こどものはなし

我那覇キヨ

1.天国についての想像

 イッツ・ア・スモール・ワールドで船はヨーロッパ、アジア、アフリカ、南アメリカ、オセアニアを巡ったあと白い国に行く。

 白い国がどこなのかは説明されないが、俺は天国だと思う。死んだあとに行く天国なのか、天国のような国なのかはわからない。

 天国でも天国じゃない場所でも、世界中の人形は歌って踊って楽器を弾いて遊んでいる。似たようなものを俺はどこかで見たなと思って考えたら、平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩のことを思い出した。あれも楽器を持った沢山の菩薩が大仏を囲むように壁に飾られていた。平等院鳳凰堂は死んだあとに行く極楽浄土を再現するために作られたのだったとか。ここも同じなのかもしれない。たしかに

 、イッツ・ア・スモール・ワールドはウォルト・ディズニーが死ぬ2年前に作ったものだったはずだ。

 イッツ・ア・スモール・ワールドでは人形は全てこどもの形をしている。様々な言語で繰り返されるフレーズ。

「世界は狭い。世界は一つ」

 俺には欺瞞に見える。でも、無視できない強いメッセージを感じる。高い山や広い海に隔てられていても、結局はちっぽけな世界。「そんなのはただのおはなしに過ぎないよ」と思う俺と、いつまでもそのことを考えてしまう俺。


 イッツ・ア・スモール・ワールドはダークライド・アトラクションの至った極北だと見る意見がある。ダークライドとは要するに船や乗り物に乗って暗がりを進むアトラクションのことだ。暗がりで人目を避けてカップルがイチャつくというのが主な、そして隠された目的になる。(そのものズバリ、「愛のトンネル」というアトラクションまである)結婚前の男女がイチャつくことが不道徳だとされていた時代に考案されたものなので、ダークライドを不健全だ、などと言うつもりは俺にはない。また、その種の不健全さが人気を支えていたことを踏まえると、不健全ではないという擁護もスジが違うのでそのことについても言うつもりはない。それを欲しいと思うヤツがいたからそれはあった、というだけだ。

 ダークライドの文脈が色濃く残ったアトラクションはディズニーランドでは白雪姫、ピノキオなどだろう。白雪姫などは終始魔女の脅威に晒され、最後は魔女が大岩を観客に落とし、魔女の完全勝利でアトラクションは終わる。……白雪姫について考えるのはやめよう。ともあれイッツ・ア・スモール・ワールドにはダークライドにあった暗がりは存在せず、ただライドして風景が流れるという形だけが残っている。

 風景で物語を描いたのがスプラッシュ・マウンテンで、風景で思想を描いたのがイッツ・ア・スモール・ワールドだ。

「よく見ておくといい。ヨーロッパを進むけど街並みに教会の十字架はない。その理由はなんだと思う?」

 俺はこどもに話しかける。こどもは十字架が本当にないか周囲をキョロキョロと見回す。俺はこどもとアトラクションを半分ずつ見ながら、頭は別のことを考えてしまう。

 その日はスペース・マウンテン、カリブの海賊、ジャングル・クルーズ、ビッグ・サンダー・マウンテン、スプラッシュ・マウンテン、白雪姫と七人の小人、ピーターパン空のたび、蒸気船マークトウェイン、スター・ツアーズに乗った。スペース・マウンテンなど3種のマウンテンは二回づつ。盛り沢山だ。

 疫病が流行ってパークの入場制限が行われ、チケットが自由に手に入らなくなっていた。だからパークは混雑しておらず、その結果、入場できた幸運な客は盛り沢山にアトラクションに乗ることができた。

 俺の好きなスイス・ツリーハウスやトム・ソーヤ島は休止中だった。カントリー・ベア・シアターはこどもに却下された。

「座って目を閉じて、音楽を聴いて、まどろみたいんだ」

 俺がカントリー・ベア・シアターの良さを言うとこどもは却下した。

「座って目を閉じて、音楽を聴いて、寝ちゃうのが楽しいのは大人だけだよ」

 なるほど。そうかも知れない。

 俺はパークを歩きながら写真を撮り、こどもは写真のたびに足を止める俺に腹を立てた。俺は笑って謝りながら写真を撮る。

 屋根の曲がった水車小屋。

 葉巻を売る熊の人形。

 炭鉱の前に打ち捨てられている蒸気機関車。

 クルマの上で喧嘩をしているビーバー。

 壁につけられた小さなドア。

 上階に行くに従って小さくなっていく三階建の建物。

 パークの世界観を構成する飾りを見ては写真を撮る。記念写真はマスクを外さずに撮った。いつかマスクを外せなかったことも思い出になるだろう。

 帰り道ではこどもに俺の小説を読ませた。

 続ければいつか人が死ぬことを理解しながら、情報を流し続ける男の話。

「これひどいよ。主人公、何やってんだよ」

 読み終わってこどもが言う。

「ひどいよな」

 俺は笑って同調する。

「この主人公は、自分は変わらないまま、世界に変わってもらいたかったんだよ」

 俺は自分の口がわかったようなことを言うのを聞いて、なんとなく腑に落ちたような気がする。思考は一人でするものだけを指すのではなく、対話もまた思考である、ということを言ったのは誰だったか。まぁいい。俺の信条は誰が言ったかよりも何を言うかなのだ。

 食事をして帰ったら、家ではビデオゲームをした。遊びながらこどもが言う。

「ディズニーランドもいいけどさ。家でお父さんとずっとゲームするのもやりたいよ」

「それがきみの天国?」

「うん。天国」

「わかった。では月に一度そんな日を設けよう。それで勉強は頑張れる?」

「頑張ってみる」

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