【暴落1】罠にはまったよ

 1557年9月中旬

 山城国東山公界市

 友野二郎兵衛

(最近デスマーチになっている公界通貨安定供給取引所所長)



 夜半。


 やっと仕事が終わりました。久しぶりに家に帰って眠れます。


 5日前に始まった大胡札増刷は間に合いました。公界市と内裏の御蔵にある銭と金の分を足したものを裏打ちとして、とり敢えず5万貫文分の発行をしました。


 紙や墨を大量に集めることが出来たのは京の都であったがため。とても上野ではできませんでしたね。


 一時的に2倍にまで跳ね上がった大胡札の価値は、現在再び1対1まで戻りました。和田の取引所と殿の御裁可を受けようと、鳩を飛ばしましたが一向に返事がきませんでした。緊急措置として弩弓の繋ぎによる早便を出しました。


 それが2日前。そろそろ返事が来るかと。取り敢えず、仕事はひと段落。明日の相場が計算できるまで少し休みますか。


「しょ、所長。大変です! 先ほど交換比率が出ましたが……明日の交換比率、本日の3割増! 大胡札が下落、いや暴落していますっ!」


 なんですと!?

 5日前には鉄の値段が安くなって買い求める者が多くなりました。大胡札でずっと持っているわけではないので、大胡札での取引を望んだものが多かったから短期的に得をする大胡札を欲しがった。


 でも今度は違う。


「何が原因です?」


「はい。各地で安くなっていた鉄が急激に値上がり。そのほかの商品も値が上がっていましたが、銭よりも鉄と交換できる大胡札の価値が高まっていました。しかしここへ来て急に鉄の相場が急落との事」


 それだけでしょうか?

 鉄がなぜそんなに急激な値段の上下をするのか? 

 各地で鉄の価格操作をしている者がいる?

 だったら目的は?


 そうか!


「ここの所5日間の取引帳簿を見せてください、直ぐに!」


 真っ青な顔をした取引主任の手から奪い取るように帳簿を手にし、めくっていく。やはり西国商人の、特に堺に関係する者たちが大胡札を「鉄と交換」している。

 今や鉄の在庫は半分を切っている。


 やられた。


 忙しさに紛れて鉄がどこへ流れているか見なかった。大体「鉄が安くなっている」のに何故、鉄と同じ値段の筈の大胡札を求める者が多くなったのだ?


 調べねば分からないだろうけれど、堺が流言を流したに違いない。


「今、大胡札を銭に変えれば2倍の銭に替えられる」と。


 取引に慣れていない庶民はこれに引っかかり一時的な、目の前の相場だけを見て動いてしまった。


 私が浅はかだった。大胡札が広まればよいとの頭が大きく意識を支配していた。


「殿からの至急便です」


『大胡札、鉄の在庫以上の増刷はだめだよ』


 顔から血の気が引く音が聞こえる。

 既に手持ちの鉄以上の大胡札を出したばかりか、ここへきて8割増しの鉄交換をしないといけなくなってしまった。


 しかし、もうそれでは鉄の在庫がギリギリになってしまいます。



「和田の取引所から急便です。江戸付近にて安値で仕入れた鉄が河越の市と品川に大量に持ち込まれて、鉄の価格が引き続き暴落。大胡札の信用がなくなりつつあります! さらに甲府で買われた鉄も駿府に持ち込まれている模様。

 同じことがそこかしこで」


 このままだと一番恐れていた取り付け騒ぎによる取引停止。大胡札の兌換不履行。大胡ばかりか東国経済圏そのものが破綻してしまいます。


 各地でこんなにも一斉に大胡札の信用が崩壊する? 普通に考えたら大胡札は鉄の安定供給分の価値が担保されている。しかし堺の奴らが唐国から大量に鉄を仕入れて来て、更に流言にて大胡の鉄の在庫を減らさせた。


 機を見計らって吸収した分も含めて大量の鉄を一挙に放出。

 価格を暴落させた。


 それをまた流言で


「大胡札を持っていると価値がなくなる。ほらもうこんなに鉄の値段が安く」

 と煽ったに違いない。


「しょ、所長。大変です! また正門前にすごい人だかりが!!」


 まだ日が昇って間もないのに早くも人の列? まだ交換比率を発表していないのに?


「おい! 早く開けろ! 大胡札を鉄に替えてくれ。すぐにだ!」


「このままじゃ、大胡札。使えなくなるんじゃないの?」


「もう坂東じゃ、鉄が半値だそうじゃないか!」


 どう考えてもおかしい。

 伝書鳩で3日かかる品川や和田の情報よりも早く京の庶民が反応している。


 つまり……

 やはり事前に計画に沿って各地で鉄の売買をして、その計画通りに流言を流している! こちらはそれに遅れて価格を決めている。

 だから一斉に京の庶民が動いた。

 しかもそれで大胡札の暴落前に堺の連中は大胡札を売り抜けている。


 ここは

『さあきっとぶれいかあ』発動で

 下落を2割に抑え交換停止に……


「殿から続報。交換停止はダメ絶対! なんとしてでも銭集めて。これは戦争だよ」


 取り敢えず蔵から鉄の在庫すべてを交換窓口のすぐ後ろへ並べる。


 その後に銭の入った甕。

 さらには金銀。

 兎に角、安心させねば


「今交換しなくても必ずあとで高くなって損をしない」

 と。


 しかし足りるであろうか?

 公界の交換所には現在の比率で銭に換算して、鉄と金銀合わせて5万貫文程度しかない。銭は5万貫文。


 内裏の置かせていただいている銭と金が11万貫文と少々。

 合わせて21万貫文。


 西国に出回っている、普通なら銭にして10万貫文の大胡札が「もし」全部全ての大胡領にて交換を申しだされたならば、あと3割程度銭が値上がりするだけでも鉄では交換不能となる。


 鉄の交換は諦めよう。


 無くなった分は銭と金銀で交換だ。

 その交換比率も決めねば。


 ……そういえば、忘れていた。


 「おぷしょん取引」価格はどうなっているのだ?

 まだ始まったばかりだけれど、この相場で乱高下しているのだろうか。


「おぷしょん部門の2人を連れて来ていください」


 気が焦る。

 こちらが取引室へ駆け込む。


「おぷしょん相場はどうなっていますか?」


 そこには朦朧としながら算盤をはじく1人の職員。


「もう一人はどうしているのです? こんな大事な時に!」


「……あいつ。ここ2日ばかり顔を出さないのです。お蔭で計算が間に合わず」


 そういえばあの者、最近、表情の冴えない様子でした。

 生気がない。


 やけに変なにおいのする息を吐いていた。

 取り込まれたか? 

 堺に。


「それで、オプション価格はどうなります?」


「多分、今日は大胡札を売る権利が大暴騰しますね。多分数倍かと」


「総額幾らです!?」


「清算価格は現在の所10万貫文程度かと。まだまだ増えそうです」


「すぐに新規建玉と清算は中止です。その手配を!」


 これもきっと殆どが堺の建玉でしょう。

 10万貫文という事は10倍の建玉が出来ますから、1万貫文くらいは使っていますね。逆の建玉は殆どが本願寺以外の宗派と三好様か。


 なんとかしなくては。


 なんとかしなくては!

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