洗脳の門〜カルト宗教本部に監視カメラをつけてWEB漫画にしてみたら〜

拓郎

前半

旅はやはり帰る日常が用意されてこそのものだ。

年季の入ったテーブルの斜向かいに朱理あかりが座っている。部屋には僕たち二人しかいないが、2Kのアパートは相変わらずつ猫のひたいのように狭い。

「お兄ちゃん。最近は?」

「最近はって?」

「仕事が忙しいとか、彼女とケンカしたとか何かないの?」

「仕事はプロのフリーター。彼女はいないからケンカする心配もない」

朱里は僕の言葉にため息をついて、ペットボトルの蓋を開けた。以前実家に立ち寄った時はまだ中学に入学したばかりだったから、顔を合わせるのはじつに四年ぶりとなる。

「漫画は? まだ書いてるの?」

「あぁ。やっぱりそれが一番楽しい。持ち込んだりWEBにあげたりしている。まぁしっかり続けていたい」 

「売れそう?」

「今のままじゃ無理だろ。何かを変えるつもりもないけど」

息を吐ききって腕を組んだ。

「あのさ、お兄ちゃんってやっぱ変わってるよね」

「無礼なやつだな。何が変わってるんだ?」

「いや、だってすっごい余裕じゃん。私でさえ将来のこととか考えたら焦るのに」

「それはあれか。いわゆる夢と現実のギャップとか、同世代へのライバル意識とか、所帯を持つ義務感、焦燥感とかの話か?」

こういう類いの言葉に傷付くプライドをいっさい持ち合わせていないのが僕の長所だ。

「まぁ……そういうの。『バクマン』とか『まんが道』とか読んだら? ちょっとは焦るよ」

「お前古い漫画知ってるな」

「漫画好きだもん」 

「いいか朱理あかり。俺はな。自慢じゃないが普通の人間なんだよ。ただ漫画を描くのが好きな平均的な二十九歳のフリーターだ。別に尾田栄一郎や青山剛昌みたいな天才じゃなくても漫画を描いたっていいだろ? この国はしっかり月に二十日も働けば、バイトでも納税しながらちゃんと生きていける。何を焦ることがある? 日本国民最高だ」

手のひらを軽く広げて言った。事実、僕はこのささやかな現状に満足しているし、日本に生まれたありがたみと幸せを感じて生きている。

「お兄ちゃん、ある意味、天才っていうか大物だよ……ていうかさ、どんな漫画描いてんの? もはや興味しかないよ」

「一話完結の日常ものだ。あのな、これは俺の座右の銘の一つだが、人生にはファンタジーもサスペンスもいらない。帰るべき日常が何よりとうとい」

朱理は呆れるというより、もはや関心するといった風な表情だった。

「ただな、何かを描き始めたなら描き終えなきゃいけない。途中で描きっぱなしするのは駄目なんだ。始めたからには終わらせないといけない」

「作者が死んでもだらだら続くのって、大体が日常ものじゃん……」

 朱里はぼやくように言った。

「それより話ってなんだ。バイトを一日削って来たんだぞ。俺の八時間は一万千二百円だ。貴重なんだからな」

「あ、あのさ」

朱理はペットボトルの蓋をカリカリ引っ掻いている。

「なんだ。ハッキリ言え」

「えっと……お母さんカルト教団に入信しちゃったんだよね」

カリカリが大きくなった気がした。

「それは、あれか、母さんがか……?」

混乱していた。

「え、うん……しばらく帰ってこなくなっちゃった。写真だけ一枚来たけど、これ」

ドアの向こうから、近所の子どもが遊んでいる声が聞こえた。

旅はやはり帰る日常が用意されてこそのものだ。


信仰、宗教の類いに詳しくはないが、有名な霊山がA県にあることぐらいは知っていた。

東北新幹線を下りた後、僕と朱里あかりは近くのレンタカー屋でコンパクトカーを借りた。北国の十二月だから無理もないが、都内と比べると段違いに寒い。

「本当にあるんだな。カルトなんて」

「有名じゃないのも含めると、教団なんてめっちゃあるらしいよ」

朱里は助手席の窓から連なる山を眺めている。どの山の標高も凄まじく、頭頂部は完全にガスっている。

「信仰は自由だけど、自分の家でそんなことが起きるとは思わなかったよ」と朱里は続けた。

「たしかに母さんのキャラはそういう話と一番遠く感じるよな」


母、京子はどちらかと言うと、何かに寄りかかるようなタイプではなかった。

幼い頃、商店街の宝くじをやったことがある。

僕は母から渡されていた福引券を、はっぴ姿の係員に差し出した。

後ろから「特賞でグアム行くより、自腹で箱根行きたいわよ。そんな言葉の通じない島行くよりも。あ、それよりトイレットペーパーの方がいいわ! 五等狙いなさい! 五等!」と本気なのか冗談なのか分からない母の声がした。

結果は入浴剤だったが「箱根行くより安くすんだわ」と母は笑っていて、僕はそれにおもわずつられていた。母のお腹の中には朱里がいた。

あの母とカルトというのが、どうも頭の中で結びつかなかった。


曲がりくねった舗装路ほそうろの果てにだだっ広いスペースが現れた。白線などは引かれていないが、問題はなさそうだったので、ほどほどにレンタカーをめた。

下車すると、ガスがかった雪だけの景色のせいで目がちくちく痛む。アパートで朱里に見せられた写真に、もう一度目をやった。

全身白装束を着た母が巨大な焚き火と共に映っている。そして写真の裏側には、このスペースの住所と登山地図が書かれていた。一般の地図と違うのは、字のよれた手書きだったことと、中層部に赤色の×マークが記されていたことだった。

あたりには僕たち以外誰もいないが、木造小屋のトイレや自動販売機などの人工物がある。ここは何も絶海の孤島でないし、ここで起きていることもオカルトや超常現象ではない。僕と朱里は階段状になった丸太で造られた登山道に足を踏み入れた。


「さっぶ……!でも本当にするの?」

 吐く息がまたたく間に結晶化しそうな寒さだった。

「当たり前だろ。宗教にハマるのもいいけどやりすぎだ。カルトに関わったことはないが、とにかく相手のことを知らないとどうしようもない」

足下あしもとでサクサク雪が鳴いている。

「そもそもお母さん、ここにいるのかな?」

「写真の入っていた封筒の消印もA県だったし、教団自体も大きくないのか本部の住所を調べたらここだった。地方の山岳信仰系の団体らしい」

「こういうのってさ。『お母さんを帰してー!』なんて言って聞いてくれるのかな?」

「『俗世のものを手放して、罪やけがれのない原初の人間に戻る』が教義らしいからな。ホームページによると。母さん一人ぐらい離してもらえないと困る。まぁゴタついたら警察だ」

朱里が「警察沙汰にならないでほしいよー」と白い息を吐いた。

僕は「本当にやるの?」という朱里の言葉を頭で反芻はんすうしながら足を動かしていた。

小一時間ほど歩くと、目的の場所はあっさり見つかった。

スキー場のような広大な白銀の中、小さな鉄筋の建造物が現れた。真白まっしろな風景の中、小型雑居ビルが建つ様は少々異様だった。


 新幹線の車窓は時速三百キロで山々を後方に送っている。

「想像より普通だったけどさ。いったんお母さんの連絡待つしかないね」

「でもあの人、わりといい人だったね」

「疑ってもどうしようもないしな。信じるものがあると優しくもなるんだろ」

僕は真っ暗になった東の空に目をやりながら、先ほどの時間を思い出していた。


「佐藤京子さん……えっと、漢字は祇園ぎおん京都の京に子どもの子ですよね?」

 白Tシャツにジーンズの出で立ちの男は、パソコンの中の名簿らしきものを見ている。渡された名刺には白川と書かれていた。

 応接室と待合室を足して二で割ったような部屋のソファで、僕と朱里は出された茶に口を付けていた。

「はい。その京です」

「佐藤京子というお名前の方が、何名かいらっしゃいますね……宿にお電話して聞いてみますね。別県に出向かれていなければおられると思うので」

「宿?」

白川は「はい。もう少し町に近いところに宿場がありまして。ほとんどの遠方の方は、そちらにおられます。少々お待ちください」と答えて、奥の事務室に向かった。不安が除去されるような清潔な声だった。

「なんか、フツー……というかいい人だね」と朱里が小さくささやいた。

「俗世のノートパソコンをブラインドタッチしていたしな」


 白川が帰ってきた。

「先々月、入舎された記録がありました。外出されているのか、いらっしゃらなかったので、ご家族に折り返すようお伝えしておきました」

「外出?」と朱里が言った。直後、口が滑ったとばかりに手で唇を押さえた。

 白川は笑って「もちろん外出もできますよ。監禁しているわけでもないですしね。新興宗教のイメージもあると思いますが、実態は案外そんなものです。小学校の方が拘束されているぐらいです」とゆっくり言った。

「ご心配されるご家族の方とお話しすることも多いですよ。のめり込みすぎた信者の方は、こちらからお願いして、休信していただく場合もあります」

 

僕と朱里は、ひとしきり話を聞いた後、二階と三階にある施設の中を見学した。

「この本部にも人がけっこういるんですか?」と聞いたら、白川は快く見学を進めてくれた。

大部屋、小部屋がいくつかあり、座布団が整列していたり、トレーニング器具がある部屋などに入った。人もそれなりにいて、和気藹々わきあいあいとしていた。談話室のような空間では、母と同年代の女性たちが談笑していた。「見学ですか? よかったら体験してみます?」と笑いかけてきたが、朱里が大げさに手のひらを前にして愛想笑いで断った。


 白装束の母の写真を見せるプランもあったが、あの部屋で会話をしているうちにその気が失せた。なんとなくあの場にふさわしい気がしなかった。ふさわしくないということは、良い結果を生まない確率が高い。

「でも想定していた以上に付けられたな」と僕が言うと朱里は「十個ぐらい付けた?」と聞いた。お互いの全部の作業を見られたわけじゃなかった。

「手当たり次第だったから数えていないけどな。二十以上は付けた」

「木にも付けてたもんね」

「巨大な焚き火でもしてくれたら、山火事とか何とか言って通報できるから話が楽だ」

新幹線は真っ暗なトンネルに突入した。


高円寺の自宅は八世帯入りの木造アパートだ。外から見るとドアがむき出しなので、セキュリティもへったくれもないが、二十九歳の男一人で暮らすには十分すぎる。ワンルームの平米も同じく十分すぎる。

教団本部と周辺に取り付けた監視カメラと盗聴器の映像は想像以上に鮮明だった。

【小型カメラ 隠し方】で検索したのはA県に向かう一週間ほど前だった。盗撮の商品や取扱方法が山ほど出てきたので、そのまま購入し実行に移した。

モニターはあのソファの部屋と、そこに座る人物を映している。白川と若い男だ。二人とも服装は白Tシャツとデニムジーンズだった。

盗聴器は二人の声を明瞭に拾って、イヤホンを通し音声を運んできた。

「解凍、変革、再凍結だよ」

白川が若い男に告げた。

「どういうことですか?」

「まずうちの修行は睡眠時間を切り詰めた後、食事を抜くだろう?」

「はい。見る分には慣れてきたけど自分ではとてもできませんよ、ヤバくないすか? あれ」

 若い男はニヤついて話している。

「疲労と空腹、時間感覚の混乱で現実認知能力が低下していくと、人間は意識が混濁こんだくしてくるよね。いわゆる暗示を受けやすい一種の催眠状態に陥る」

白川は読み上げるように続けた

「その後に過去の記憶をさかのぼらせる。自己否定させ続ければ、勝手に自分で何らかの罪を発見する。これまでの自分がいかに堕落した人間だったかと後悔するんだ」

「それが『解凍』ですか……?」

若い男は白川に引き込まれるように前のめりになった。

白川は笑顔で頷いた。

「うん。自己否定と過去の振り返りは『解凍』の基本だ。『変革』はいわゆる講義だね。内容は善悪二元論のようなハッキリしたものになっているじゃない? 解凍で半覚醒しているから、みんな涙を流すほど感動してくれるよね」

「だから泣かないやつは一回宿場に戻すんですね!」

「何度でもやればいい。その頃にはもう新しい価値観が生まれているよね。日常の行動や感情も、教団の教えに沿うように修正されていくしね」

「洗脳マジすごいっす!」

「『再凍結』が一番簡単だよね。日常的に祈祷きとうしたり、募金を集めたり……一番良いのは家族と親族への報告だけど」

「写真とか手紙送るやつですか?」

「そう。家族を勧誘し始めたら最高だけど、自分の現状を報告させるだけでも再凍結はされるよね。そこまでで思考改造がほぼ完成する」

「たしかに! あの……炎の通過儀礼イニシエーションは何なんすか?」

 若い男が声のボリュームを落とした。

「あれは特殊だよね。感動だ。感動させることにある。感動することでしか人は変わらない。炎もだけどポイントは指にある」

「指?」

通過儀礼イニシエーションの時は二人一組で指を突き出すだろう?」

「あ、やってますね。あれに何か意味が?」

白川は答える代わりに、ただただ薄笑いをしていた。

 

 A県から帰ってから毎日釘付けでモニターを眺めていたので、彼らの話していた内容は腑に落ちた。教団本部が現実感覚を揺さぶり人格を破壊する施設であることは間違いない。

昨日は座布団の部屋で白装束を着た信者たちがヘッドホンを頭部に固定されていた。何時間も続いたが、あれが『講義』だ。『講義』の内容が善悪二元論であることは、モニター越しには分からなかったが、耳にはそういった極端な教えが流れていたのだろう。この新情報をメモしておいた。


多岐にわたる修行模様が自宅モニターからは毎日観察できた。

信者同士が向かい合い、罵詈雑言を浴びせあったり、椅子を過去の自分と見立て、棒で叩きのめしたりと凄まじいものだった。

各自がストリッパーや狂人めいた政治家といった役割を与えられ、大勢の前で変身して見せる変身劇もあった。コーチのような人物が「最高の自分を解放せよ!」といった呼びかけを行い、信者らは感動のあまり、泣いたり叫んだりしていた。

すべてが白川の言う『解凍、変革、再凍結』という言葉に集約されているように思えた。

これら洗脳、思想改造の方法を探ることはできたが、母からの折り返しはなく、姿を見つけることもできなかった。


 昼過ぎの京王線の千歳烏山駅のホームは人が混み合うこともなく、いつも通り通過する急行電車を見送り続けていた。年明けたばかりの青空は空気が澄んでいて天高い。

朱里あかりはスマートフォンを触りながらやってくる各駅停車を待っていた。

「何これ……」

 じつはあれから空き時間に兄のWEB漫画を読むのが習慣になっていた。

『もけもけ』というペンネームで描かれる日常もの漫画は、暇つぶしにちょうどよかった。しかしたった今読んでいる新作は、これまでと異なる作風だった。描かれている炎や建物、白装束。そして白川とそっくりな登場人物は紛れもなく、あの教団を題材にしたものだった。

 朱里は「話があるから今から行っていい?」とスマートフォンに打ち込んで兄に送信した。年始のセールのことは頭から消えていた。


部屋に来るなり、朱里あかりはまくし立てていた。

「何あの漫画?」

「怒ってるのか?」

「いや、そうじゃなくて、あんなひどいことがカメラに映ってたの? 何も教えてくれなかったじゃん!」

「悪かった。母さんも映っていないし、内容も激しかったしな。報告するか迷っているうちに時間が経ってしまった」

「漫画にしてる場合じゃないでしょ……!」

朱里はひたいに親指と人差し指、中指を当てて、下を向きため息をはいた。口を割らない犯人に頭を悩ます刑事のようだった。

 朱里には教団の非人道的行為を伝えていなかった。ショックが強すぎると思ったからだ。それにしても、まさか自分の漫画を読んでいるとは思わなかった。

「警察は……? 証拠の映像も撮れてるんだし、捕まえてもらおうよ」

「じつはな。持ち込んで話してみたんだけど駄目だった」

 朱里は少し間をおいて「何で?」と聞いてきた。

「カルトの問題は文科省所管になるらしくてな。宗教法人に認可を取った団体に対しては、警察も法務省も検察も手出しできないそうだ」

「何それ……めちゃくちゃ無法じゃん……」

「事件になるまでは宗教法人法違反になるから、公安当局も手を出せないらしくてな。この手のケースは家族からの問い合わせも多いらしいが、よくある話らしい」

 朱里は黙ってこちらを睨んでいる。いかに睨まれても、どうしようもない。事実、南阿佐ケ谷駅にある警察署で話したがいなされてしまった。

「でもな? そもそも俺たちはあの教団を滅ぼしたいわけじゃない。ただ母さんを返してもらいたいだけだ」

 そうだ。自分たちは母親を帰るべき日常に戻したいだけだ。

「何か方法があるの?」

「考えるしかない。またあそこに行ったところで母さんはきっと本部にはいない。『変革』に進みきれていないんだろう。白川の話ぶりで推測するしかないが、おそらくもう一度、『解凍』のフェーズに戻されている」

 あのソファの部屋での白川と若い男の会話も漫画に描いた。当然、解凍へ戻す話も含んでいる。朱里も読んだはずだ。

「とにかく考えるんだ」

「考えるって……?」

「考えることは描くことだ」

「漫画にすることが考えるってこと?」

「そうだ。あの建物で起きていること、この部屋に映っていることも俺の頭の中にあるだけじゃ考えたとは言えない。外に出すことが考えるってことだ」

「ちょっとよく分かんないよ……」

朱里は呆れたように告げて出ていった。二人から一人になったワンルームはやけに広く感じた。

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