第17話 正義のヒロインの黒い染み
ブラック企業に就職した初日のような気分で帰り着いた僕を、ヒョウリの「おかえり」という声が聞こえた。
おかえり、当たり前のようでそうではない挨拶を新鮮に思いながら、僕には返事がすぐには出てこなかった。宇宙人の彼女の方がずっと地球人らしい。きっとこの時の僕は妙な顔をしていただろうが、玄関からリビングの扉を開いた。
「どうして、そんな恰好をしているんですか」
芸能活動できっと役に立っていると思われるスタイル抜群のその体にバスタオルだけを巻いたヒョウリだった。
風呂上りだったらしいその体からは湯気が出ていた。髪をまとめる為に頭に巻いたタオルから、垂れた髪の一部がうなじに張り付き妙に扇情的だった。
「……」
「……」
しばらく声も出さず見つめ合った後、僕は悲鳴を発することもなく浴室の扉の前に立つヒョウリに声を掛けた。
「何故そこで黙る必要があるんですか、早く服を着てください」
「……怒っているのか?」
「困惑しているだけで怒ってはないですけど、ほぼ裸のような恰好でウロウロしていたら……その、ほら、いろいろと困ります」
自分のこめかみに手を当てて、うーん、と考え込むように唸ったヒョウリは僕に目線を戻した。
「リュミカがこの格好をしておけば、ヒイロが喜んでくれると言っていたからな。どうせ、クラスに打ち解けられずに凹んで帰って来るだろうと予想していた」
「僕の居ないところで失礼な話をしないでくださいよっ!?」
「なに! じゃあ、無事にクラスの輪に溶けこめたのか」
あまりにあまりな図星を受けて僕は口を閉ざす。
「やっぱりリュミカの予想通りじゃないか」
絶対にリュミカと心の中でやりとりをしているらしい雰囲気のといった口調だったので、彼女がバスタオル一枚の姿ということも忘れて僕はムキになった。
「別に情報を集めるぐらいなら、仲良くなる必要なんてないですよ。天次茅羽の情報です、僕なりにまとめてみたのでご覧ください!」
若干言い訳ぽく言いながら、通学鞄の中からコンビニでコピーしてきたばかりの資料の束をヒョウリに向かって放り投げた。それを拾い上げたヒョウリは、感心したように短く唸った。
「現在公表している公なプロフィールに肉付けをし、クラス内での交友関係、部活動やテストの成績、教師達の印象、後輩や上級生からの評判……友達も居ないのによくここまで調べたものだ」
「天次はブルーガイアの一員であることを公表している一人なんで、彼女のファンのフリをして周りに訊ねて回ったら簡単に調べることできましたよ。……て、一言余計ですねっ」
「ノリツッコミご苦労。で、何か気になることはあったか」
渾身のツッコミを軽やかに流され、僕は溜息を吐くがほんの少しの汗と涙の結晶が評価されたことを内心嬉しく思う。ミーハーなブルーガイアオタクの汚名を着た甲斐があるというものだ。
「ええ、少し気になるところがありました。……その前に、きちんと服を着ていただけませんか」
「ヒイロの頑張りにリュミカがもう少しサービスをしてあげようと提案しているのだが、どうする?」
「……どうもしないでください、五分後リビングに集合です」
※
本当に五分きっかりにリビングにやってきたヒョウリに僕なりに気になった事を話すことにした。
「メディアでの人気も合わせて調べてみましたが、彼女は実に正義のヒロインらしい女の子だ。外見も優れていて、頭も悪くなければ気配りもできる。そんな彼女が世界を救うなら、みんな大喜びですね」
Tシャツに膝上の短パンを履いたヒョウリがソファで足を組みかえながら頷いた。
「ああ、私も一度だけ一緒に仕事をしたことがあるが、あの業界では珍しいぐらい気遣いのできる子だったと記憶しているよ。天次のサインいるかい?」
最後の一言を無視して、僕は話を続ける。
「けれど、そんな彼女にも一点だけ染みを見つけたかもしれない。学校で一人だけ昔の彼女を知る人物を発見した」
「見つけた? 探さなければいけないほど、彼女の過去を知る人は居ないのか」
「ええ、彼女の地元まではそう離れていない、少なくとも一人二人ぐらいは同じクラスに居ても良いものなのかもしれませんが……そういう人物は見当たりません。SNSでも探してみましたが、結果は同じでした」
予想していた通り、この話を聞いたヒョウリはすぐに意見を述べた。
「違和感のある話だな。あれだけの有名人を知っている者が少ないなんて……」
「僕もそこに違和感を感じて、もっと調べてみたんですよ。何とか一人だけ、彼女の過去を知る人物を見つけることに成功しました」
「どうやって見つけることができたんだ」
「余分に頂いていたお金でタクシーを呼び、学校帰りに彼女の地元に向かってみました。車で行ってみればそう遠くはない場所でした。彼女の中学から一番近くの高校に行ってみたのですが、そこでも彼女を知る人物には遭遇できませんでした。いえ、違いますね、彼女と中学の時の学友達には何人か会うことができましたが……事実だけ語るなら――彼女のことをよく覚えていなかったんです」
「なに――」
「確かに天次茅羽という女子生徒が居た、同じクラスで過ごしたのだと記憶はしている様子でしたが、そこに思い出らしい思い出が無いのです。あれだけ目立つ女子なら、少なからず印象的な出来事もあったはずでしょう。ですが、天次茅羽と過ごしたはずの生徒達には何一つとしてそうした記憶は残っていませんでした」
顎に手を当てヒョウリは目線を落とし何か思案している様子だったが、すっと僕に質問をした。
「その”覚えていた”という生徒達は、彼女の事をなんて言っていたんだ」
急にきな臭くなってきた話題を締めくくるように僕は甘次茅羽の明確になった違和感の理由を口にした。
「皆、口を揃えて――大人しい目立たない子だったと言っていました」
ヒョウリは僅かに眉間にしわを寄せた。
「甘次茅羽が大人しくて目立たない子だと。そんな馬鹿な事はあるか、間違ってもあれを見てそんな感想は出てこないぞ」
見間違いじゃないのか、と告げるヒョウリに僕は狼狽することなく首を横に振る。
「いいえ、それが本当なんです。記憶は無いが、印象だけは残っている。一人や二人じゃない、僕が調べただけでも十人近い数のクラスメイトが口を揃えるのもおかしな話です」
フローリングの床を見つめるヒョウリの表情は真剣そのもので、彼女の瞳の奥には自分なりの天次の記憶と照らし合わせているのだろう。
「やはり、おかしいな。しかし、それは私達の作戦を進行させる為の良いヒントになるだろう。違和感と疑念は敵の正体を知るチャンスだ。で……これから、どうするつもりだ」
「まだ初日ですし一応、調べられるだけ天次の過去を知っていそうな人物に当たってみるつもりでいます。同じような返答ばかりかもしれませんが、目的はそれだけじゃないです」
「自分が囮になるつもりか」
さすが初めての土地で芸能人としてのし上がっただけはある。僕の考えを理解してくれていた。
「はい、もしこのまま調査を続けていたら逆にあっちの方から出てくるかもしれませんし、出てこないなら出てこないで、もっと大胆に調査をしてやりますよ」
「敵の組織を見くびっていないか。危ない橋を渡ることになる」
「その場合は僕が責任を取ります。この任務で犠牲が出るなら僕だけです」
そこまで聞いてヒョウリは嬉しそうに口角を上げた。
「そうか、そこまで考えているなら私から言うことはない。何か必要が事が出てきたら相談してほしい」
「了解です」
ここで話は一段落かと思いきや、ヒョウリがふと、それにしてもと言葉を続けた。
「想像した以上の功績だ、たった一日でここまで調べを進めることができる奴はそう多くはいない」
「まあ一応僕の母星なので」
どちらかと言えば、見知らぬ星で高級マンションを借りることができるヒョウリの方に仰天する。彼女の潜入能力も伊達ではないということだろう。
「お礼にちらりと谷間をみせてやろうか」
「……いいえ、結構です」
ちらりと谷間を見せるヒョウリに、僕はガクッとうなだれた。
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