、隣の車は、光輝のプリサス? 助手席に乗ってるのは、彼女? 勝ってる。 ぼくが勝ってるぞ。光輝は店の中にいるに違いない。彩を連れてってびっくりさせてやろう。
稔は、そう思いながら運転席を降り、急いで助手席側に回り。光輝の車にドアが当たらないように開けようとした。しかしロックされてるのか、開かず、代わりに彩が窓を下して「私は降りれないから買って来て」と言った。
――何、光輝に自慢できないじゃないか。
「そ、そうなんですね。 分かりました。買ってきます」
稔は、そう言うと光輝に自慢するのを諦めて店へと入っていった。
「よっ、あれ誰だ? どこで見つけて来たんだよ。俺にも紹介してくれよ」
――見てたのか。
アイスクリームを待つ稔に後ろから肩を叩いて、光輝が声をかけてた。稔は心の中で自慢して見せなくて良かったと思った。
「いや、中古車屋さんでちょっと一緒になっただけ。アイス食べたいと言うから買いにきた」
稔は、最初の自慢したいという気持ちとは裏腹にそう言ってしまった。
「あの車も良いよね。センスあるよね。お前乗せてもらってるのか? 良いなあ。俺も残っていれば良かったなあ」
――良く言うよ。彼女から電話あるなりぼくの都合は関係なしにほいほい行ってしまったくせに。
稔は、つくづく光輝に自慢しなくて良かったと思った。
「じや、ぼく行くから」
稔はアイスクリームをひとつ受け取ると水のペットボトルが入った袋をもう片方に持ち、店の出口へと向かった。
「じゃな、紹介しろよ。 絶対な」
光輝の言葉が稔の背中を叩いたが、稔は振り向くことなくピンクの車へと急いで戻った。
「私の分だけ買って来たの? あんたは?」
「えっ、考えてなかったです」
稔は本当に何も自分の分のことは思い浮かばなかった。
「あんなにガチガチに緊張して運転していたくせに喉カラカラなんじゃない?」
――しまった。 下手くそなのがバレてたか。
「た、確かに喉カラカラです。気づいてませんでした」
「しようがないわね。私のお水とアイスクリームも半分ずつあげるわ」
――間接キッス、マジか。自分の分、忘れて良かったぁ。
稔は、水のキャップを開け、水を飲み始め、彩は、アイスクリームを食べ始めた。
そのうち視線を感じ、外を見ると隣の車が既に動き出していて、身を乗り出して、彩の方を見ている光輝のシルエットが見えた。良くは分からなかったが険悪な感じになりつつある光輝の車内の雰囲気も伝わってきた。
「ああ、友だちの車です。なんか彼女と揉めてるみたいですね。中古車屋さんまで一緒だったんですけど、彼女に呼ばれて先に帰っちゃったんです」
「あなたを置いて? ひどいね」
稔たちの車の横から出発した車を目で追いかけていた彩に稔が光輝たちについて今日のいきさつを説明した。
「まあ、いつものことだからいいんですけど。ああ、彩さんのことを紹介してくれって言ってましたけど、笑ってごまかしてきました。あいつには唯という彼女がいるし」
「ああ、助手席の彼女ね。私の顔を見て変な顔をしていたわ」
「光輝が彩さんの事ばかりみていたからじゃないですか? 絶対彩さんの方が勝ってますもん」
「どおかなあ。まあ、ありがとう。 そろそろ行こう。アイス半分あげる。お水をちょうだい」
――おお、完全間接キッス。やっぱり恋人同士かぁ。
稔は、アイスクリームを噛み締めるともなめるとも言い難い、微妙なくわえ方で食べ尽くすと車をバックさせながら両手をフルに使って方向転換をし、駐車場の出口へと向かった。そしてウインカーを元向かっていた稔の家がある山側の方へと点滅させた。
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