【金柑】作者のお気に入りですが、何か?
1556年4月上旬
美濃国稲葉山城下の井の口民家
出浦清種
(こいつの息子、正史では武田の三ツ者頭目なんだよねぇ)
次から次へと文が投げ込まれてくる。
時々素ッ破や歩き巫女が辻を歩き、外に出たときすれ違い様、文を手渡される。
もう少し工夫を凝らさねば、情報の集まり具合がこう頻繁だとすぐに見つかってしまう。
まだ一色家の防諜は手薄だからよいようなものだが、完全な敵地の、しかも強勢力下での諜報、例えば畿内三好を相手にした諜報は更なる仕組みの工夫が必要だ。
「あなたぁ、もう休みません? そろそろ、うふふな刻限よぉ」
女房に扮している桜女が誘って来る。
「そのような事、後じゃ。して、岩手重虎とかいうガキは確保できたか?」
「ううん。まだ喰っていないわよぉ。うちの若いのが連れまわしているけどね。その内手を出すかもだけどぉ」
どうも此奴ら。
楽しんでいるのか、仕事をしているのか、布教活動をしているのかよくわからん。
とりあえず身柄を確保できているならばよい。殿の最優先指令は遂行できた。
あとは明智という国衆か。此奴は一色にひっ捕らえられそうになっている。
大殿の見通しでは
『落城後、放浪か越前方面へ向かう』
という事だが、それは確かではないらしい。
「明智殿の方の首尾はどうじゃ」
桜女が珍しく、もじもじしつつも真面目に答えた。
「それが、誘引に失敗したわ。うちのノノウ(一人前の歩き巫女)が誘惑したのだけれど、怒られて追い返されたわ」
男と見れば「誘惑」する。
それで引っかかる方も引っかかる方だが、結構な確率で思い通りになるから得意になって思い通りに動かそうと思ったのだろう。
『身重の妻がいる故、そのような事は致さぬ』と言って断ったらしい。
人として尊敬はするが、固い奴じゃ。
面白くない。
「では居場所は掴めているのであろうな。大胡の名は出しておらぬな?」
出していれば大失態じゃ。
もう取り返しがつかぬ。
「大まかな場所は分かっている。大胡の名前? それはないわ。そこまで馬鹿じゃない。でもこっちはもう手を出せないから素ッ破の方でやって頂戴」
「了解した。明日にでも動く」
これは儂が手ずから調略せねばなるまい。
こういうのは慣れてはおらぬが、幸綱様のように誠意をもって臨めば至誠天に通じるであろう。
「それじゃあ、私たちは別のお仕事を致しましょうね。天に通じるお仕事よ~」
もう此奴らの仕事とはいったい何なのだ?
そう思うものの、儂も天に通じる作業を始めた。
◇ ◇ ◇ ◇
1556年4月上旬
美濃国山中
明智光秀
(まだ禿げてないよ!28歳既婚)
「暑いであろう。水を」
煕子の汗を拭いてやり、竹筒の水を飲ませる。
川の水は危険だが致し方ない。
里に下りれば不審に思われ稲葉山に連れていかれるか、落ち武者として身の回りのものを、はがされて首を獲られる。
なんとしても美濃を出て越前へ向かう。
あそこならば親族もいよう。そこまで辿りついてから、その後の動きを考える。
「そこのお侍。すこしいいかな? さるお殿様から言伝と文を預かっている。そちらへ近づいてもよろしいか?」
脇の竹藪から声がした。
『竹藪』というものには、何か『恐怖』を感じる。
なぜかは知らぬ。
しかし幼いころからの恐怖だ。
なにか恐ろしいことが起きて植え付けられた記憶かもしれぬ。
腰に付けてあった火種を吹いて起し、肩にかけていた種子島の火鋏に取り付ける。
「おっと、それは必要無いです。こちらは丸腰。3間以内には近づかない故、ご心配なさらず」
そう言うと言葉の主が竹藪から姿を現した。
樵の姿だが勿論中身は別物。
どこかの草か?
草を働かせている所から、相当な大身の大名か寺社・大店と推察できる。
「ここにその手紙を置きますから、読んでください。儂は離れます故、心配なさらず」
油断は出来ぬ。
だがこの逃避行。何かに縋りたい気持ちもある。
それに機会は自ら手に掴むものだ。
迷っているうちにその機会は過ぎ去ってしまう。
火皿に発火薬があるのを確認し、何時でも火蓋が切れるようにする。
煕子に物陰に隠れるように言い、種子島を構えつつ手紙を取った。
用心深くあたりを見渡してから、手紙を読む。
「去る杭瀬川での救援、とても感謝いたす。その節は急ぎの旅為、大したお礼もできず悔いが残り申した。もしよろしければ大胡にて歓待いたす所存。その鉄砲の腕前、見せていただきたく。奥方と共にお越しいただけるようお願いいたす。道案内はこの者がいたす故、安心していただきたい。
大胡左中弁政賢」
あの時の大胡殿か!?
なぜこの時期を見計らって?
それを樵に問いただした。
「それは……申し上げにくいのですが、大殿の外交参与である僧が占星術を嗜み……ゴホン。
様々な事を言い当て大殿へ助言を致しておりまする。その中に明智殿の命運が、この長良川の合戦直後に消えかかると。その時が本当に来るならば、と某に文を託されたのでござる」
少々、樵が言い淀んだが、大胡への誘いというならば受けてもよい。
というよりも是非、自ら仕官を申し出たい。
この山中を越前まで身重の煕子を負ぶうての山越え。
大変な危険を伴う。
どちらの方が安全か?
……『
しかしここは自分で決めねばならぬ。
朝倉へ行っても安全は確保できぬし仕官が出来るとも限らぬ。
ここに押されている花押が本物と判別できればよいのだが。
「大殿から言伝とこれを預かっております。『これを使ってみませぬか?』と」
樵は地面に『それ』をおいてまた退いた。
地面に置かれたそれは……
手筒か?
火鋏がない。
代わりに火打石。それが火蓋がぶつかるか。
それで発火、弾を発射するのか。これは大胡の鉄砲?
隣に油紙に包まれた粉薬。
「流産しないための薬です。柴苓湯と言います。大胡への途中で甲斐に寄り、永田徳本殿を頼るといいです。そこでのお産が一番安全。宜しかったらどうぞ~」
大胡殿が煕子の身重を知っている?
何故?
という疑問と共に感激の波が押し寄せる。
「煕子。行く先を坂東に変えてもよいか? どうやら
煕子からの返事は、
「貴方様の居るところが私の住まい。貴方様の輝く地が宜しゅうございまする」
自然と涙があふれる。
儂は、樵の方へ振り返り首を縦に振った。
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