第4話

「琴……えっ!? 琴音っ!?!」

 勢いよくベッドから身体を起こし、目を擦る。

 目の前には、ずっと会いたいと思っていた彼女が、何故か怒った表情かおで仁王立ちしていた。

〈奏翔、声が大きい〉

「え、いやっ、だって!」

〈全然、ギター弾いてくれなくなっちゃって、わたし怒ってるんだからねっ〉

 ツンと彼女は、横を向く。出会った頃より少し大人びた姿をしているが、中身は昔のままのようだ。そんな彼女をまじまじと見つめてしまう。

 本当に、あの琴音なのだろうか。

 疑問が顔に出ていたのか、ちらりとこちらを見た彼女が尋ねた。

歌を作るって約束は?〉

 それは、僕たち二人しか知らないはずの約束。

 しかもあの不思議な言い方をするということは、正真正銘、僕がずっと会いたいと思っていた琴音だ。

「ごめん。もうギター弾いてなくて」

〈知ってる。どうして、歌手になること諦めたの?〉

「それは……」

〈あの時、一瞬でも歌手になるのを辞めようかなって思ったでしょ。ギターを弾いてる時に〉

「え?」

 何故、彼女がを知っているのだろう。

 確かに僕はあの路上ライブの日、歌手になるかサラリーマンになるか迷っていて、辞める方に気持ちが傾いていた。

 だが、あの日彼女らしき姿を見かけた覚えもないし、ライブでそのことを話してもいない。何より彼女を見かけていたら、きっと僕は声をかけているはずだ。

「路上ライブ、見てたの?」

〈見てたというか……、わたしはずっと奏翔の傍にいたよ〉

「え、ど、どういうこと? 僕は琴音の姿を……」

 琴音は僕の言葉を無視して、クローゼットの方へ歩み寄る。そして、開けるように目で訴えてきた。

「琴音」

〈ここ、開けて。大事に仕舞ってあるんでしょ?〉

 彼女の言わんとすることが分かり、渋々立ち上がってクローゼットを開ける。そして、今まで見ないようにしていたギターに二年ぶりに目を向けた。

〈ご機嫌斜め〉

 琴音が小さく呟く。僕は、ギターの方へ吸い寄せられるように手を伸ばした。手にする前から、何となく彼女が言っている意味を理解していた。だから、それを手にした瞬間、違和感が確信に変わった。

……」

〈そりゃあ、そうよ。二年も放置するんだもん〉

「ごめん」

 僕はギターを握りしめ、謝った。弦に触れようとするが、指が動かない。

 どうやらもう、ギターを弾けないようだ。

 すると、彼女が耳元でため息を漏らす声がした。

〈奏翔があの時、歌手になることを一瞬でも諦めようとしたことに、わたしは腹が立ったの〉

「え?」

〈だから、わたし、わざと音を変えたの〉

 言っている意味が分からなかった。

 まるで、自分がギターの音をかのように話す彼女。

 頭が追い付かない。

「ど、どういうこと?」

〈だーかーらっ。わたしは、あなたのギターなのっ〉

「え? え、ギター?? 琴音が?」

〈そう〉

「せ、精霊的な??」

〈んー、まぁそんな感じ〉

「えええーー!!!?」

〈だから、奏翔は声が大きいってば〉

 慌てて、自分の口元を手で覆う。

 信じられない。この世に人ならざる者がいたなんて。

 おとぎ話や昔話の世界だけではないのか。

 色々な思いが頭を駆け巡る。だが、妙に納得してしまった。ずっと見てきたかのような話しぶりやあの約束した時の言い方も、彼女がギターの精霊なら説明がつく。

 恐らく本当のことなのだろう。弾いている人の思いが弦を通して、楽器に伝わるのだとどこかで聞いたことがある。きっと、僕の迷いが彼女に、弦に伝わったから、あの日の音がいつもと違って聞こえたのだ。

「で、でもどうして今まで姿を現さなかったんだ?」

〈奏翔が夢を抱いて、音楽を弾くようになったから。もうわたしの出る幕はないと思ったからよ〉

「じゃあ、ギターをやめてからは?」

〈それは……、単にムカついたから〉

 彼女は拗ねた様子だった。つい、吹き出してしまう。

「ぷっ……、それが理由で?」

〈何よ、立派な理由でしょう? 奏翔が悪いんだからねっ。ギターを放り出すから〉

「別に放り出したわけじゃ……」

〈ともかくっ! また、ギター弾いてよ。音楽を嫌いになったわけじゃないんでしょ?〉

 さっきまで楽しい気持ちで話していたが、彼女の言葉に僕はつい俯いてしまう。

 そっと手にしていたギターを撫でる。手に馴染んだ感触に懐かしさを覚える。ふつふつとギターを楽しく弾いていた頃の気持ちが沸き起こってきた。

 やっぱり、僕は音楽を捨てきれないのかもしれない。

〈ねぇ、奏翔。あの時の約束を果たしてよ。ギターが好きで、音楽が好きで好きでたまらなかった奏翔に戻って。いつも語りかけてくれてたじゃない。わたし、ちゃんと全部聞いてたよ〉

 そうだ。僕は琴音に会えなくなってから、毎日のようにギターに話しかけていた。初めて路上ライブをやって、人が思ったより集まって嬉しかったこと。緊張して、音を間違えて散々なライブになってしまったことなど。何でも話していたのだ。琴音が傍で聞いていてくれた時のように。

「僕……」

 彼女に一番伝えたかったことを思い出し、言葉を絞り出そうとしたときだった。

 ノックの音がし、部屋の扉が開く。

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