【堺衆1】ふろんてぃあ

 1557年5月上旬

 摂津国(注1)堺

 小西隆佐

(行長のと~ちゃん)



 病で伏せっている父、弥左衛門の代わりにこの密会に参加しています。

 会合衆の集まりでは話せない対大胡の算段とのこと。


 今年24という私のような若年者で務まるか不安ですが『一つだけ』条件を満たしていることがあります。


「小西屋の若旦那さん。あの御仁からのお返事は届きましたかな?」


 あの御仁とはザビエル様の事だ。

 私はザビエル様が5年前この堺へお越しになった際の接待案内をさせていただいた。京へ向かうも帝と将軍への拝謁は叶いませんでした。


 その後、師は山口や豊後にて2年間、布教をされて天竺のゴアへと帰られた。

 しかし残られたトーレス神父を中心とした布教活動は続いたため、再び新たなる宣教師を派遣してほしいとの請願を出していたのです。


 その返事がきました。


「はい。先にお伝えしましたようにザビエル様は3年前に天竺のゴアにて天へ召されました。しかしその前にポルトガルとローマへ書簡をお送りされておりました。ザビエル様のイエズス会を中心とした宣教師の一団がもう間もなくこちらへ向かって来るそうです」


 10人に上る宣教師の方々が派遣されてくるとか。


「それは重畳。しかし問題はそこではないですね。南蛮の商人はどうなのです? 南蛮船の来航は増やしていただけるのでしょうね」


 勿論、堺の目的はキリスト教(注2)の布教活動などではありません。

 それに伴った南蛮船の来日の際に入手できる貿易品です。

 日ノ本で価値のある、生糸・絹織物・鉄砲・鹿皮・硝石・鉄・鉛など。


 殆どが唐国から持ち込まれるものなので、時たま鎖国政策を取っている明朝の目を盗んで密貿易をしている倭寇と呼ばれる者たちの船も来ます。


 日ノ本からは銀・刀剣・漆器・海産物の俵もの等。

 特に銀が多くなってきています。

 この銀を唐国で売りさばき、そこで生糸や絹織物を持ち帰ってくるだけで巨利を得られます。


 堺も年に何度も船を送りますが遭難の危険を考えると、あまり良い商いとは言えません。損失を覚悟できる大店しか行えません。


 割符を買うのも大変です。

 博多ならば慣れている分、結構よい商売との事。

 その点、南蛮船は頑丈で遭難の危険性が少ないため巨万の富を得られるのです。


「2年前、遂に唐国の南部、澳門マカオがポルトガルの居住区になったことにより、カピタン・モールという司令官が配置され、軍備も充実し始めました。

 貿易もほぼ自由との事。

 そのマカオと日ノ本との定期便の海路を現在選定中ということです。

 確定なのは大隅と豊後、そして長崎。堺もこれまでの臨時便だけでなく定期船の運航先に選ばれることは確実となっています」


 ここにいる会合衆の主だった方の口から「おおっ」という喜びの声が上がる。


 長崎へ南蛮船が集中する傾向があったため、ここ堺が南蛮貿易で後れを取る可能性が出てきたためです。

 しかしその見返りとして帝と将軍への拝謁や、三好家との仲を取り持つことを約束することとなりました。


 そして先送りされたのは御坊ほんがんじ御山ひえいざんその他の仏教集団との軋轢の仲裁。

 これは多分厳しいでしょう。


「それで問題の硝石ですが、必要量は確保できそうですか? 鉄砲もですが」


 硝石の輸入は容易に要求が通りました。

 天竺は南蛮の国々よりも遥かに近いそうです。

 私どもとは尺度が違うようです。


 問題は鉄砲ですが、これは現在ポルトガルと、その隣のイスパニアで作られているそうです。


 ここまでの航路は往復で2年か3年かかるとか。

 とても南蛮製鉄砲や大砲を大量に輸入できるとは思えません。

 そのことをお伝えすると、残念な表情と共に更なる質問が返ってきました。


「それで職人はこちらへ向かっているのですかな?」


 此度の手紙のやり取りの重要な目的の一つ。南蛮の技術を入手するために職人を派遣してほしいと要請したのです。


「残念ながら。ですが、この日ノ本をデウス様にキリスト教の国として捧げることが出来るならば、大いに技術をもたらしましょうとのこと(注3)」


 お互いの欲することの交換。これが商いという物。この堺一帯を日ノ本の中心として発展させるためには、商いだけでは足りなくなりました。 あの大胡のせいで産業も育成しなくてはなりません。


 大胡の生産する生糸や絹織物・鉄砲、そして鉄。これらが日ノ本に出回り始め南蛮貿易の利が薄れてきています。


 これでは堺はじり貧。今手元にある銭の量という優位性を最大限に生かして大胡の影響力を削らねば、堺の商いはどんどん利の薄いものとなります。


「それから、旦那様方の耳にも入っているかと思いますが、遂に大胡札が博多や長崎でも出回り始めました。まだごく少量ですがこのままでは危ういかと。あの京公界市を潰さねば永楽銭が吸い取られるばかり。いくら唐国から持って来ようとも利が乗りませぬ。銀の増産もまだ道半ば」


 京の公界市の噂を聞いて私も行ってみました。


 あれは、何と言ったらよいか。宗教が絡まない御坊の寺内町(注4)のようなもの……

 でもありませんね。

 あの場所だけ争いから無縁であり全ての人が皆等しく扱われ、自らの意思で人生を切り開く。そんなことが出来る街。


 人を集めるに宗教ではなく、『未来を自分で切り開く夢』を与えることで為しえている。


【ここはふろんてぃあ也。

 ここから先は夢の地である。

 ここから先は己が手にて進むべし。

 夢を現に変える者となれ】


 と高札が掲げられていました。


 「ここから先」とは、この市の中かと思いましたが、これはもしかしたら西国へ進むべしという宣言なのでは?

 と思いました。


 また両替商には吃驚いたしました。


 普通ならば銀と銭の交換くらいしかしませんが、それ以外に

 米、

 金や銅、

 鉄を大胡札と交換する。


 その時の比率が日ノ本各地の交換比率を参考に決められています。


 今の商いではとてもできません。この比率で揉めることなど当たり前のように起きています。


 問題はこの公界市に持ち込む商品は大胡札で支払われることです。それに対して商品を買うときには銭を支払わねばならない。今、生糸や絹織物・鉄を仕入れるとすればこの公界市が一番安い。


 酒もです。

 実物は取引されずとも売買手形を持って行けば、湊で商品を受け取れます。この銭の流れを止めるために湊の荷役夫や水軍に圧力をかけていますが、これも銭が掛かります。


 もっと大本を断たねば。この仕組みを崩さねば堺に未来はない。


 急に、ここ数年で頭角を現してきた納屋の宗久さんが発言を始めました。


 対大胡の急先鋒です。右手を大胡の犬に噛まれて不自由になったとか。


「皆さん、やっとです。やっと大胡の中に内応者を作れました。それも金融部門に。その者によると9月から大胡札と永楽銭との交換比率を毎日変えていくそうです。その市場を開くとの事。その仕組みをこちらへ流してくれるとの事です。どうやらあちらさんは高等数学というものが分からない者にとって手が出せない市場だと舐めてかかっているようですが、これを使いましょう」


 つい最近、話が流れてきた『為替市場』という市の仕組みが、誰にもわからなかったのですが、これを使って大胡に一泡も二泡も吹かせられるようです。


「このままでは大胡に銭を吸い取られて大胡札の支配を受けなければなりません。そうすれば武田や里見を動かし大胡の勢力を削るどころではなくなります」


 そして私たちは金融市場の仕組みと堺がどのようにこれを操るかという具体的な方針を、夜を徹して討議しました。



 🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸



 注1:堺は摂津河内和泉の境という意味で名付けられたそうです。なので摂津にしておきます。てきと~。


 注2:呼称はいくつかあるけど、めんどくさいのでキリスト教で統一します。また出来るだけ南蛮関連はカタカナを使うようにします。ちなみのザビエルという人はジパングをデウスに捧げたという言葉も残しています。こえ~。


 注3:このような事は実際には多分ポルトガルの国王は考えないでしょう。費用対効果悪すぎるし……


 注4:浄土真宗の寺を中心として堀と塀にて外界から安全を守られて繫栄した町。このネットワークによって摂津・河内は繁栄した




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