【雷鳴2】情報戦ですね。桶狭間って
1556年6月11日巳の刻(午前10時)
尾張国鳴海城南中島砦
佐々成政
(やばいニキの筈なんだが)
地図あったほうがいいですよね
ぴとっ
https://kakuyomu.jp/users/pon_zu/news/16816927859810973408
◇ ◇ ◇ ◇
兄貴共は殿の馬廻りとして本陣にいる。
俺は無駄に鉄砲が得手だったお蔭で別動隊になった。
佐久間様の指揮下、手越川北岸を南西に進む鉄砲隊600の足軽大将として鉄砲足軽100を預かっている。
足軽大将としては手の者が少ない気もするが、それだけ銭が掛かる大事な足軽の備えだという事だ。
兄貴共は騎馬にて本陣前を駆ける。
そちらの方が足軽大将よりも名誉なことだと嬉しがっていたが、鉄砲を扱うようになって知った。
これからは鉄砲の時代だ。
流石は信長様だ。時代を読んでいる。
しかし今回は別だ。
今川は先の敗戦に懲りて、織田の主力がこの鉄砲隊だという事を知っている。
だからこの梅雨直前に侵攻を開始した。
決戦が行われるであろう鳴海以北に到達する頃にちょうど梅雨になるであろう。
だから信長様は、ここ三河との境で決戦をしてしまおうという算段なのであろう。
そして今回の行動も移動の遅い鉄砲隊を敵から見える進路を進ませること『囮』として活用するようだ。
それなら川を挟んでの防衛となる故、もし雨が降ろうとも鉄砲操典に沿って長柄に持ち替え、弩弓を用意して戦うのみ。
二本の長坂道に敵の先手を誘引できれば、殿の本隊2800が敵から見えないよう手越道から迂回して敵の本陣へ突っ込める。
これから忙しくなるぞ。
手元の鉄砲がずり落ちそうになる。
いかぬ。
配下の者に
「命よりも大事にせよ!」
と言うている癖に、己がこのような事ではいかぬ。
……だが大胡鉄砲操典の元本を読んだが
「鉄砲よりも命を大事にせよ」
と書いてあった気がするが、あれは書き間違えか?
◇ ◇ ◇ ◇
同日同刻
石塚山付近
今川義元
(此奴は正史と同じ運命をたどるのか? かわいそうな気もするが……)
「どこからも使い番が戻らぬと申すか!?」
近習の者が使い番頭からの報告を聞いて切れている。
嗜めると共に沈思する。
幻庵坊主が言うていたな。
大胡は徹底的に敵の使い番を仕留めると。
それを聞き使い番は二人以上出すようにしているが、それでも足りぬか。
此度の戦、織田は大胡の支援を受けている。
大高城方面にいる3500だけでも同盟としては十分な援軍であろうが、儂にはこの使い番狩りが一番の脅威に思える。
目を隠され手足が思うように動かせぬ巨人となった気がする。
濃尾の平野で決戦する筈が、この狭隘な地形での決戦となるやもしれぬ。
織田家臣の三名を内応させ評定にて籠城を主張させたが、大胡の後詰が来たことで決戦の方向へ傾いているという。
雪斎が言っておったの。
戦は何があるやもしれぬ。
問題はそれを奇貨とできるかであると。
今の所、あの
こちらの思惑が外されている。
問題は大高方面の情勢が分からぬこと。
それと沓掛城から鎌倉街道を西進している近藤や瀬名の2500。これが順調に鳴海方面に侵攻できているかだ。
ここまでくる途中、手越川方面へ抜ける間道に大胡の手によるものであろう鉄条網とやらが仕掛けられていた。
元々そこは通る予定はなかったが東浦街道を大きく南から迂回して、鳴海へ向かわねばならなくなった。
これが織田と大胡の誘導なのか?
本来ならばここで滞陣して、梅雨を待つ方が鉄砲の無効化を含めて敵の様子を探ることが容易となる故、安全なのであろうが如何せん兵糧が持たぬ。
ただでさえ今川16000を支える兵糧を運ぶだけでも手いっぱい。そこへ持ってきてあの一向宗30000だと?
そのような多数の者を食わすような兵糧など持ってこれぬ。今まで東海以外に5000を超える兵を出したことは無い。
東海のような街道整備されている場所でも16000は厳しい。
これ程小荷駄に負担が増えるとは思わなんだ。
「御屋形様。大高城方面より使い番が一名帰ってまいりました」
弩弓特有の短い矢が背中と肩に何本も刺さったまま、使い番が膝を突き途切れ途切れに報告した。
「申し上げます……大高城方面、夜襲失敗。攻めあぐねております。巳の刻(午前10時)にて第二次総掛かりを実施するとの事。大胡の鉄砲は精度が凄まじいと……」
そこまで言って倒れる。
沓掛城方面はそのまま進軍させよう。
今から使い番を送っても届くとは限らぬ。
それよりも大高城方面を北より包囲するように運動する方が敵に取って嫌であろう。
さすれば信長の本隊が出てこよう。
それを討てばよい。
問題は鉄砲隊への対策であろうな。
左右から回り込み包囲するしかない。
敵もそれくらい対策は考えていよう。
だから鉄砲隊の居ないところを、大軍を以って進む。
本隊は鉄砲隊へは向かわぬ。
今川は鉄砲の配備を当分諦めた。
あのように銭が掛かり、しかも火薬の供給で堺に首根っこを握られるようなものは要らぬ。戦い方で何とかするしかあるまい。
大胡も火薬が少ないことが分かってきた。
後ろを脅かすことで陣から追い出せば一向宗の人の波に崩れ去るであろう。
ここは織田の鉄砲隊を早く見つけることに集中しよう。
◇ ◇ ◇ ◇
同日同刻
鷲巣砦跡
竹中半兵衛
(戦争芸術に憧れる芸術家の卵)
未知の戦が目の前で展開されている。
心が沸き立つのを押さえるのに苦労する。
私はこんなにも積極的な性格だったのか?
いや、多分殿に会ってから、殿の戦ぶりに接したから変わったのだろう。
それより目の前で繰り広げられている戦だ。
かの戦上手で知られた越前朝倉の宗滴様すら苦戦為された一向一揆宗徒による『人海戦術による飽和攻撃』(殿はそう称された)。
それを有刺鉄線の鉄条網で行動を阻害。
その間に鉄砲で討ち取る。
その際の鉄砲射手。
精強で鳴る大胡兵ならばある程度抗しうるだろう。
しかし、たとえ鉄条網越しだとしても、怒声をあげ目を血走らせて己が目の前に迫ってくる人の波を前に冷静に弾込めを出来るか?
その不安を解消するための工夫として、是政様が考案されたという塹壕戦術。
1カ月の時間があったため、塹壕の上には板で天井を作り所によっては土を盛り、火矢にも抗しうるようにしている。
そのための木材は砦を壊して手に入れた。
前面には土嚢で狭間を作り、外からの攻撃は出来ぬ。
雨にも風にも強くなっている。
問題は発射の際に出る煙が籠ることだ。
それを解消するために移動段列要員(大胡では直接前線へ弾などを運ぶ者がいるが
これを段列と呼んでいる)が大きな団扇で吹き飛ばしている。
兵員の3割以上が後方支援要員である大胡だからできることだ。
「敵、矢盾を押し倒し、鉄条網を突破しようとしております」
これも予想されていたことだ。
佐竹様の鉄人隊が10年以上前からやっている方法だ。
敵が真似するのは当たり前。
だが重い矢盾を持ち、何重にも張り巡らせてある正面を突破するには、どうしても左右から持ちあげねばならない。
そこを狙撃する。
どんどん討ち取られていく。
あの者たちが信じているように極楽浄土に行けるのであろうか。
それならばよいのだが。
殿が言っていたように『人それぞれの幸せを否定』は出来ない。
だが、見ていて辛いのには変わりない。
私はその様な事よりも『戦の美しく効率的な形』を研究するのだ。
それが『私の幸せ』だ。
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