第3話 余白すぎるオトコとのノート。

「大吾と祥子は黒崎教会にたどり着いた。ふたりきりで結婚式をあげるために。」






水の都島原。長崎県に位置し豊富な湧水で知られる。町には水路がはり巡る。




「おはよう。」 朝は大吾の作る朝ご飯ではじまる、すがすがしいふたりの時間。

 ふたりは長崎にいた、大吾が親から譲り受けた物件を祥子はいたく気に入りふたりで住みたいと言った。

 大吾は好んでしお鮭を焼く。そしてたいがい前夜に祥子が炊飯器をセットした、ほかほかのご飯。あらかじめイチョウの形に祥子が切った大根に味付けをする大吾の特製おみそ汁。時間があるときにふたりで作り置きしておいたお惣菜を二、三品並べて、食卓を囲むのだ。

 島原で作られる味噌は、もろみも入ってコクも深い。それに大吾の愛情が注がれている。穏やかにはじまる一日は幸せそのものだった。祥子のお腹に芽生えた新たな息吹に大吾は毎日かたりかける。今日はふたりきりで外海の教会にむかう。白っぽい服を着て。コウも参列するよう呼びかけたのだが忙しいとの答えが返ってきた。


 コウは十六になる。一緒に長崎には来ず、自立したいといった。普段は冷めた態度で暮らしていたのだが、熱くプレゼンし、祥子と大吾を閉口させた。ちゃっかり金銭的な応援を嘆願し熱意で押した。

 初期投資は大吾から。家賃を全額と学費の半分の援助を約束し、のこりはコウが何とかする運びで見事に目的を果たした。コウは向かうとこ敵なし、子供のようで大人になりすぎた彼女の新しい進路は誰にも止めることができなかった。

 

 コウは名古屋の美術専門学校へ行くと言った。高校へは進学しないときめて、それはそれで凄まじく頑固だった。不動産めぐりの折に、祥子はコウとふたり、涼のもとを訪ねた、涼とは三年ぶりの再会で何の変哲もなかったが、なんとなく雰囲気に余裕を感じた。コウは涼とリモートでの面識はあった。初めての対面はやや緊張した。でも親からの「きちんとしたご挨拶」という課題に応えられた気でいた。涼はイラスト素材も取り扱っていた。

 すぐ頼れるイラストレーターは貴重な存在になった。また涼のアシスタントとして秘書業務ができそうなコウに期待を寄せた。コウも居酒屋でバイトするより少し割のいいバイト料で、家好き人嫌いな性格柄、在宅ワークができる環境は嬉しい。そして学歴欄に高校名が書けない履歴書と中学生活の思い出ひとつも語れない面接がないこの面談は最適だった。こじゃれたカフェに涼が案内してくれたので三人で就職祝いのケーキを食べた、甘い甘い、幸せなクリームだった。


 名古屋に来て一年。コウは、まだ妹か弟がいることを聞いていなかった。ただなぜかふたりが教会で挙式すること、旅費は持つから来ないか。とだけの誘いにふたりの教会好きがエスカレートしたのだろうと興味を持てず、話に乗らなかった。


 新しい家にも慣れてきた。ゴールデンウィークに外に出てみた。学校もまずまず、いい評価を得られている。仕事も何とか。課題だけが結構えぐいなと思いながら、長崎に何か送ろうと思い、大須のインテリアショップでフワフワと佇んでいた。置き時計を手に取る。給料が出たばかりで、自分のために尽力してくれるふたりへ贈り物を考えていた、よくわからないが挙式するらしい。新婚のような時間を過ごしているだろうなと思いを馳せて、何かふたりで使えるもの。ふたりを応援したくて悩んだ末、その時計にした。なぜなら押すとシリより変な声で時刻を伝える、そのバカバカしさはあのふたりにぴったりだったから。「これでよし。」やばい、母親のひとりごとみたいだ、気をつけよう。と咄嗟に出た一言にほくそ笑んでいた。


 大須にはいろんな店があり、誘惑もいっぱいで、他に自分のものを買う金銭的、時間的な余裕はあったが、いつかの為に使えるよう貯金しようと今日必要な食材だけ買って帰った。

 基本的にとても家が好きで、服も最低限は持っている。大吾の大盤振る舞いに甘えてインテリアも揃っている。何もほしいものはなかった。あわよくば、理解しあえる人があったら…これは贅沢かな。と自問した。

 今は何ら干渉されないワンルームでのんびり暮らす、のんびり居る。素敵すぎる生活に甘んじる。

 コウは密かに料理上手だ。母親がいないときは簡単な昼食を作ってみたり、菓子のストックがないとき小腹が空くと何かお菓子でも作って食べる習慣があった。料理レシピサイトで検索をかけるとなんでも食べたい料理が出てくる。たいがいの切り方、混ぜ方、炒め方に煮方は身についていた。せっかくだしさっき買ってきたホットケーキミックスでカップケーキ作るか。卵と計量カップを取り出した。

 

 祥子は三つのノートを手に入れた時を思い返した。

 まずコウが学校に行かなくなった、行けなくなった。理由があるらしいが中学の卒業まで口にはしなかった。

 始まりは簡単。遅刻が目立つ、遅刻が欠課になる、それでも行くことはできていた。しかし準備できても靴下を上げることが緩慢になる、祥子はただ見守るだけ、靴に足が着地できない、目に涙が溜まる、祥子は見守るだけ、行末をあんじながら…

「行けない。」と小声でコウは呟く。

 行けないものは行けないそれでいい。行けないなら行けないなりの毎日の過ごし方があるだろう。涼にも大吾にも世話になった。このふたりがいなければきっと祥子の中で何かが崩れていただろう。そう感じる。


 コウが中学二年に進級した春、大吾は大阪にペンちゃんと越してきた。

 はじめは祥子と別宅という前提で話は進めていたのだが、物件探しの前日、大吾は大阪で祥子にプロポーズした。

 籍を入れて一緒に暮らそう、コウの面倒ももちろんみるし父親として関わりたい、お義父さんのことも気になるから。と言ってくれた。

 暮れから、祥子は末期癌の父親と対峙していた。主に母親が主介護者だった。当時、通っていたメディカルアロマ・リンパドレナージ講座で覚えた技術を週2回の訪問入浴後に施してた。父とは後悔のない別れ方がしたかった。けれど癌というものは人を蝕んでいく。歩けなくなり、食事はかろうじてベッド上で。

 祥子の母親も元ナースで介護を苦とは思っていなかったのだが、頑として介助を拒む父親は紙パンツを履こうとしなかった。しかし生理的に出るものは出る。全て片付けてコインランドリーで洗濯する母親。頭が下がる。

 ペットシートと安い衣料品売り場で買う布製の下着を紙パンツ代わりに利用していたが飽き飽きしている様子だった。祥子の助言で尿取りパッドを密かに仕込むようにした。しばらくは騙し騙しの介護が続いたのだが、だんだんと癌は進行する。痛みが強く現れるようになった。往診のドクターは在宅医療を専門としており、麻薬の調整が絶妙だった。麻薬と言ってもシール型のもので、ただテープライナーを剥がし、かぶれてない皮膚へ貼付する。それだけで、痛みが和らぐ。日を追うごとにミリ数が増えていった。同時に父親の意識がふわふわと宙を飛んでいるようだった。父親の発言。安直な言葉、加味していない言葉たちがベッド上を駆け巡った。かつて祥子が精神科で味わった自分が自分であって、でも自分ではない浮遊感。きっとあれなんだろうと。


 介護者としては食事の高カロリー栄養ドリンクをしっかり飲んでくれるし、拒んでいた下の世話も甘んじて受け入れるようになり楽になった様だけれど、この状態を母親はどう捉えているのだろうか。あまり突き詰めれないでいた。祥子はただただ、週に二回入浴の後のアロマテラピーに徹した。これだけが使命だと感じていた。

 そんな介護生活のさなかに大吾からのプロポーズを受けた。

 大吾からの言葉は、祥子にとってはとてもとても心強かった、心が折れるすれすれの毎日だったから。


 三人と一匹の暮らしが始まった。祥子は電車で父親の家へ通った。一ヶ月もないままに父親とは離別した。後悔はやっぱりある。でもできるだけのことはできたと納得していた。コウは学校に行っても行かなくてもいいような環境だったので引っ越しは特に抵抗はなかった。自分の部屋が与えられる、ひとり部屋に浮かれていた。ふたりは希望的観測で違う校区に通うことでまた新たに中学生活を再開できないか、なんてポジティブに新しい生活を思い描いた。結果は一緒だったが、大吾の提案でコウの親友が行っているフリースクールに通わせた。祖父の死を受けてコウも学ぶ場所へ足を向ける努力をしていた。スクールへは行ったり行かなかったりだったものの問題はない。     

 彼女の勇気をふたりはたたえていた。

 

 朝の早い大吾がだいたい朝食を準備する。四組の食器に三膳の箸を揃える。コーヒーにパンだった祥子とコウはこの丁寧な朝食がいたく気に入った。ひととおおりの食事が終わるといったん大吾は二時間弱の仮眠をとる。祥子が起こすので安心して眠る。そして一四時から本格的に仕事を片付ける。昼食の準備や買い出しは祥子が担当した。

 祥子は父親を見送ってからは、特に訪問入浴後のアロマセラピーに依頼を受けて伺うようになった。少しずつむくみが取れる結果が出て、当人や家族から感謝の言葉をもらう。いっぱいいっぱいだった介護も良かったとしみじみ思い出す。オフの日は相変わらずノートパソコンを叩いている。言葉の好きな大吾と一緒に居られて、きれいな言葉に魅了されている。きれいな言葉を使って紡いで、綴って。そんな毎日に時々、エッセンスの要素が絡まって。

 

 大吾と祥子は関西圏の教会を回り始めた。長崎ほどではないが、信者がいるところには教会がある。大吾はステンドグラスが好きだった。ガラスから溢れる光に気持ちを奪われているようだった。あらゆる教会ならでわの、時々にさす光とモチーフに感銘を受けていた。祥子はいまだマリア像に執着していた。子を眺めるマリア、十数年前に経験したこどもを抱くという行為。その子へ向ける愛情は期待でも希望でもなくただただ美しいものをながめるのと同じ感情でしかなかった。子は美しいものただそれだけ、人であろうと神であろうと。 

 教会を巡るにつれて神戸という町にたどり着いた。長崎同様の貿易街。大吾は昔、横浜にも住んでいた。「神戸に行ったら貿易街コンプリートだよ。」長崎時代に軽く話していた冗談が本当に叶ってしまった。

 

 祥子はどちらかというと仏教の教えが好きで、特に父方の臨済宗の禅の教えに傾倒していた。先祖を軽視していた父親は宗派問わず合祀される寺へ骨を埋めた。墓参りという行事を失った祥子は父親含め先祖の供養に禅の心をみがいた。都度、都度に京都にある禅寺へいっては、写経し納経して帰ることが多かった。書写が苦手な大吾は、別院の庭を愛でながら祥子の写経を待った。そこで感じる自然の風は仕事で募る疲れを流してくれた。あまり人気がなく庭の季節ごとの色合いがとても好きだった。

 

 大吾は夜になると視界が青ざめるといった現象を大阪に来てから話さなくなった。夜の散歩も怖がらず出かける。

 きちんと聞いてはないが良くなったのではないか、と希望的に観ていた。外出先でも色についてよく話すし色についての表現を熱く語っていたけれど。いつ頃からか、匂いや音に興味が変わってきたように祥子は感じはじめた、偶然なのか、運命なのか。まだこの時はピンと来ていなかった。

 

 季節がめぐり体育祭や文化祭といった学生にとって華やかな行事がある中、コウは全くの無関心でスクールに行ったり行かなかったりしていた。たまに行ったときに、芸術祭の招待状なるものを持ち帰ることがたびたびあった。

 どうやらスクールから応募したようだ。自室でも何かに集中していたのは絵画みたいだ。特別賞や優秀賞はとらないまでも佳作や入賞を多く獲得していた。もう親とは別行動すると、コウは友達と出かけて自分の作品を鑑賞していた。大吾と都合を合わせ祥子は案内された美術館や、娯楽施設、地下鉄通路、などあっちこっち観に行った。あまり思いたくはなかったが、大吾のコウへの評価が若干ずれていた。


 網膜症ですね。大吾と祥子は総合病院の眼科で診断を受けた。糖尿が悪化したらしい。目にもたらされる病は進行しても元には戻らないと医者は言った。ただ、血糖をコントロールするのが進行を妨げる方法だとも。

 帰り道、ふたりで歩いた。電車にもタクシーにも乗りたくなかった。

「祥子ちゃん、これからはいろんな綺麗なものたくさん観て…そして俺にたくさん伝えて…」

 機能を失いつつある大吾の眼からたくさんの涙があふれ出していた。


 音や匂いに包まれる生活。こんな雑多な大阪なんかではできないし叶えられない。

 祥子は医者に宣言されたこと、これから起こりうる大吾のこと、祥子の希望を包み隠さずコウに伝えた。

「長崎に行きたい。ついてきて欲しい。」

 コウが進路について悩み始めた一五の晩夏のことだった。


 コウの門出を祝福してから、ふたりは長崎に住まわった。


 ゴールデンウィークは観光客があるので教会には明けて二日後ぐらいに挙式したいことを伝えた。面白いことに運命なのか、この教会、信徒でなければ挙式できなかった。


 大吾は無宗教を気取っていたが冗談で「キリシタンになりたいんだ。」なんて話すこともあった。「一緒に入信してみる?」あんなに熱心に仏や菩薩を信仰していた祥子だったが、大吾とならこの宗教に飛び込んでもいい。と咄嗟に大吾に迫ってみた。「いいね。」二つ返事だった。

 どうしてもこの教会で挙式がしたかったわけでもなかったのだが、二人が行き着いた先に居たのは神だった。

 受洗準備は住まう近くのカトリック教会でも可能との事だった。少しクセのある神父に大吾は魅了されていった。聖書の内容は至ってシンプルだけれど、解釈が面白い。通例ではバージンロードは処女のものだが、この神父の理解により挙式できる手続きをとってもらえるほどであった。少しクセのある神父と、少しクセのある新婦候補、とのキリスト教のお勉強は大吾にとっていい時間であった。熱心に学問に向かい合うことが意外と神を感じることとなる。四十半ばをすぎた祥子が受胎したのだ。もうすぐ洗礼が受けられる矢先のことだった。


 幸せとは紙一重で、引き換えに大切なものは奪われてゆくらしい。新しい命を歓迎する一方、大吾の視力低下を阻止できなくなってきた。かろうじて光を感じる、そんな状況だった。長崎の海の風、山の風、緑かおる丘。大吾とたくさん紡いできた美しい言葉で様々な教会のステンドグラスを祥子は大吾に形容した。白黒で機械的な子どものエコー写真でさえ、まるで立体的にカラフルな言葉を用いて説明した。

 ペンちゃんも老犬となってしまったが、三倍ぐらいの大きさのラブラドールの盲導犬を導入した、カッチョいい、ヤマトという名がつけられていた。成犬と老犬だが見た目は逆だった。ほぼ外出時と祥子が留守の時だけ活躍するヤマト。休み時間はもっぱらペンちゃんのお世話をしていた。


 長崎を選んで良かったと思っていた。「洗礼を受ける。」日本語ではいい意味に使われないが、神秘的で心から生を受けたこと、今までの罪を払いのけられたこと、神の子としてこれから生きられることに感謝しかなかった。言われてみれば、大吾は目が見えなくなったこと、何一つ後悔せずに祥子に接してきてはいないか。洗礼の儀式のさなかにふと祥子はそのことに気づいた。この人はキリストの勉強をする前からキリストなんだと。

 洗礼を受けてからもクセの強い神父の説教を聞きに日曜ごとに教会には行った。大吾も職場とは信頼関係もあり、

 音声ソフトを活用しながら在宅ワークをしていた。なぜか祥子にもお給料が入るシステムで大吾の至らない部分の補佐業務が舞い込んでいた。神の子は何かにつけ得をする。


 コウは来なかったが、食卓を片付け長崎駅に向かった。タクシーが教会まで海風とともにいざなった。道中、大吾は相変わらず長崎のいいところを運転手にインタビューしていた。次は行きたいね、メモがわりに携帯でドライバーとのやり取りをボイスレコーダーに収めていた。ちなみに大吾のボイスレコーダー特集はかなりの件数で管理しがたかった。文書を呼び起こす作業それ自体に大吾の楽しみがあった。

 どこの何が美味しくて、どこの何が綺麗いくて、そんなのはいいのだ。なんだかんだと人の温もりを感じる瞬間瞬間を大事にしているのだなということ。教会に到着する前、ドライバーに二人が白い装いをしていることに気づかれた。「お釣りは大丈夫です。」いつもの大吾のカッコ付けが始まったのだが、ドライバーは「ふたりに幸あれ。お釣りは受け取っていください、祝福として…。」


「さっきのタクのドライバー素敵過ぎやろ。」降りたと同時に大吾は無邪気に祥子に話しかける。ふたりで教会に向かうのだ、神となった大吾と今。


 黒崎教会聖堂は、信徒が奉仕の結晶として、ひとつひとつ積み上げたレンガで造られている。広い奥行きのある、平屋造り。大吾が愛したド・ロ神父の設計。式の最中は説明できなかったのだが、晴れ渡った今日、美しいステンドグラスの光たちを祥子は思いの限り見つかる言葉で大吾に伝えた。きっと大吾の心の中には祥子と同じ、あるいはそれ以上に美しい光がさしていただろう。


 大吾は聞いた。「ここのマリア様はどんなお姿なの。」

 祥子は答える。「一番、最後に大吾ちゃんが見た祥子そっくりだよ。」


 家に帰ると不在票があった。コウからだ。再配達を依頼したらすぐに届けてくれた。面白いものを送ってきた。セットした時計は時刻を変な音声で告げた。

「一八時二十分です。」

「シリよりヘタクソ!」ふたりで笑った。             





  (余白すぎるオトコとのノート 了)

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