いぬのなまえ
くれさきクン
第1話
この物語の主人公たるところの僕こと
そんなことをのっけに宣言するのも味気ないけれど、まあ、何というか、現状僕に求められる性質が他にないのだから仕方ない。
そんなわけで僕は現在、クラスメートらの前に立ち、クラス会議の司会を務めている。議題はずばり、学園祭クラス展の内容を何にするか?
はっきりいってそんなもの何だっていい。学園祭の当日だって休もうかと目論んでいた僕が、実行委員などというコアな役職についているのは、もちろんこれが、くじ引きで決められたことだからである。
おまけにというか不幸なことに、もう一人の実行委員である三澄桜子はこの日、学校を欠席していた。よりにもよってクラス会議の日に、である。
もうどうにでもなれの精神で、僕は会議を中止して多数決をとった。少数意見は握りつぶされ、我らが2-Cのクラス展は『喫茶店』に決定した。
会議が終わればこの学校に居残る意味は毛ほどもない。早急に帰宅すべく、鞄を肩に掛け扉へ向かう。
「ちょっといい?」
背後から呼び止められる。振り向くと、目に危うく何かが刺さりそうになった。
クラス委員の久留橋夏菜子が、クリアファイルを僕の顔に突きつけていた。
「……えっと、なにか」
「なにか、じゃないって。休んでた三澄さんのプリント、家まで届けてきて」
「なんで僕が」
歩き去ろうとすると強く腕を掴まれた。
「おんなじ実行委員じゃない」
「……実行委員の仕事に、プリントの配達は入ってない」
「クラス展の申請書類に、実行委員のサインがいるのよ。日夏見くんと、三澄さんの。できるだけ早い方がいいから、今日のうち両方とも書いといて欲しいんだけど?」
久留橋はクリアファイルから一枚のプリントを取り出した。
『学園祭クラス展申請書』と銘打たれたA4のぺら紙。
「日夏見くんはここ、三澄さんはここ」
「お役所仕事だな」
「三澄さんのサイン、プリント渡すついでにもらってきて」
久留橋は淡々と言う。ヘイヘイ従うのも癪なので粘ることにする。
「でも三澄の家なんて知らないし」
「ん」
待っていたというようにポケットから白い紙を取り出す久留橋。何か書かれていた。
「三澄さんの住所。これをグーグルの検索エンジンに打ち込めば、日夏見くんがどんな方向音痴でも三澄さんのおうちを捜すことくらいカンタンでしょ?」
逃げ道は用意されていないようだった。僕は肩をすくめ、メモ紙を受け取った。
「分かったよ。途中で菓子折り買って、三澄の家に行けばいいんだろ」
「かんじわるーい。ところで日夏見くんって友達少ないよね」
「それが何?余計なお世話だ」
「……いつも思うけど、どうしてそうなわけ?クールぶってるっていうか、シャに構えてるっていうか。ホントのところ、そういう性格でもないのに」
「知ったようなクチを聞くなよ」
「もちろん、勝手にすればいいけどさ」
口元をふっと緩める。
「学級委員としては、クラスに馴染めない孤独クンを、むざむざ見殺しするわけにもいかないのよね」
「ほっといてくれよ。僕は別に、みんなと仲良くしようなんて思ってないんだから」
「ほーら、またそういうことを言う……カッコイイと思ってんのかね?ふつうは中学生のうちに、そーいうの卒業するもんだけど」
「あーもううるさい」
右手で追い払う。久留橋はひょいと一歩向こうに退いた。
「三澄のとこ行ってくる、そこ通せ」
「これ、プリント」
「ん」
四、五枚のプリントが入ったクリアファイルを受け取り、僕は教室を出た。
久留橋は分かっていない。
いや分かっている方だと言うべきだろうか。少なくとも、僕がクールぶっているのは本当だから。
自分で言うのも虚しいが僕は容姿も性格も凡庸だ。全然クールじゃないし、教室でつんと澄ましているのも、友達を作らないための作為的なポーズに過ぎない。
友人の数なら十分に足りている。ハクがいるし、乙淵さんとも友達になった。それ以上を求めようとは思わない。
久留橋とだって、友達になる気はない。
――仲良くすりゃいーじゃん。
と、ハクは言った。
――お母さんも、きっと喜ぶよ。やっとレイちゃんに友達ができたって……。
三澄の家を探すことくらいカンタンだ、とあの嫌味な学級委員は言いやがったが、それは完全なる見込み違いだった。
縁もゆかりもない住宅街を自転車でうろつき、暮れゆく夕日に心細さを感じつつ、あと10分見つけられなかったら帰っちゃおうかなと心迷いながら、それでも僕は粘り強く三澄家を捜しまわった。律儀なのである。
そして約一時間の捜索の結果、ようやく目的地に到着した。
立派な、と言うほどでもないが、それなりに見栄えのする二階建ての一軒家。
周囲は低い鉄柵に囲まれて、小さな庭もついているようだ。どちらかといえば裕福なご家庭に見えた。
インターホンの前に立つと、左奥に大きな犬小屋が見えた。『ニック』と記された可愛らしいネームプレートが掛かっている。中身は空だった。散歩中だろうか――犬が一人で散歩するとは思えない。よもや母親が留守中なんて、なかなかぞっとしない考えだ。
最悪の場合を恐れつつインターホンのボタンを押した。応答はすぐに返ってきた。
『はい?』
声の感じからいって母親だろう――ほっと胸をなでおろしつつ、僕は用意していたセリフを口にした。
「えーと……お忙しいところすみません。六鷹高校の日夏見礼と申します。欠席された三澄桜子さんのプリントをお届けに来ました」
『あ、すいませんわざわざ』
七秒くらい待つと、玄関が開いた。
他人の家特有の嗅ぎ慣れない匂いと共に、眼鏡をかけた善良そうな女性が姿を現す。下半身は太りすぎていて、濃紺のジーンズがパンパンだった。
家の中から犬の声が聞こえた。なるほどニック君、散歩中ではなく、家の中にいたらしい。
「ごめんなさいねえ、大変だったでしょう。この辺り、道が分かりにくくって」
「いえ、全然」
嘘をつき、三澄母にクリアファイルを手渡す。そこでサインの件をはたと思い出す。
「――あの、いま三澄さんに出てきてもらうことってできます?」
「え?」
「学園祭のことで、ちょっと話があるんですけど……」
ふいに、三澄母の表情に躊躇いの色が差す。僕は急いで付け加えた。
「いえ、大変そうだったら全然いいんです。別に、大した話じゃありませんから」
「……そう?」目を伏せたまま、くたびれたような笑みを浮かべる。「ちょっと、まだきつそうにしてるのよねえ……申し訳ないけれど」
ドアを手で押さえたまま、本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「……たぶん、あさってくらいには行けると思うから……」
「そうですか」
「ワン」
念のため注釈するが、これは三澄母ではなく、犬の声である。
「もし伝言とかあるなら伝えておくけど――」
「あ、いえ。本当に大丈夫です」
「ワン」
「お大事にと、それだけお伝えください」
僕はできるだけ好青年らしく見える笑顔で、
「それでは、失礼します」
頭を下げ、
「ワン」
「ぷっ」
思わず吹き出した。
「――ワンちゃんにも、よろしくお伝えください」
「え?」
三澄母は怪訝な顔をした。
てっきり、笑ってくれるものと思ったのだ――無害な、どちらかといえば気の利いたジョークだと思った。僕にしては上出来だと。
だが三澄母はにこりともしなかった。
途端に慌ててしまう。そんなまともなリアクションを返されたら、こっちの立つ瀬がないではないか。
「えっと、ワンちゃんも、三澄さんのことが心配なんですねえ、なんて、あはは。ワンワン言っちゃって……じゃあ、失礼します」
再度頭を下げ、僕はそそくさと三澄家を辞去した。
やれやれと思う。たまに冗談を言うと、いつもこうだ。
☆
「ほらよ、僕と三澄のサインだ。これで満足か」
「両方日夏見くんが書いたんじゃないでしょーね?」
目を細め、二つのサインを見比べながら久留橋が言う。
「傷ついちゃうな、どれだけ僕を信用していないんだ?」
まあ久留橋の指摘は正解だったのだが、病人を玄関先まで引っ張り出してくるよりは、公文書偽造の方が罪が軽かろう(たぶん)。
朝の休み時間、僕は久留橋の机の傍らに立っていた。
久留橋は書類を入念にチェックし、やがて肩の力を抜くと、僕を見上げた。
「……まあいいわ。クラスPだって、そこまでうるさくは言わないでしょうから」
「クラスP?」
「何今はじめて聞きましたみたいな顔してんの。クラス展プロジェクトチーム、略してクラスP。学園祭実行委員の上役でしょう。日夏見くん、実行委員のレジュメ読んでないの?」
読むはずがない。そもそも僕はスマートフォンの取説さえ未読のままゴミ箱に捨てる剛の者である。
「それはいいけど」
僕の武勇譚をスルーし、
「三澄さん、どんな様子だった?見たところ、今日も来てないみたいだけど」
「明日には来られるだろうってさ」
僕はぎりぎり嘘にならない線を狙ってそう言った。久留橋は気のない相槌を打ち、しばらく考え、
「犬の話とか、しなかった?」
「……犬?」
質問の意味がよく分からない。いずれにせよ、三澄と会話をしたという前提そのものが嘘なので、首を横に振るしかない。
「なにも。犬なら確かに、ワンワンワンワン吠えてたけど。うるさかったのなんのって」
「……本気で言ってる?」
「は?」
やけに真剣な声のトーンに気圧されながら、僕は頷いた。
「本気も何も……なんだよ。お前、犬嫌いなのか?」
「そういう問題じゃないよ。そして私は犬が大好き。大の犬好き。今後私の前で、犬の悪口を言うことは許さないから」
「あ、ああ……」
久留橋はため息をつき、ぐったりと椅子に背をもたれた。「しかし……なるほどね」嘆息しつつ訳知り顔。「やっぱり日夏見くん、あなたってさすがね」
「勝手に納得するなよ。どういうことだ?」
「三澄さんの犬、死んだのよ」
淡々と久留橋は言った。
「……」
「一昨日にね。どうも三澄さん、そのショックで学校に来られなくなったらしいの」
「……」
そんな馬鹿な、とは言い切れない自分がいた。
あれは、死んだ犬の声だったのだ。
だからあの時――ワンちゃんによろしくお伝えくださいと僕が冗談を言ったとき――三澄の母親はあんな顔をしたのだ。
「……っていうか」と僕は抗議する。「そういう大事なことは昨日言えよ。三澄の母親に、すげー失礼なこと言っちゃったよ」
久留橋はあさっての方向に目をやりながら脚を組んだ。
「しょーがないでしょ、あたしだって今朝聞いたんだから。友達のいない日夏見くんは知らないでしょうけど、クラスでちょっとした噂になってるのよ」
「噂?」
「なんか、三澄さんがショックでおかしくなってるって噂」
「……」
「ひーなつーみくん」
「……なんだよ」
「あなたに、久しぶりの仕事が舞い込んだみたいね」
ずいぶんと楽しそうな様子だった。
「……舞い込んでない」
「幽霊退治は、日夏見くんの専売特許でしょ?」
「申請した覚えがない」
「とにかく――」
机上のクリアファイルから、新たに一枚のプリントを取り出し、僕に突きつける。
「――今日はこれ。三澄さんちに持ってって」
僕は苦々しい思いでプリントを睨みつけ、受け取った。
『クラス展人員登録表』
わざとらしく左上にマル秘マークが印字されている。そして右下には、二名ぶんのサイン欄。
「今度は」
久留橋は両の瞳をするどく輝かせながら言った。「直筆じゃないと受理しないから」
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