第5話 ムダなく使い切る私のノート。
「祥子は植物園の定位置でMacBook Airを叩いていた。ふたりの紳士に想いを馳せて。」
祥子は再び大阪に舞い戻った。大切な人を亡くしたから。コウも四十路になった。ふたりの子供にも恵まれ、涼の母親ともうまく付き合って育てあげた。十八と二十の立派な親だ。
大吾はペンちゃんより一日だけ長く生きられたらそれでいい。と言っていた。ヤマトと祥子と一緒にペンちゃんを見送った。たくさん泣いていたけれど、また前向きになった大吾の姿に安堵した。目はあまり良くはならなかったが他の合併症も長年出なかった。だけれどこの五〜六年で永く頑張った大吾の消化器は悲鳴を上げていたようだ。幸い末端の組織に影響なく、四肢のある状態で旅立った。長崎の丘にあるフィリッポ教会で式を執り行い大手葬儀会社の持つ樹木の下に眠った。もちろん祥子も同じ樹のしたに眠るつもりだ。
きっと季節が変わるたび祥子は長崎へ行くだろうと思いながら大阪に舞い戻ってきた。かつて大吾が好きだったサッカースタジアムのある公園の近くに。今はサッカー人口が減ってしまいスタジアムだけ移転してしまった。他の施設はリニューアルすることもなくまだまだ居続ける。ただ時間が飛んでスタジアム周辺は、自動車教習所ができた。空飛ぶ自動車の免許場。
なんの変哲もなく植物園や噴水、ため池はそのノスタルジーを醸し出す。かつて祥子が文章に煮詰まった時に逃げ込んだベンチ。今や特等席だ。
木々が少しずつ緑色を薄め、黄色や赤のコントラストを魅せてくる。ようやく秋がきたらしい、肌寒くなってきた。時間がある時やアイデアが浮かぶときにはこうして大吾の残したMacBook Airを携えやってくる。当時はなんでもできてコンパクトだったこのノートも今や化石同然に茶化される。
しかしこのノート、不思議と指が動く。もう創作のようなことはしていないのだが、日記、雑記と言った、少し思う事があったらこうして自然の中でノートを叩いている。初老の楽しみの一つ。「利」は長崎の大学を卒業し、広告の会社でコピーライティングの仕事についた。父親と母親のコトバ遊びの中で育ったのだろう。美しいものをどう父親に形容するか、A Iや広辞苑をたよりに日本語を突き詰めてきた。また大吾から見れるときに見ておいでと一年ほどイギリスへ留学もした。
微妙なワード、センテンスを吸収して帰ってきた「利」は大吾に新しい異国の風を運んで来た。大吾の最後には、彼女と揃ってふたりのもとへやってきた。瞳の綺麗な女性で「利」が大吾に説明するときは、本当に惚れ込んでいるのだなと祥子を嫉妬させた。
ベンチを占有し祥子はカバンからノートの形をした茶けた冊子を出す。「3note」かつてこのノートで書き上げた処女作だった。なんて乱暴な文章達だろう。やっぱりいつもいつも恥ずかしく思う。けれど、この荒々しさがなかったら、きっとこの人生にはたどり着けていなかっただろうとも思う。彼らとの出会いのこの冊子、羞恥の若き思い出たち。そう、小説とうたっていた文章達は稚拙なコトバだらけのただの記録だった。けれども祥子は読む、読んで読んで。キラキラしていた涼や大吾たちとの出会った季節を読み漁る。
今、目の前には小学生だろうか、遠足でガヤガヤと自由行動を楽しんでいる。彼らのエネルギーのようだ。この照り光った輝きを受けたひまわり達みたいな内容は、このA5用紙を束ねた秋に向けて枯れてゆく黄金色の世界とは真反対の神々しい光だった。記録でもいい、あの時のヒントがこの文章、コトバに散りばめられていた。必死に生きたあの頃が巡ってくる。そう。必死だったな。
思い出す、プロポーズされる前に長崎に紅葉を見に行こうとした矢先のこと。
「やった。」コウの元に楽天ポイントで注文したアイフォンが届いた。コウはアプリの引き継ぎに胸おどらせながらも引き継げなかったデータたちに悲しみとさよならを奥にしまった。
「パパ?コウです。うん、元気。」今まで会えないだろうと思っていたパパ。
ラインをママから伝え聞き、すこしならと通話の許可をもらった。パパは話しやすくて、コウのことよくわかっている。ついつい好きな配信者の話とかゲームの話とか、今までココロに鍵かけた鎖が解けていくように話した。とても楽しかった。
一方、ママはなんかイライラしているみたい、まぁいいや、無視。パパに会ってみたいな。また連絡しよう、ママがめんどくさいからとりあえず通話は切った。そして祥子から弘樹の連絡を取り上げる旨の発言をくらった。
また、祥子のアイフォンも鳴った。父親からだ。
「わし、どうなっとんの。ここ病院みたいやけど、みんな帰って、どうしたらいい。」
謎の電話だった。
詳細をスタッフに聞くとどうやら発熱からの入院みたいだった。そして時節柄、PCR検査を終えるまでは陰圧ルームでの治療と検査が必要だった。防護着のスタッフとしか関わっていないらしい。混乱しているみたいだ。
とにかく落ち着くよう話す、携帯は手の届かないところにとスタッフに伝えた。がんは進行をやめず痛みが増したと言う。それに伴って医療用麻薬の服用量も増した。それによる副作用のせん妄なのか、父親は威厳のいの字もなくオロオロしていた。
祥子は押し入れにあるアルバムから幼い家族写真を引っ張り出して束ねた。きっとどんどん忘れゆくであろう父親に少しでも記憶してもらいたくて。明日、差し入れよう。
アルバムから剥がす写真たちには、輝いていた家族像があった。そしてそこに一葉の写真。かつて小学生でこの世を去った従兄弟とのもの。みんな、笑って写っていた。
「生きていたら…」なんて野暮だ。
人には寿命があるのだ。彼女が生まれてきた理由、逝ってしまった理由を今世の私たちがどう受け止めるかしか真理はない。そして父親もその道を辿る。その道を花道にしてあげたいな。
次の日、祥子は交差点で泣き崩れそうだった。もう父親との日もいくばくかな…アイフォンから流れる竹内まりやの「人生の扉」を聴き流す事もかなわず、人の人生の儚さに囚われていた。足を前に進めなきゃ、とにかく、前に。涙をかくせないで歩くことに集中した。幸いPCR検査は、結果陰性とのことで父親にかろうじて会うことができた。涙が乾いたあとに。
さて長女でしょうか、次女の祥子でしょうか。簡単なクイズ。父親は迷いながらも、祥子と答えた。まだ生ききれる、大丈夫。安堵した。幸いその入院は症状が緩和し退院することができた。そのかわり治療という文字が消える、ターミナル期いわゆる緩和ケアのスタートとなった。
そんな気持ちがモヤモヤしているさなか、コウの携帯依存に困ってきた。どこまで許せばいいものか。ひらめいたのはかつて祥子を苦しめた弘樹であった、しかし、頼った末にまた苦しめられる。コウはだんだんと弘樹に似てきた。遺伝てそんなに深いものなのか、環境を工夫したけれど難しいものだった。
中学校に上がってからのコウは絵画にこだわったり、いわゆる音ゲーというゲームにハマったり。祥子にはわからない世界に浸かりはじめた。そんなコウを一歩どころか百歩はなれて呆れてみていた。
彼女は言う、じいちゃんには世話になった記憶がない、配信者が優先だ。と。コウが二、三才の時、祥子の願いで遠い保育園まで週三回送迎してくれていた。記憶とは。人それぞれ、きっとコウにはこの時の記憶は不要むしろ不適切であり、忘れたかった過去なのだろうか。
弘樹と繋がったコウは嬉しそうだった。ケタケタと話す声色が、オトコと話す祥子のそれと似ていた。大変な時もひとりで育て上げてきたコウをあっさり取られたような疎外感のような孤独を味わった。弘樹のそのズルさを許せなかった。
冷たいけれどコウにはやっぱり約束が必要だと告げた。
コウの目にはじわじわ泪が溜まる。
「それやったら最初からパパないにしてよ」痛々しい叫びが祥子の心にささった。
そんな思いをさせて私だけ長崎には行けない。紅葉がりなんていう心のきれいな人がする行為、今は無理。そう大吾に伝えた。
「うん、祥子ちゃんと家族が優先だから大丈夫だよ、また俺が大阪行くから。」
大吾は常に優しかった。
あくる日事件が起きた。
一七時〇四分アイフォンが時をさした時、コウが帰ってきた。二時間余り徘徊した後の結果。イラストの報酬を手にするのに便利だからとキャッシュカードを作る事を提示してからのこと。コウが銀行に向かう前、祥子は一七時には帰りなさいよと伝えた後のことだった。〇四分の遅刻。どこで何をするとも報告ないままの徘徊。きっと外で携帯で出来ることを楽しんでいたのだろう。と勝手に巡らした。
荒ぶる神、スサノオに憑かれたかの如く。祥子はコウの頬をはたいた。あし技を掛け、押したおし、腹部を足でロックした。この家のボスは祥子だと言わんばかりに強さをコウに見せつけた。この家には規律がない。ふわふわとした空間にケジメをつけるため。というのは言い訳なのか、祥子は疲弊していた、ただそれだけ。
一言、一一〇番しなとコウに言い放った。
「一七時五六分ゲンタイね。もうあなたは今からは自由ないです。」
この季節のことだった。イチョウがイチョウらしく葉を黄金に染めるこの季節。いつもほろ苦く思い出すのだ。今となってはうすぼやけた黄金色。
祥子は事件が起きるまで永遠にゴールドを好きになれなかった。嫌味なイヤラシイ色、そんな風に思っていた。黄金、オリンピックでもこの色を手にする者は限られる。皆がみな手にできるわけでなくうらやましい存在。
そう、うらやましいもの、欲しくて仕方のないもの、それを欲しいと言えない自分が嫌味でイヤラシかったのだ。
祥子は抑制されるとき、自分の成長を感じる。それだけ自分と向き合って対話して、反省すべきは反省した。何があろうと愛ムスメ手をあげてはいけない。平和的に話し合えなかった親子。という事実を受け止める。ただなにがどうしてこんな事になったか、分析に分析を重ねて、毎回、予防線を張った。
この後はこう言った事件は、大吾のおかげでなんとか起きず、静かに暮らせる今に至っている。
抑圧された祥子。まるでガラシャ夫人じゃないかと思った。かつて謀反者の娘として夫より命じられ幽閉されたガラシャ夫人、細川珠子、戦国期のキリシタン。この時、祥子の精神を支えたような錯覚があった。不安と恐れが伴う閉塞空間をやり過ごし、必ず日が昇ることを信じた。
いつか見たガラシャ夫人が合掌したステンドグラスの光を、心の目で感じる努力をした。必ず朝を迎えられる、と信じて。日が昇らないかもしれない動物的な不安。きっと日蝕や月蝕に会う野生のケモノたちのざわついた勘と似ているだろう。そのステンドグラスの中に黄金色、ゴールドの輝きがあった。
祥子は何もかも赦そう、それこそが愛であり慈悲なのだと。ゴールドな女に祥子はなった。
大吾は祥子を全身全霊でフォローした、涼もコウをリモートでフォローしてくれた。かけがえのないオトコたちだ。本当に感謝でしかない。
枯れゆく葉の色と斜陽の刺す影、あの時の感情がリンクした。
目線を上げると、秋の澄んだ青空が広がっている。夏の雲は過ぎ去り、天井を高くした。教会で観る天井のような、開放された宙、薄雲は天井はここだよと言わんばかりに広がっている。宙は精神病院から児童相談所を繋ぐ。宙は大阪のちっぽけな町と長崎の河川沿いを繋ぐ。そして今世の祥子と愛する夫の居場所を繋ぐのだ。
年末に「利」が彼女を連れてやってきた。まだお互い仕事が楽しく結婚はしないらしい。今や人口も移民を受け入れ安定している。目くじら立てて子供を欲する風潮も恥ずかしい時代になった。かつて愛した長崎の地でその彼女と共有財産として家を買ったとの事後相談を携えて。ありがたいことに祥子も一緒にどうだろうかと聞いてくれた。
祥子はノートたちに問いかける。「利」達と過ごすのが良いのか、この地で余生を過ごすのがいいのか。結論、距離でも時間でも密度でもない。そこに愛があるのなら、どこだっていい。
祥子と大吾の愛したこの地で過ごそう。
そうしよう。
長崎の河川は今日も滞りなく流れる。
観光客がはしゃぐ眼鏡橋あたりをよそに。
(ムダなく使い切る私のノート 了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます